第6話 サイレントナイト
はっきりと本人の口からそう聞いたわけではないが、恐らく莉緒は俺のことが好きだ。
百歩譲って……いや百万歩譲ってそう考えれば、これまでのぶっ飛んだ行動にも説明がつく。
莉緒は普通じゃない。
いや、莉緒の普通は普通じゃない。
莉緒はあのキャラを演じているわけではなく、ナチュラルに狂っているのだ。
……つまり無自覚で、自分がぶっ飛んいる感覚もない。
そして今、この建物内には、俺と狂気の女、莉緒しかいない。
……ぶっちゃけ、俺は身の危険を感じている。
これまでの莉緒の行動パターンを考えれば、莉緒は必ずこの部屋に来る。
……もちろん夜這いを仕掛けに。
この状況下で、既成事実まで作られてしまうと、もう俺には
だが幸い、この部屋には窓があり、今夜は満月だ。
最悪の場合、月明かりを頼りに逃走を図ることもできるだろう。
俺はベッドの中、不安な一夜を迎えた。
***
一方、莉緒は——————
はっきりと本人の口からそう聞いたわけではないけれど、楠井君は私に好意を抱いている。
だってあの熱い視線……いま思い出すだけでもドキドキしてくる。
でも、残念なことに彼はとってもヘタレ。
百歩譲って……いえ百万歩譲ってそう考えると、これまでの消極的な行動にも説明がつく。
でも、安心して楠井君、私は寛容よ。
あなたがヘタレ……いえ、ヘタレ中のヘタレであっても大丈夫なように、一つ屋根の下に住んであげたのだから。
あなたがいくらヘタレでも、流石にこの状況なら来るでしょう。
……もちろん夜這いを仕掛けに。
今夜は満月よ。
男の本能がたぎるでしょ?
だから我がグループの職人を総動員して、今日に間に合うように内装工事を終わらせたのよ。
さあ、来なさい楠井君。
あなたが想いを寄せる、九条莉緒はここよ。
***
再び真——————
俺と莉緒が、リビングで別れてから数時間が経つ。なのに莉緒はまだこの部屋に現れない。
それどころか、何の気配も感じられない。
……どういう事だ?
これまでの莉緒の行動を考えると、そろそろ何かしらの動きがあってもいい頃合いだ。
なのに何のリアクションもない。
……いったい何を考えているんだ莉緒。
まさか……眠ってしまったのか?
俺の考え過ぎだったのか?
……いや違うな、莉緒の狙いはそれだ。
“莉緒は眠ってしまった”
俺にそう考えさせることで、油断を誘っているのだ。
流石というべきだろうか……恐ろしいやつだ。
***
再び莉緒——————
遅い……遅い、遅い、遅い、遅い!
何をやっているのかしら楠井君は……もうリビングで別れて数時間は経つわよ。
なのになぜ、彼は未だに姿を現さないの!
……まさか、私が来るのを待ってるとか言わないわよね?
……いくら楠井君がヘタレで察しが悪くても、昼間のやりとりで“来るならあなたから来てね”ってことは伝わっているはずよ。
事実、楠井君は“ありがとう”って答えたわ。
焦らしてるの?
もしかして、焦らしてるの?
焦らした上で燃え上がるような愛を語ろうっていうの?
もしそうだとしたら……楠井君、侮れないわね。
***
またまた真——————
午前2時……莉緒はまだ俺の部屋に現れない。
俺は困惑している。
非常に困惑している。
これまでの莉緒の行動の速さを考えると、流石にこれは遅すぎる。
ま……まさか、俺の勘違いだったとでもいうのか?
実は莉緒は俺を好きじゃなかった。
ただ俺が過剰に反応して、こうやって眠れぬ夜を過ごしているだけなのか?
……めちゃくちゃ、恥ずかしいじゃないか。
何が“莉緒は俺のことが好きだ”だ。
自意識過剰も
もしかして……この家での同居も、本心から、俺と優里亜のインモラルな関係を心配してくれてのことなのか?
……しかし、好きでもない男のために、何故そこまでしてくれる。
……俺が助けたからか。
ぶっ飛んでると見せかけたのは、俺に気を使わせないためなのか?
莉緒……実はすごくいいヤツなんじゃないだろうか。
***
またまた莉緒——————
く〜す〜い〜く〜〜〜〜ん。
もう2時よ!
本当にどうなってるの!
なんでこないの?
いくらヘタレでも、好きな子と一つ屋根の下にいたら
『ごめん、起きてる? なんか眠れないんだ……すこし話さない?』
ぐらいの誘いはあってもいいんじゃないの?
まさか、勘違いだったとでもいうの?
実は、楠井君は私のことが好きじゃなくて、私が一方的に勘違いしていたの?
なら、あの熱い視線は何だったの?
なんで危険を冒してまで私を助けてくれたの?
なんで私のワガママを受け入れてくれたの?
……そっか……優しいからか。
彼は誰にでも優しいのかもしれない。
だって……あんなだらしない女の面倒を見ていたぐらいだもんね。
楠井君……なんだか胸が苦しいよ。
***
またまたまた真——————
午前4時、もう空が白み始めた。
だが俺は寝れないでいる。
莉緒が、夜這いを掛けてくる可能性を拭いきれないからだ。
様子を見に行くか……ていうか最初からそうしていればよかった。
俺は自室の扉に手をかけた。
***
またまたまた莉緒——————
午前4時、もう空が白み始めた。
でも私はまだ寝れない。
楠井君がこの部屋に来る期待を捨て切れないでいる。
ていうか、様子を見にいけばいいんじゃない?
最初からそうしていればよかった。
私は自室の扉に手をかけた。
ガチャ……
「「あ」」
扉を開けた瞬間、
莉緒と、
楠井君と、
思いっきり目があった。
「り……莉緒」
「く……楠井君」
「どうしたの」「どうしたんだ」
「「こんな時間に」」
「「あっ」」
なんか……、
なぜか……、
安心した。
「……莉緒のことを考えていると眠れなくてな」
「……偶然ね、私も楠井君のことを考えていて眠れなかったの」
「こんなことなら、もっと早く声を掛けていればよかったな」
「本当ね……折角だから下で少し話さない?」
「うん」
俺は、
私は、
意識し過ぎていたのかもしれない。
莉緒は、
楠井君は、
やっぱり俺のことが、
やっぱり私のことが、
好きだ。
俺たちは……、
私たちは……、
リビングで少し他愛もない話をしてから眠りについた。
「「眠っ!」」
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