月の悪魔と水銀灯

シジョウハムロ

第1話

 カリカリとペンを走らせる音が静かな部屋に響く。

 タイプライターは使わない。理路整然と並んだ文字は美しくはあるが、清書の時に使えば十分だ。何より、こうやって文字を書く方が考えがまとまる。


 不意に、窓から月明かりが差し込む。目を向けると、ちょうど雲が途切れ、月が顔を出していた。……綺麗な三日月だ。


 少し眺めた後、またペンを走らせる作業に戻る。すると今度はガチャリ、ギイ、と部屋のドアが開いた。何が楽しいのか控えめに鼻歌も聞こえてくる。


「…………家主が居留守を使っているのだから大人しく帰るのが道理というものではないのか?」


「その理屈だと、私はいつまでたっても締め出されたままじゃん。」


「ああ、そうするために居留守を使っていたな。」


「ひっどーい!」


 さっさと帰ってくれて構わないから言ってみたのだが、結局軽口の言い合いで終わってしまった。帰るつもりは無いらしい。

 

 ……戸棚のほうで何かしていたようだが、それも終わったらしく、静かな部屋に鼻歌の続きが響く。

 それを聞くともなく聞きながらペンを走らせていると、コトリ、とティーカップが置かれた。……緑色のお茶か。


「こんな物、買った覚えは無いが?」


「もう、こんな可愛い女の子がお茶を淹れてあげたっていうのにお礼の一つも言ってくれないの?」


 そういう彼女は人間に近い容姿でありながらその頭からは角が生えている。比喩表現などではなく事実として。

 ……ついでに言うと美少女であるのも事実だ、認めるのは癪だが。


「自分で言っていたら世話ないだろう。……まあしかし珍しい物は見れた、ありがとう。」


「……はあ、まあ、良しとしましょう。」


 とにかく、お茶が冷めてしまっては勿体ないので早速一口頂く。……独特な味だ、苦みと似ているが少し違う、だが香りも相まって中々悪くない。


「ところで、何書いてるの?」


「今の理論体系による錬金術で鉛を金に変えようとする行為が如何にナンセンスかを示す論文だ。」


「ああ、うんざりしてたもんね……、でもその『ナンセンスな連中』はこの論文読むの?」


「まさか、読むわけないだろう。いまだに固執しているのは現実を認められない奴と一獲千金の夢に踊らされる阿呆だけだ。そんな者達の中にこの論文を読む者がいるとは思えない。……ふむ、取り敢えずはこれで完成か。」


 そもそもこれを書いているのは『ただ書きたかったから』だ。

 正確に言うとこの論文は「現在の理論体系における錬金術の限界」についてまとめたものであるが、これを提出し、認められれば、ついでにそういう連中と余計な議論をする前に「論文を読んでから文句を言え」と言えるようになる。―――ああ、これで厄介事ともおさらば……できると良いのだが。


「うわあ、よく書いてるなあ……、理論に間違いもなさそうだし。」


「君のお墨付きが貰えるなら問題無さそうだな、今週中には清書して発表できそうだ。」


「……ねえ、やっぱり私と契約してみない? 私の知識があれば2,30年くらいは時代を先取りした研究ができると思うんだけど。」


「以前も聞かれたが答えはノーだ、人の手で蓄積された知識である事にこそ意義があるというのが俺の持論だよ。そもそもなんて手に入れた日には何を対価に要求されるか分かったもんじゃない。」


 ……そう、彼女は悪魔だ、比喩表現などではなく、人を誑かし、魂を喰らう悪魔だ。

 私は、何故かその『月の悪魔』に気に入られ、我が家に入り浸られ、偶に契約しないかと持ち掛けられては断る、今はそんな生活を続けている。


 これから語るのは、そういう物語だ。

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