これは恋じゃなくて愛。
草乃
第1話 真夜中コール
遊ぶ友人には不自由したことがない。周りから人が居なくなる事の無い、わりと恵まれた人生だった。ただ、親友と呼べる人物が居るかはちょっと疑問が残る。でもそのくらいだ。
ただその縁は、時限のあるもので人生の節目ふしめに切り替わっていく。幼稚園から小学校、小学校から中学校、中学から高校、高校から今現在の大学時代へと。
高校から続いている交友関係はそのほとんどが途切れてしまっていたその中で、珍しく今でもやり取りを続けている人物が居た。
言っても彼とは特別な関係になったこともない。そもそも他校だった為にそれほどの頻度で会うこともなかったように思う。考えてみると、会って話したことは数回、ほとんどのやり取りがメッセージアプリか電話だ。
男子と女子ではまた違うのだろうけれど、部活は同じバレー部で。学年も同じ。声を掛けたのは私だった気がするけれどその辺りはぼんやりとしている。部活もさほど力を入れていた訳じゃないから、大会で会うことも稀だった。
ずっと昔から、それこそ幼馴染と言えるような関係にも似ていて、彼と居る時にはいつもみたいに自分をうまく作り上げられたことがなく、そんな私でも彼は話を聞いてくれたし全く関係ない愚痴もたくさん聞いてくれた。私からすれば不思議な関係だった。
都合が良すぎるのでは、と思った時期もあった。だって彼には下心があったはずだから。けれど彼は何の気なく、いいよ、という。
「付き合いたいなんて言わない。相川が、気楽に愚痴を言えて息抜きできる、相川にとって都合のいい人物でありたいんだ」
それなら、とそれ以上は何も言わなかった。
妄想するなら妄想してくれても構わない。そんなもので私はすり減りはしないのだと言えば、軽々しくそんなこと言うなよ、と彼は珍しく心配した様子で忠告した。
私の周りで私にそんなことを言える人は数少なく、そんなところにも少しばかり気を許してしまっていたのだと思う。
ふとした時に浮かぶのが須田だった。
「反応できないときも、あるかもしれない。でも、出来る限り気付いたら返事はする。電話でも、呼び出しでも構わない。相川が傍に居て欲しいと思った時にもし、俺が浮かんだなら。俺は出来る限り君の傍に、居たいと思っているから」
そんな言葉をくれたのは彼が初めてだった。だからこそ印象に残っていたのかも、なんて思いながら電気も点けないでスマートフォンの電源を入れる。眩しさに目を細めながら、感覚だけで着信履歴を呼び出した。
眠りに落ちていたはずなのにどうしてか目が覚めてしまった。時間を確認したところ、一時は回っているから、軽く二時間ほどは眠っていた事にはなるけれど。
タップしようかしまいか迷っている間にうっかりと画面に触れてしまう。画面が切り替わり、小さく呼び出し音が聞こえる。
出て欲しいのか出て欲しくないのか、自分でもわからないままコールを聞いてじっと待つ。
何よ、出ないじゃない。
ごろりと寝返りを打って天井を仰ぐ。視界が慣れてきて天井の木目くらいは見えるようになる。
拗ねる反面で、こんな女に利用されて彼だって疲れているんじゃないかと珍しく弱気になってしまう自分もいる。だって、私は彼を都合の良い時に利用しているだけだ。
いい人が居ればその人と遊んでいる、別れて寂しい時わがままを相手になかなか言えない時だけ彼と連絡を取る。夜中に目が覚めて電話やメッセージを送るなんて以ての外。最低な事をしている自覚はあった。
私が男なら、こんな女は真っ平ごめんだ。早々に連絡先を消してしまう。
ゆっくりと慣れ始めたコールに瞼を閉じて聞きながら、こんな時間だもの、出るわけがない。そう思って耳から離した。終了のボタンに触れるだけで終わるのだと、明日文句と謝りのメッセージを送っておけば問題ない。
そう思って画面に触れようとした瞬間、通話時間が表示されて、動き出す。どきりと胸が跳ねた。
「もしもし……どうした?」
そんな寝起きの声がささやかに、聞こえてきたから慌ててスマートフォンを耳に当てた。
この時に、素直に起こしてごめんと言えたなら。どれだけいいだろうと考えはするけれど。口から出るのは可愛くない言葉。
「おそい」
「ごめん、勉強してたつもりが寝落ちてた。起こしてくれてありがとう」
「……そんなつもりじゃない、けど」
寝ていたのは声からも分かる。けど、彼が勉強して寝落ちていたかはわからない。彼はいつも私が起こした事を気にかけないようにいつも理由をくれる。
そうとわかっていても、素直に私が起こした、ごめんなさい、と言うことが出来ない。
ねえ、それでもいいと言ってくれるのはどうして。聞きたくて仕方がないのに聞きたくない自分がいる。
「そうなの? でも助かったよ。だからありがとう」
その言葉にいつもの、ふんわりと目を細めて笑う彼の顔が浮かんだ。キュッと、胸が締め付けられるように痛くなる。
自分から掛けておいて用事がないというのは些か恰好がつかない。会話のきっかけになる取っ掛かりを探して、そうだ、と口にする。
「勉強、何してたの?」
「ん? ああ、レポート纏まってなくて。まあ、俺の事は良いよ。こんな時間に電話、どうした?」
彼はいつも自分の話をやんわりと横においてしまう。そうやって彼自身の事よりも、私の話が聞きたいのだと話の流れを変える。
私はその態度に、優しさに、甘えている。
そうやって、私は何一つ彼の事を知らないのに、自分の事はぽろぽろと話してしまうのだ。寂しいから。
けれど最近、私が彼の事を表面上のほんの少ししか知らない事に気付いて、胸が苦しさを覚えた。
「ちょっと、誰かの声が聞きたくて」
「俺で良かった?」
すまなさそうに聞き返すその声に、ほんの少しだけ乗せられる安堵が心地いいのだとは教えてあげない。
「良くなかったら掛けてないと思うけど」
「だな。ごめん、変なこと言った」
苦笑を零す声が耳に響く。
ぽつりぽつりととりとめのない話をしていく。意味のない言葉が飛び交って、明日への不安がまだ暗い夜の部屋を泳いで。こんなにも狡い私に穏やかで優しい時間が過ぎていく。
真っ暗な一人の部屋がとたんに二人の世界になる。この瞬間が、好きだった。
この気持ちを、何と呼ぶだろう。
付き合っている人は他に居る。遊ぶ友達だってたくさんいる。街に出れば声を掛けられて、身体の関係だけを持つことだっておかしいことだとは思わない。
それでもその人たちは、作られた私しか知らない。飾られた姿しか知り得ない。
お化粧をして、癖のある髪には時間を掛けてセットして、常に流行にのっかった衣装を身に着けて、小さなアイテムにも気を使う。
虚勢を張って演じる、余所行きの自分を。それが彼の前でだけはどうしてか装えない。
その意味が分かれば。この胸につかえた塊もぽろりと消えてしまう様な気がしている。
いつの間にか起き上がって膝を抱えて布団の上に座る。指でくるくると髪を弄びながら電話に集中する。
「相川、もう三時回ってる」
「え」
あ、と何かに気付いた様子で声を上げた彼が時間を告げた。どうやら彼は時計を見ることのできる環境に居るらしい。
電話を掛けてから一時間以上経っている事を告げられて同時に、もう終わりなのかと残念な気持ちがふわりと浮かぶ。
お互いに沈黙して少しの間、音が途切れる。
「相川は女の子だから。えっとなんだっけ、夜寝てないと肌が大変だって前に言ってたよな」
「……別に。今の彼とももう別れちゃうだろうし」
「そっか……別れちゃうのか。ちゃんと話はしてんのか? してないならちゃんと話ししろよ。……俺は相川に素肌美人でいて欲しいよ。だから、ちゃんと睡眠とって、な」
恥ずかしがるでもなく耳に響いた声に、とくんとまた胸が打たれた。じわりじわりと恥ずかしさが湧いて、素肌だけ美人でも性格が悪いから関係ないんですー、とつい意地になってしまう。どうにか顔に集まってきた熱を冷ましたくて空いている方の手でぱたぱたと仰ぐけれど追いつかない。
「今度はさ、その自称悪い性格も含めて好きになってくれる人と付き合えるといいな」
私の言葉に笑った後、少しだけ間を空けて言った彼の言葉に、冷や水を掛けられたような気持ちがした。火照っていた顔からスッと熱が引いていく。
彼はいつもそうだ。そうして私個人が幸せになれという。
そうしてその幸せの範囲に、自分は含まれていないのだと、線引きをする。
「まだ別れてないけど。……でも大丈夫よ、だって顔もスタイルも文句言えないもの」
「本人がその気なら大丈夫か」
「須田に心配なんてしてもらわなくても大丈夫だから! 電話、出てくれてありがとう」
彼は私の事をちゃんと見てくれている、知っている。
ねえ、それなのに。
「ああ、うん。こっちこそ、起こしてくれてありがとう。もうちょっとだけやって寝ることにするな」
「……うん。……がんばって、ね」
返事を待たないでスマートフォンを耳から離して終了ボタンを押す。
電源ボタンも押して灯りを消すと、静かになった部屋に急に一人だけ取り残されたような気持になる。
須田は気付かない。気付いてない、フリをするのか本当に気付いていないのか。
優しいからこそ感じる、突き放されたような気持ちになる時がある事。
あなたは知らないでしょう?
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