9. 暖かいカレーライス

 数分後。

 リョウジは、アリサの手を引き、ナオミについて屋敷を離れていた。他の仲間たちもおおむね私設軍隊の黒ずくめの兵士たちを倒したようで、リーダーに従って、各々撤退していく。


 リョウジの電動バイクは、屋敷の正面にそのまま置いてあった。もっとも捕まる直前に彼は手元のバイクの鍵で遠隔操作し、バイクを自分以外には動かすことができないように細工していたのだが。幸いバイクに傷はついていなかった。だが、そのすぐ隣に同じくバイクが置かれてあった。


 それは、全体的に青色の車体とフレームが目立つ、カウルのついたスポーツレプリカタイプの大型の電動バイクで、ハンドル部分にフルフェイスのヘルメットが架かっていた。


「あれは私のバイクよ」

 ナオミの一言に驚きを隠せないリョウジだったが、ひとまずここにいては何かと危険が伴うため、ナオミの先導で、レジスタンスのアジトへと向かうことになった。

 ナオミの部下のレジスタンスたちは、わざわざ電動バイクや小型の電気自動車に乗ってきていたようで、囚人たちも含めてそれに便乗していた。


 道すがら、

「アリサ。ヒドいことされなかったか? 本当に無事か?」

 心底心配そうに声をかける父に対し、その娘は、


「大丈夫だよ。ペンダントは取られちゃったけどね。大体、パパがあの時、兵士を殺さなかったのが悪いんだよ」

 と、8歳の女の子とは思えないほど、残酷なことを平然と言ってのけていた。


 来た時とは逆にトンネルの直線道路を走り、螺旋型の道路を下って行き、やがて14層にたどり着くと、例の検問所には、非常事態とばかりに10名ほどの兵士たちがたむろしていた。


 だが、すでに4、50名の集団となったレジスタンスにはかなうはずもなく、日本刀を奪い返したリョウジも加わり、たちまち血祭りに上げられていた。


 ナオミはバイクで先頭を行き、15層へ降りると、今度は街外れの水路のような細い道を走り出した。そこはくぼんだ盆地のようになっており、周囲からは見えづらい構造になっていた。


 数十分後。彼らの目の前に、大きな岩があった。辺りには、ほとんど人家すらなく、人気もない。


 それは明らかに「岩」にしか見えなかった。だが、バイクから降りずに、ナオミが左腕にはめている腕時計型の超小型タブレットを操作すると。


 岩が大きく左右に割れて、中から道路が現れた。おまけにバレないように、音まで制御されているようで、機械的な音がほとんどなく、静かに開いていく。


(遠隔操作か)

 手元の超小型タブレットからの遠隔操作によって、開くように偽装していたのだ、とリョウジは気づく。


 集団はナオミを先頭にその岩の向こうの道路へ入って行き、全ての車列が通り抜けると、ナオミが操作しなくても、自動的に岩の扉は閉まっていた。


 中の道は、さらに奥へと続き、しかもそこからさらに「下」へと下っていた。当主の館へと続く道のように無数の「LED」で照らされているわけではなかったが、それでも時折LEDの光が導くように、下へと伸びていた。


(16層ということか)

 全15層の地下都市のさらに下に幻の16層があることが、リョウジには衝撃的だった。


 そして、16層に降りてから、入口近くにある、広い駐車場でナオミはバイクを停めた。リョウジとアリサもバイクを降りると、そこには不思議な空間が広がっていた。


 それは「小さな街」だった。15層の貧民街のように、バーやレストラン、雑貨屋風の店が建ち並んでいた。


 ただし、15層よりもさらに貧困さを増しているように見えるのは、それらの建物がまるで「バラック」に見える掘っ立て小屋のような粗末な木造だったからだ。天井の岩からはLEDライトが吊り下がっていた。


 ナオミは、その小さな街のメインストリートを歩き、やがて一件の木造の家に入って行った。


 それは、お世辞にも「オアシス」とは言えないような粗末な家で、「レトロ」と言えば聞こえがいいが、まるで西部劇や19世紀にでもタイムスリップしたかのような、トラス構造の木造2階建ての、ただの一軒家だった。


 アメリカンスタイル風のひさしがついた屋根とベランダがあるが、どう見ても22世紀の物とは思えない。


 中もまた、古風なウェスタン調の調度品や家具でまとめられており、まるで古い映画の中の世界のようにすら見えた。


 ナオミは、リビングにある、古いソファーに腰かけてから、二人をテーブルを挟んで向かい側のソファーに座るように促した。


 リョウジには聞きたいことが山ほどあった。

「で、クローンってのはどういうことだ?」

 まずはそのことだった。


 ナオミは、大弓を大事そうに、そっと脇に置くと、その二重瞼の目をリョウジに向けて、ゆっくりと語りだした。

「そのまんまの意味よ。カツアキ、つまり当主は複数のクローンを造ってるの」


「自己防衛のためにか?」


「そうね。あいつは、この街を支配してから、散々民衆から『搾取さくしゅ』してきたからね。私たちのようなレジスタンスは、実は貧民街の民衆に助けられているわけ」

 それを聞いて、何となくリョウジは納得していた。


 いつの時代も、民衆は「しいたげられる」立場にあり、そうした中で、「虐げる」奴に堂々と逆らう連中は、一種の「義賊」扱いを受ける。


 ましてやかつての「日本」という国には、「判官贔屓はんがんびいき」という言葉があり、弱い者を応援するという「気質」が脈々と生きている。

 おまけに、リーダーが若くて美人の女性だったら、なおのこと人気が出るのも頷ける話だった。


「ペンダントはどこに行った?」

 もう一つ気になることだった。確かにあのクローンは、アリサのペンダントを持っていなかった。


「それももう、クローンではない本人のところね」

「だったら、まずはその本人を探して殺さないと」

 息巻くリョウジだったが。


 ナオミは、反面、深い溜め息を突いていた。

「それがわかれば苦労しないわ。わからないから、私たちはあいつを倒せないでいるの」


 なるほど、とリョウジは納得する。

 クローンが複数いて、どれが本人かわからない。決め手に欠けるため、いくらレジスタンスとして「反乱」を起こしても、結局は「当主」を倒せないまま、これまで来た、と。


 だが、何とかしなければ、ペンダント、ひいては「結晶」は奪われたままだ。それでは「レナ」の秘密にもたどり着けない。

 彼はそれを何よりも恐れていたが。


「パパー。おなか空いたぁ」

 またもや緊張感のない、幼い娘の声に、思案から現実に引き戻されていた。


 ここは「昼」か「夜」かもわからないような地下都市の、さらに奥にある閉ざされた空間だったが、確かにあれから数時間は経っている。


 すると、ナオミが、リョウジには向けたことのないような、女らしい、優しげに見える笑顔をアリサに向けた。

「アリサちゃんだっけ? お姉さんがお料理作ってあげようか?」

 それは、ある意味、女性だけが出来る「柔らかく」て「穏やかな」空気感さえ漂う笑顔だった。


「ホント? お姉ちゃん、カレーライス作れる?」

 アリサの無遠慮な声と態度に、


「こら、アリサ。ワガママ言うな」

 ここの暮らしが貧しいことをおもんぱかって、リョウジはアリサをたしなめていたのだが。


「作れるわよ。っていうか、私たちもよくカレー食べるから」

 あっけらかんとした表情で、ナオミは応じていたから、アリサは今までにないくらいの喜色を面上に張りつけていた。


 彼女にとっては、もしかすると「世界」よりも「カレー」の方が大事なのかもしれない、とリョウジは思って、苦笑いを浮かべていた。



 夕食は「カレーライス」になった。

 このナオミの家は、レジスタンスの実質的な本部になっており、ナオミ以外に幹部連中の5人の男女と共に共同生活をしているという。


 その5人とナオミが、わざわざアリサを台所に招き、カレーライスの作り方まで伝授していた。


 喜んでカレーライス作りに挑戦するアリサを見て、まだまだ子供だと思う反面、こういうところは、やはり「女の子」らしいとも思い、リョウジは安心するのだった。


 やがて、出てきた「カレーライス」は、思いの他、しっかりした出来だった。

 具に玉ねぎ、人参、じゃがいも、そして豚肉まで入っている。オーソドックスなカレーライスだが、そもそもこんな世界でどうして食材が手に入るのだろう、とリョウジは不思議に思っていた。


 食卓は、リビングでナオミと幹部連中を合わせて6人、それにリョウジとアリサを加えて8人という、賑やかなものになった。


 彼女にとっては、好物であるカレーライスが食べられる上に、それが「暖かい」ため、いつもより何倍も表情が明るかった。


「美味しい! 暖かいカレーライスなんて、ホント、久しぶりだよ!」

 アリサのはしゃぎ方は、半端ではなかった。当主に捕らえられた時の恐怖すら忘れているように、はしゃいでいた。


 そんなアリサは、ナオミはじめ、レジスタンスの幹部連中からも人気で、

「隠し味にリンゴを使ったからね。どう? 甘くて食べやすいでしょ?」

 ナオミがきっかけとなり、


「お嬢ちゃん。慌てないでゆっくり食べなよ」

「カレーくらいならまた作ってあげるよ」


 レジスタンスの幹部連中までもが、幼いアリサに暖かい声をかけていた。


 そのことが、人の親としては純粋に嬉しい気持ちがするリョウジだったが、気になることが他にあった。


「ナオミ。そもそもこんな穴蔵あなぐらみたいなところで食材なんて手に入るのか?」

 無遠慮にそう聞いたリョウジの言葉が気に入らなかったのか。


「穴蔵とは失礼ね」

 と、彼を睨んだ後で、ナオミは説明してくれるのだった。


「そもそも地下都市ってのは、日光が当たらないでしょ? まあ、ここの上層に住んでる連中は、直接、日が当たるからそんなの気にしてないだろうけど」

「そうだろうな」


「だから、人工的に『日の光』を作って、野菜や果物を育てているの」

「人工的な光?」


 そう尋ねるリョウジの姿に、ナオミは嘆息し、

「あなた、本当に地下都市に来たことないの?」

 と言った後、


「LEDの光で野菜は育てられる」

 今度は話を聞いていた、別の幹部の1人、大柄な体躯の短髪の男が代わりに答えていた。


「へえ」

「もっとも、一昔前はそれも大変だったんだがな。今やLEDも進化したから、材料さえあれば、昔よりも効率的に地下でも野菜を育てられるんだ」


 その後、ナオミが補足説明してくれた内容を要約すると、要はこの地下都市の16層で、彼らレジスタンスは「自給自足」できるように、畑を作り、野菜や果物を育て、さらには驚くべきことに米まで作っているという。


 地下都市の実態などほとんど知らない、リョウジには衝撃的な内容だった。もっとも「カレーライス」と言うのは、昔から「貧しい」時に気軽に食べられる料理でもあったから、実際にはここの生活は貧しいのかもしれないのだが。


「そういえば、リョウジ。あなた、上着は持ってないの?」

 不意にナオミに言われ、自分がTシャツ一枚にレザーパンツ姿だと思い出すリョウジ。


 確かに、館の前で捕らえられた後、兵士たちにはぎ取られたレザージャケットはどこかに行ってしまった。

 そのことを説明すると。


「じゃあ、あれでよかったらあげるわ」

 ナオミがそう言って、ソファーの横のハンガーに架かっていたジャケットを指さしていた。


 そこには、前に使っていたレザージャケットとさほど変わらない、黒いレザージャケットがあった。


 それはどうやら、幹部の一人が使っていたレザージャケットらしかった。先程の大柄な男が使っていたが、譲ってくれるという。


 試着してみると、意外にもサイズはぴったりと合っていた。

 礼を言って、レザージャケットを受け取るリョウジ。ゴーグルも奪われていたが、それは当分は諦めることにした。

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