アルマナイマ博物誌 パチャラと龍の片目

東洋 夏

ch.1 パチャラ、美しきセムタム

 生き物は、これほど美しくなるのだろうか。

 そう、アムは思った。心は視線の先にいる少女――いや、もう<成人の儀>を終えたのだから、海の民の掟に従って「女性」と言うべきだ――に向かっている。

 アムは言語学者であり、見つめる先の女性は研究対象である。けれども彼女に対する評価においては、その要素がひいき目を生んでいるのでは絶対にないと言いきれた。この汎銀河系数億の知性体の誰が見たって、彼女のことを美しいと言うだろう。

 潮風と常夏の日光にさらされてなおティーンエージャーらしく瑞々しい肌に包まれた体は、一ミクロンの無駄肉をも許さないという毅然とした態度で頭の天辺からつま先まで整っていた。

 下半身にはズミックという海藻繊維のズボンを穿いているが、上半身はほとんど裸体である。わずかに胸を締め付ける帯を着けているものの、それは羞恥や民族文化的なタブーに基づいたものではなく、ただ乳房が邪魔だからだ。

 背中には彼女が成人であることを示す刺青オルフが縦一列に彫り込まれている。

 刺青オルフは藍、海龍神の加護を願う色の墨で染められていた。

 そのエスニックな模様の上に紫がかった黒髪が流れて、穏やかな海風に毛先を遊ばせている。

 風すらも彼女に遠慮しているようだった。いつもならば浜に向かって強風が吹き、カヌーの進水を難しくしているというのに。

 同じ生き物だとは思えないほど、彼女は美しい。

 あなたが言葉遣いの正確性を求める可能性を考慮して書き加えておくと、厳密に言えばアムと彼女は同じ生き物ではないけれど、そこは許していただきたいと思う。頭の数も目の数も手足の指の数も同じ、共に二足歩行の人間型知性体であることは間違いないのだから。

 今、アムは浜辺の小道に立って彼女を見ている。

 ほとんど魅入っていると言って良い。

 彼女の方は珊瑚砂の積もった真っ白な浜辺にすっくと佇立し、少なくともアムがその小道に立ち入ってから三十分はゆうに立ち続けていた。

 右手にはセムタム族愛用の銛を持っている。

 海洋放浪民の通例どおり、彼女は戦う女であった。

 セムタムは銛で、魚も肉食亀も十メートルを超える龍であろうと突いて獲る。

 彼女は鋭敏な感覚できっとアムの視線を感じているのだろうが、こちらをちらりとも見ようとしない。

 じりじりと真夏の太陽が彼女の肌を焼いていくものの、彼女が誰にも話さない固い決意か何かを動かせるほどの強さではないようだった。ただし汎銀河系のやわな人類であるアム、電子機器とホバーカーとジャンクフードに慣れ切ったアムは、同じように三十分立っていたら熱中症か日射病で倒れることを保証する。

 ともかく、そのように海の世界の戦う女は、神話世界を写し取った古代地球の彫像めいて、白砂を素足で踏みつけていた。

 ひょう、と声がしてアムは樹冠の上を見る。

 島の高いところから飛び立った猛禽が、海に向かって滑空を始めたところだった。

 風きり羽の見事に生えそろった個体。

 この星の空においては龍に次ぐ捕食動物として生きている鳥。

 何の瑕疵も無く生えそろった羽は強者の証であることだろう。

 アムが目で追っていると、猛禽の腹に、ふつ、と銛が立った。

 鳥は一声鳴くと茶色い塊になって真っ逆さまに落ちて行く。

「わお」

 と、思わずアムは歓声を上げ、咄嗟に口を覆ったが遅かった。浜に落ちた猛禽を拾い上げた海の女は、その手に握った銛の先と同じくらい鋭い目で、きりりとアムを睨む。

 満月の色をした濃金の瞳。

「ああ、その、ごめんなさいパチャラ。決してあなたの邪魔をするつもりじゃなくて、ただ凄くあなたが美しかったから息をひそめて見ていただけなんだけど」

「黙ったら」

 これからの大一番に備えて薄紫の紅を塗った唇が、そういう形に動いた。

「ごめんなさい」

 アムが重ねた謝罪は無視される。

 海の女パチャラは髪をひとつにくくるとアムに背を向け、銛の先に猛禽を据えたまま、重力を感じさせない独特で優雅な歩調を刻んで何処かへ去って行った。

 フィールドワークはアムの研究の主戦場ではあるけれども、流石に後を追う気は起きない。

「うーん、相変わらずクールだわ」

 来たばかりの小道をアムはとぼとぼと引き返した。

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