第3話 すれ違い

 須田、と呼び出したのはいつの頃からだっただろうとふとそんな疑問か浮かんだのは何時もの如く夜中に目が覚めたある日の事。


「名前は確か……」


 浮かべてその音しか浮かばず、表記もカタカナになってしまったことに思わず嫌気がさしてスマートフォンの電源を入れてアドレス帳を引っ張り出した。互いに登録しあった時にこんな字なんだと軽く考えていた気がする。


「夏撫……こんな字書くんだ」


 眩しい灯りに目をこすりながら画面にそっと触れたところで誤って発信ボタンに触れてしまう。

 慌てて何とか消すことはできたけれど、今ので酷く汗をかいた気がする。

 ふぅ、と息を吐き出しながら、もし履歴が着いてたらと思うと、いつにもまして自分に嫌気が指す。

 そんなことはないか、電源を切って、ぽいっともとの位置辺りに投げてごろりと横になる。


 自分でも驚くくらい遊びが減った、彼氏いない歴も二ヶ月突入と言う異例ぶり。須田はその事について、まあそういう時もあるんじゃないの、とへらりとのんびりとしている。

 それもそのはずで、ここに来て自分が須田の事を気にし始めているいや、たぶんおそらく好きだと思うことに気が付いた。

 だってそうだ、悩んだときに相談できるのは須田だし。友達や彼氏には言えない愚痴や文句を聞いて欲しいのは須田だし。淋しいときに会いたいと一番に浮かぶのは今付き合っている彼氏ではなく、いつも須田なのだ。今考えてみたら、一番よりかかって本音で話せていたのは須田だった。


「頼ることはイコール好きにはならないけど」


 傍に居て欲しいと思うのはいつだって須田だ。これは両想いなのでは、と急に気分はまるで少女漫画に突入して薔薇でも背負ってしまうのだが、ここでふと思い出してしまう。

 そう思ってくれるだけでいいと、須田は私とどうにかなりたい訳じゃないのだと言っていた。思い出した途端に気分がしぼんでしまうのも仕方がない。


「だー! でも須田は私のズルいところも面倒なところも、言えばマイナス面ほとんど知り尽くしてるんだ……!」


 後悔の渦はぐるぐると大きくなる。いっそうのこと打ち明けてしまいたい。

 そこで私の気持ちを思い出す。

 悪いことなんて何も起きない、起きるはずがないのだ。


「だって須田、私のこと好きじゃん!」


 思い立ったら今悩んだあれこれがバカみたいに思えてくる。

 ゴロゴロとのたうち回るのをピタリと止めてむっくりと起き上がる。

 そうだ、伝えてしまえばいい。そうしたら色んなことがスッキリするような、そんな気がしていた。



 それから告白はいつにしようと考えて、いつもの通り思いつきで電話をした。

 数回のコールの後、もしもし、と少し余裕のある応答がある。こちらは告白するための呼び出しの計画を詰めるためにといつもより少しだけ気分が高揚と緊張をしているというのに。



「どうした?」

「あ、あの、ね」

「うん」

「今度、須田が休みの日っていつかなって。え、と。ご飯、とか行かない?」

「次? えーと、ちょっと待ってな。手帳手帳……」


 んー、と唸る声とがさがさと手帳を探す音と、あった、と嬉しそうな声、それからパラパラと捲っていく微かな音が聞こえてくる。


「ちょっと先になるけど、再来週の土曜ならまだ空いてる。けど、そんな先じゃ困るよな?」

「再来週。ううん、大丈夫! じゃあ、その日は空けといてね! 絶対!」

「相川、なんか嬉しそうだな。嬉しい事でもあった?」

「え!?」


 慌てて考えるけれど、うまい言い訳がうかばずにしどろもどろに答えてしまう。


「はは、珍しいな」


 かわいい、といつものように言うけれど今までと違うのは私が気持ちに自覚してしまったことだ。

 今まで何とも思わずに、社交辞令として聞いていた、誰彼にだって言われる言葉がこんなにも嬉しいものだとは思わなかった。

 急に照れ交じりの笑いが漏れる。


「そ、そんなことはないって! いつも通りだし」

「そうか? まあ、そんなに浮かれてるんだ。よっぽどいい事でもあったんだろうな、楽しみにしてる」


 今日の用事はそれだけ? と何気なく聞かれてもうひとつ、と思わず声が上がる。

 これだけは聞いて置きたかった。


「須田って今、彼女居ない、よね……?」

「ん? なんだ急に? 居ないよ、作る気ないから」


 手帳に書きこんでくれているのか、ペンの走る音が聞こえる。

 いつもそう。須田はいつも、良い答えをくれてから、こちらにとってあまり良いとは言えない言葉も添えてくる。


「つくるき、ないって」

「ない。別に今充実してるし、縛られるのめんどくさい」

「なにそれ」

「あ、相川のことを悪く言ってるわけじゃないからな。俺はそういうのが必要ないってこと。相川は相川で好きなだけ恋をして、経験して、家庭もってくれたらいいよ」


 うん。やっぱり須田ってこういうやつ。無防備な私に対して正面からドスッと槍で突いてくる。今まで気にしたことが、一度もなかったけれど。

 けど、そう言われたって好きだし。須田だって私の事好きなんでしょう?


「うん。家庭はわかんないけど、今までで一番、本気だしていくから」

「今までで一番の本気か、よっぽどなんだな……」


 楽しみだと言う感情を含む声に混ざり込んだ安心にも似た寂しさのようなものがじわりと響く。

 勘違いを、してくれているだろうか。他の誰かをまた好きになったのだと、勘違いをしてくれて。

 そう思うと、今すぐに伝えてしまいたい衝動に駆られたけれど、ぐっとこらえる。

 今日はその為じゃないし、ちゃんと、面と向かって伝えて、反応をみたい。そうして、答えが欲しい。出来れば、イエス。


「うん。いつもとね、違うの。好きだなって気付いたら、その人の色んな事を知らないのが嫌になったし、会いたいって思うようになった。いつも、その人の事ばかり考えてる」

「……そっか。よし、じゃあ次会う時は進行具合聞くのと、進捗によってはお祝いか。楽しみだな」

「うん!」


 声はいつも通りなのに、ねえどうして。

 急に声が遠くなった気がした。


「あ、ごめん! なんか宅配来たみたいだから切るな」

「え、うん。大丈夫、再来週、忘れないでよね」

「わかった。食いたいもん目星つけといて」


 そう言って須田は珍しく電話を切った。

 ツーツー、という音が空しくなって、スマートフォンの電源を切る。

 ごろりとそのまま横になって、手に持ったままのスマートフォンの真っ暗な画面をみる。


 ねえ須田。

 今ウソついたでしょう。

 だって呼び鈴ならなかったもの。宅配なんて、来てないよね。

 いつだって長電話に付き合ってくれる須田が、珍しく電話を切りたいと思ったんだ。


 ねえ、なんで?

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