(14)
「横井さんは、俺が最初から店を継ぐつもりじゃなかったのは知ってるだろ?」
「存じてます。ご両親が廃業を決めたのに反発したとうかがってますけど」
「違うんだ」
猪口の中の酒をすいっとあおって、店長がゆるゆる首を振った。
「違う。俺は……逃げたんだよ」
「は? 逃げた、ですか?」
「そう。俺は店なんか継ぐつもりはなかった。親父たちも店を継ぐことには反対していた。おまえの好きなようにやった方がいいってね」
「知らなかったです」
「大学出てから、中堅の不動産屋で営業をやってたんだ」
「うわ! そうだったんですか」
「ははは。押しが強くないと営業なんかできない。俺の態度のでかさは、その時に染み付いちまったってことだな」
「へえー」
往時を思い出すように、店長が上目遣いになる。
「俺は……仕事は嫌いじゃなかったよ。土地家屋を売りたいという人から買い、それが欲しいという人に売る。商売としては至極真っ当だ」
「ええ」
「ただ……不動産売買の世界も土地余りでどんどんシブくなってるんだ。売り手ばかりが多くて、塩漬け物件が積み上がる。購買者も、現物がだぶついていれば俺らの足元を見る。もっと安くできるだろってね」
「そうですよね」
「だから営業には強いプレッシャーがかかるんだよ。できるだけ安く買い叩け。できるだけ高く売り抜けろってね」
「ああ……」
俺も、思わず店長と同じように首を振ってしまった。
「店長、娘がね」
「娘さん?」
「ええ。ここでバイトを始める前まで勤めていたリサイクルショップで、店長と同じことを感じたんだそうです」
「ほう」
店長が、ぐいっと身を乗り出す。
「同じ、かい」
「はい。要らないというものを買い取って、それを修理、清掃して価値を上げ、買いたいというお客さんに売る。商売としてはとても真っ当です。でも」
「うん」
「そこの店長が売らんかなの人で、とにかく在庫を置きたがらない。安く買い叩いた端から、さっと高く売りぬける。商品のケアや価値なんざどうでもいい」
こっくりいい感じに煮上がった大根を皿に乗せ、箸で割る。まだ味の染みてない硬い大根も、ほとんど煮崩れてしまった大根も、具としては同じ『大根』だろ。そんな薄ら寒い感覚に支配された経営者が存在することを、店長の話で再度思い知る。
「古物商としての原則論を守っていたって商売にならない。そういう店長のえげつなさが、競争の激しいリサイクル業界で生き残るために必要だってのはわかりますよ。でも」
「うん。だからと言って、品物のクオリティを無視してただ回転を上げるだけのやり方はおかしい。そういうことだろ?」
「ええ。娘は、働いている自分もそういうモノの一つとして扱われていると感じてしまったんですよ」
「ああ、わかる。わかるなあ」
しみじみと、店長が呟いた。
「娘さんとも一回膝詰めで話をしてみたいな」
「はははっ」
「俺も、全く同じように感じたんだよね」
「うん」
店長がテーブルの上に乗せていた右拳をぐっと握りしめる。その拳に血管が太く浮き上がった。
「何を甘っちょろいことを言ってる。生馬の目を抜く覚悟でやらないと、食っていけないぞ。感傷なんざ、いの一番に捨てろ。冷徹になれ」
「そう言われたんですか?」
「俺にだけではないけどな。でも、顧客をだまくらかして利ざやを稼ぐようなやり方は、どうしても我慢できなかった。感情を殺したロボットになれ。そういうロボットとして働け。それが働くということなら、俺には絶対働けない」
「それで、辞められたんですね」
「そう。ちょうど親父たちがさのやを閉めるっていう話をしてたから、俺が継ぐって手を挙げたんだ」
なるほどな。さのやの窮状を案じてということではなく、店長が思い描いていた理想の職場像を実現する素材としてさのやがあったということか。
「ご両親は反対されなかったんですか?」
「驚いてたよ。場末のスーパーの経営者なんざ絶対に嫌だと言ってたのに、どうしたんだってね」
「わははっ!」
「小売りのことなんかこれっぽっちもわからない。人の上に立ったこともない。ないない尽くしの俺が、いきなり経営者なんかできるわけはなかったんだ」
「でも、今見事に盛り立ててるじゃないですか」
「ははは……」
店長が苦々しげに小さく笑った。
「それは、俺が優秀だからじゃない。親父たちと一緒にやってたベテランスタッフが恐ろしく優秀だったからなんだ」
「なるほどっ!」
ぬるくなった酒を手酌で猪口に注いだ店長が、それをぽんと口の中に放った。
「もちろん親父たちにもいろいろ教えてもらったが、よちよち歩きの俺をまともに歩けるようにしてくれたのは、間違いなくベテランスタッフなんだ。特にノリさんには頭が上がらない」
「金銭関係、しっかりしてますものね」
「そう。堅実で全体をよく見てる。親父たちも、ノリさんがいるからここまで続けられたって感謝してる」
「わかります」
「ただ……」
空になった猪口を握りしめたまま、店長がじっとおでん鍋を見つめる。前に俺に言いかけた「ただ」。その続きが語られるんだろう。俺は、店長の口が動くのをじっと待った。
「俺は不動産屋の営業という使われる立場から一国一城の主になったはずなのに、自由に身動きができない。いつもいつまでも何かに使われている感じがする。それがすごく息苦しいんだ。そこがどうしてもすっきりしないから『俺はさのやに逃げ込んだだけ』という劣等感が抜けない」
やっぱりか。俺の危惧していた通りだったな。
「確かに、それは娘の感じている違和感とよく似ているかもしれません」
「だろ?」
視線を上げた店長が、俺の顔をじっと見つめた。
「横井さんは、どうして前の会社を辞めたの?」
「そうですねえ」
俺も、猪口に残っていた酒をひょいとあおった。飴色の大根を口に放り込んで、もぐもぐと咀嚼する。
「片思いがとうとう破れたから……かな」
「ほう? 片思い、ですか」
「ええ。ソフトウエア開発会社として名の通っている大きな会社だったから、採用が決まった時には有頂天になったんですけど」
「うん」
「それは結局私の片思いだったんですよ。二十年間ずっと」
店長の箸が止まった。俺の目をじっと見ている。
「会社が、こんなカレシがかっこいいなあ、好きだなあと考えている理想像から、私はほど遠かった。もちろん、彼女の求める理想像に近づくように努力はしましたよ。でも、努力の方法がズレてた」
「ズレてた、かあ」
「そうなんです。私はマメさを売りにしようとした。彼女のオーダーには必ず応えようとしてきた。でもね、彼女が本当に欲しかったのはそういうカレシじゃなかった」
「うわ」
「そこにいるだけでぴかっと光るオトコ。びびっと来るカレシ。そういうのが欲しかったんでしょう」
今なら、苦笑とともに自分の滑稽な報われない努力を思い返すことができる。
「そりゃあ、私だって気づかないわけじゃないです。彼女にとって、私はタイプじゃないんだなってね」
「うん」
「でも、変なところにプライドを使っちゃったんですよ。彼女に気に入られないなら、気に入られるまでがんばって見せるってね。それは社のためじゃない。自分のプライドを満たすためです」
「ああ、彼女はそれを見抜いてたってことか」
「はい。だから、タイプじゃないのにストーカーのようにつきまとう私を突き放しにかかった。社にとっても私にとっても最悪でしたね」
どう反応していいのかという風に、店長が片方だけ口角を上げた。
「でもね、さのやでは違う」
「ほう」
「私は、最初ゼロなんです。ゼロだから、相手に気に入られるためにどうするかじゃなく、どんな自分を作ろうかなと考えられる。何も知らない門外漢ですから、変なプライドを持ち出す必要もない。自分も仕事も初めから『創る』ことができるんです」
「いいね」
ふっと笑った店長の下がった目尻を見て、ほっとする。
「でしょう? 正直言って、こんなに仕事との相性がいいとは予想してなかったです」
「うん。そう言ってもらえると、すごく助かる」
「店長の運営方針は基本に忠実で、至極真っ当です。誰がなんと言おうとね。それはスタッフ全員がよくわかってますよ」
「そうか」
「だからこそ」
「うん」
俺は率直に言うことにした。
「今の店長は、すごく危なっかしいです。今にも倒れそうで」
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