第5話 それまでとこれから

 出会いのことは極力考えないようにしている。出会いを思い出そうとすると靄がかかったように何も浮かばなくなるから。

 良かったのか悪かったのかさえ浮かばないだなんて、それほどに印象が薄かったのだ、須田という男は。


「悪い、待たせた」

「待ってない。ゲームしてたし」


 カランカランと入り口が開いて来客を告げたのを聞いていた、し、ちらりと見たので来たこともわかっていた。

 そっけなく返すと、さも残念そうに呆れたように肩を落とすのを、ちらりと盗みみる。近頃分かってきたのだが、そう言うの、ちょっと嬉しい。


「ですか。何か飲む?」

「ロイヤルミルクティー」

「おおせのままに」


 待ち合わせは珍しく駅の近く、けれど路地を一本奥に入った場所にある喫茶店。

 普段はこんな場所は選ばないしファストフード店やファミレスも全然ありだ。

 今日は今後について話し合いたいと、適当に相談でもあるようなことを言ってこんな場所を選んだ。入ったことのない店というわけではなかったけれど、どうにも場違いな気がして須田が居ないと入れない店である。彼は一人でよく利用しているのだと言うけれど。

 この店は喫茶店でありメニューもそれなりに充実しているが、ウェイトレスやウェイターといった給仕は居ない。オーダーはカウンターの中に居る店主に声を掛けて、水をその時に貰って席に戻る、という一風変わったもの。

 その後出来上がったものは店主が直々に各テーブルへ運んでくれるのだけれど、店主はたとえ店が混んでいてもオーダーを取り違えたりしない。その原理はどう言ったものか、たった数回来ただけの私には解らなかった。メニューのメモは出来ても客の容姿はてんでバラバラだ。誰が何を頼もうと構わないがサラリーマン風のスーツの男性がクリームソーダを頼んでいたこともあり、それはあまりに違和感があって店主が手にしていたのを目で追ってしまったのだ。すごい記憶力の持ち主なのかもしれない、としかいえない。

 オーダーを通して戻ってきた須田が、腕に掛けていた上着をソファー席に置きその横に座る。私がテーブルを挟んだ向かい側、アンティークの椅子に腰かけて足を組んでいるのを見て少し顔を顰めて一言。


「相川、あんまりその姿勢続けると身体歪む」

「ずっとしてるわけじゃないってば」

「ならいいけど」

「それよりも」


 組んでいた足を解いて、テーブルに手をついてずいっと身を乗り出す。須田が、うっ? と驚いた様子で身を引いた。何勘違いしてんのよ、何もしない。まだ。


「私と須田って、今どういうカンケイなの」

「……は?」

「べ、別に疑ってるとかじゃなくてその、確認よ。都合のいい夢をみてるのかもって思ったらちょっと心配になっただけ!」

「んー、どうなんだろう?」


 須田は少しだけ口の端を上げながら、悩むように腕を組んでうんうんと唸った。

 これは完全に遊ばれてる奴だな、と思いながら返事を待つ。疑問形じゃなくてはっきりとした答えが欲しい。

 例えば、付き合ってる、とか。彼氏彼女、とか。


「どうなの」


 ひとしきり悩んだ後、須田はぱっちりと目を開けた。組んだ腕を解いてテーブルに置かれ汗をかいた水と氷の入ったグラスに手を伸ばした。引き寄せて、今思い出しましたと言わんばかりのワザとらしい態度で言う。


「相川が思うカンケイ? でいいと思う」

「……」


 このやろう、と口をとがらせて零せば彼は場所に合わせた様に抑えながらカラカラと笑った。

 意地悪もしてくるし、からかいもする。私のことなら何でも知っていて、欲しい言葉や態度、行動をいつだってこっちから言わなくてもくれるのが、須田。

 ねぇ須田。あんたは私の事、たくさん知ってるかもしれないけど、私はきっとこれからたくさん知っていかなきゃなんだよ。それは今まで、全然須田の事をみようともしなかった、私が悪いのだけれど。


「じゃあ、私の思うように思ってるからね」

「どうぞ」

「ぐぅ」

「相川はほんと、かわいいのな」


 テーブルに両肘をついて拗ねて唸れば、須田はまだ余裕たっぷりといった様子で軽くあしらいながら、ちょっとばかりのご機嫌取りにか空いている方の手を伸ばしてふわりと頭を撫でる。

 軽くあしらいながらも、須田は前より随分と構ってだの気に掛けて欲しいだのという雰囲気を出すようになった。そうして、私の心の隙間に何かを引っ掛けていくのだ。まんまと罠にはまっている気がしないでもない。だってその上少し、心配性なのだ。

 でも表情は以前よりもいっそう柔らかいと思う。そう思うのは、想いが通じ合ったっていうフィルターがあるからだろうか。

 ぷっくりと頬を膨らませると、スッと入れ替わるように伸びてきたもう片方の指にツンツンとつつかれる。冷たいグラスに触れていた指は冷えていて私はぴゃっと驚いて口を開きためていた空気を出してしまった。


「ひろみ」

「……なに」

「ごめん。なんかちょっとまだ実感わかない。俺も都合のいい夢を見てるのかも。目が覚めたらきっと、寂しいだろうな」


 なー、と須田が目を細めて同意を求める。そう云う所がズルいって、そう思いながら私はうん、と小さく頷いて自分と同時に彼を喜ばせる。

 今まで誰彼と付き合ってきた中で、こんなに穏やかに幸せだと思えたことがあっただろうか、と幸せを噛み締めるのだった。



    *



 ミルクで煮出した紅茶は紅茶の渋みを柔らかくミルクで包む。その割に香りは残していて不思議だと思う。もちろん、ミルクの香りもするのだけれど。

 須田はブレンドのコーヒーを頼んでいてその匂いもふんわりと、テーブルの上に広がる。


「それで」

「で」

「本題です」

「ん、さっきのは本題じゃない?」


 須田がカップの縁に口を近づけながら不思議そうに私を見やる。それも本題、そう答えるとホッとした様子で、そう、と言いながらカップに口をつけた。


「私、これ以上ない本気なんだけど、須田はどこまで本気ですか」

「……ん? 相川、言ってる意味があんまり……わからない」

「相川っていった! 言質とったぁあ!」

「くぁああ!」


 悔しがり頭を抱えるその目の前で、店主がさらさらと書いたオーダーのメモをぶんどる。今日のルールは須田が私のことを苗字で呼ばないこと。なんとも一方的なルールではあるが、須田が構わないと言ったのでそのまま進めたまでだ。それに人前で、名前を呼ぶとか今はまだ無理。絶対呼べない。

 以前からもたまにこういうやり取りをしているが、付き合いだしてからというもの、どうにも須田が、自分が出さねばと見栄を張るようになった気がしてそこが気に食わない。同じ学生で勉強とバイトに勤しんでいるのだから自分の飲食代くらい自分で出す。

 今回罰ゲームとしては折半か私のおごりだ。もちろんこの店での、飲み物に限るのだけれど。


「ふっはっは! ここの飲み物代は私が持たせてもらおう! 食べ物は頼んだら自腹だから」

「くっ、相川卑怯だぞ。どこまでが本題でどこからが仕掛けだったんだよ」

「全部本題でーす」

「……」


 心底悔しそうにしている須田に、ぺろん、と舌を出してウインクして両手でピースを作ってみれば、彼の目から光がスッと消えてしまった。

 たまに勝ち誇ったらこれだ。少しぐらい楽しみの余韻を下さい。……じゃなかった、これはいかんと内心焦って取り乱し、ひとまず謝りを入れ言い直す。


「……ごめん、今のはちょっと調子に乗り過ぎた。全部本題です」


 しゅんと項垂れると、そっか本題かとさして気にした風でもなく須田が、で? と話を続けるように言った。ちらっと覗くとさっきの呆れた様子はあの時だけだったらしい。ふぅ、ビビった。それにしても、すだのそういうとこときどきこわい。


「で、じゃなくて。須田は、その、家庭持ったり、家族養うとか、考えてる?」

「ひろみ」


 言い聞かせるように一音ずつをはっきりと呼ぶものだから照れくささと緊張が混ざって反応が遅れる。


「ん……?」

「重い!」

「へっ!?」

「俺らまだ学生で、稼ぐ身でもないからはっきり言えない。あと何年も話聞いたりこうやって会ったりはしてたけど、まだ付き合って一週間だから」

「それくらい私が本気ってことだよ!」


 それを聞いた須田が一瞬硬直する。ぱちりぱちりと瞬いて、重いため息を吐いて肩を落とす。


「このままじゃ来週あたりには親と対面? ないわ、だって俺見るからにパッとしないし」

「そんなことないよ! 真面目だし、意思はっきりしてるし、一途だし」

「ああ、うん。そういう風に見せてるだけだから。俺別に相川ほど陰で努力とかしてないよ」


 社交辞令に返すように手を軽く振って苦笑いを浮かべる。そんなことはないだろう、と思うのだけれど今まで見ていたわけじゃないしそこまでまだ須田のことを知っているわけでもないから断言はできない。


「うそ」

「うそじゃないですー」


 飄々とした返しにイラついて、そう言えばと浮かんだこの間のことを言ってみる。


「前に電話掛けた時、勉強してたって言った!」

「あの時はな。いつもしてるわけじゃないよ」

「……須田はそこまで私のこと好きじゃない?」

「どこからそんな話が。けど、あんまりがっついてて重いと逃げられちゃいますよって」

「それは困る……けどいいところはないから引き留められる要素もない!!」

「開き直り! まあ、逃げないけど。俺の心配は紘美が逃げないか、だけどな」

「なら大丈夫! と、思う……須田の本性がよっぽど酷いものじゃなければ」

「さて、それはどうでしょう」


 私がこれ以上は特に言えることもないと解ってか意味深に微笑む。おそらく言葉に詰まって何も言えなくなると思ってか、須田はカップを取って口をつけた。


「そういうのも、知りたい、から、今度泊りに行ってもいい?」


 一応本当に気恥ずかしくもあったし、照れもあって窺うように覗きながらぽそりと呟けば、須田がゴフッと零すまではいかなかったけれどむせていた。カップを置いてテーブルに備え付けてある紙ナプキンを取って口元やらテーブルの上を拭いていた。だからテーブルは濡れてないっての。


「あのな」

「別にナニがあろうとなかろうと、だよ!」

「そう言う意味だけどそういう意味でないと言うか」

「じゃあなに」

「人が口に物含んでる時にそういう話はやめてください」

「別に、泊りに行きたいって言っただけじゃん」

「だからそれが」


 須田でも付き合うとこういう話って焦るものなんだなと思いながら、これはちょっと反応が面白いかもしれないとからかいのネタになったはいいが、数回やると飽きてしまうしそれより先にいい加減にしろとおしかりを受けてしまった。すだ、おこるとおこわい。



   **



(節操のない話をしています。飛ばしても問題はありません)


――――――――――



 そうやって今日の本題もいつの間にかどこかへ行ってしまった。

 相変わらず須田は家の前まで送ってくれる。けど、それだけ。前までとは何も変わりがない。


「じゃあ、また」

「須田」

「ん?」

「ちゅー、しようよ!」

「はぁっ?」

「バイバイのちゅー! いいじゃん! 一週間待ったよ!!」

「あのな」


 くるりと振り返って戻ってくる。お、これはいい感じではなかろうか、と呆れた様子に反して期待に胸を躍らせつつ待つ。


「俺は相川と違って、そういう経験も無いに等しいんだ。……急に言われても困る」

「……」


 無いに等しい、ということはあるのか。童貞ではないのか?

 その部分が気になって言葉を返せずにいると、話を聞いてないと勘違いされたのかぺしりと緩く額を叩かれた。


「いたっ」

「ちゃんと聞いてください」

「須田、そういう経験、ない訳じゃないの……?」


 私の動揺は広がっていくばかりである。童貞ではない、そこに重きはないのだが、だとすればお相手はどんなお方と? 私が知っている限りの須田は私に告白をしてくれていたはずなのだが。あの宣言を告白に含んでいいというのなら、ではあるが。


「……そうやって話題をぽんぽん変えるのは」

「初めてじゃない?」

「なんだよ。別に、紘美ほど遊んでたわけじゃないけどな。……無理やりだったし……むしろ俺が襲われかけたし……いい思い出ではないけど」


 無理矢理襲われただと!? 私でも一週間も我慢していると言うのに、どこのどいつなんだそんな不逞な輩は!


「したの」

「え」

「いれたの」

「いや、おい? ここ外だから」

「いや、いれられたの!?」


 前にも言ったけどと須田が別の意味で焦りだす。これはもうここですべて吐かせておくしかないだろう。この反応からすると相手はお綺麗なお姉さんではなく、お綺麗なお兄さん? はたまた細マッチョなお兄さんなのだろうか?? 新しい世界も開けてきそうではあるが、そうなるとお付き合いを始めたとはいえ、須田の好みは変わっているのかもしれない。

 またしても私のひとり先走りによる勘違いを訂正せずに付き合ってくれているというなんともお粗末な話になりはしないだろうか。


「致しちゃったわけ?」

「最後までしてない!! って、そもそも俺が襲われてんだぞ」

「私もまだ手ぇだしてないってのに」

「え、怖いな。相川、本心がもれてる、漏れてるぞ、もっとこうオブラートにだな」


 あまりの勢いに須田は一周回って落ち着きを取り戻しかけているらしい。

 しかし私がもう止められようもなかった。他の誰かが先にやってしまっているならば、私も同じ轍を踏もう。あえて踏んでいこうと思う。だって許されるはずだ、私たちは相思相愛である。


「なら、私がやっても大丈夫だよね。うん、よし、須田部屋いこ。今、いつ呼んでも押し倒されてもいいように部屋綺麗にしてるから。んで致しちゃおう!」

「ダメだ! 相川何言ってるのか分かってんのか」

「え。子ども出来たら須田逃げらんないよ?」


 そういうことだろう、要するに。責任は取ってもらおうじゃないかと意気込んでいると、須田は少しばかり嬉しそうな困ったような顔をして、ため息をついた。それから落ち着かせるためか、私に華麗なるチョップを繰り出した。痛い。


「いや、それも怖い……って違う。さっきのは俺が悪かったです、嘘ではないけど。俺、未経験だし相川の方が経験してるだろうし、カッコ悪いとこみせらんないし。いやもうここ路上だから、何言わせてんだよ」

「なら、やってなれればいいじゃん! レッツトライ」


 初めてとかそんなこと気にしない! 須田は私が経験済みである事は承知なのだ、それでも変わらずに好きだと言ってくれたのだ。今の私は須田の事がとてつもなく好きなので、須田が経験済みだろうが未経験だろうが気にしない、全く気にしない。

 軽々と言ってみせると、相川はまったく! と呆れた様子。

 それでもずるずると引きずられて部屋まで連れ込むことには成功した。


 まではよかったのだが、須田があまりに萎縮してしまったので、しばらく笑い転げてしまいそれどころではなくなってしまった。

 ただ、そのまま返してしまうのも惜しいので、なんだかんだと理由をつけて泊ってもらうことには成功したので、何もありはしなかったが実質朝チュンとやらを迎えたのであった。

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