53「アリシア様が怒りました」②
「――な、なにをするのよっ、この小娘!」
「お子様が亡くなったばかりですのに、悲しむどころか、お金の無心なんて――あなたは本当に母親なのですか!?」
サムたちは、明確な怒りを顕にしてヨランダと向き合うアリシアに驚くばかりで、止めることも、落ち着かせることもできずに呆然とするだけ。
その間にも、アリシアの声が響く。
「お子様が亡くなったのです、悲しむのが母親でしょう!」
「はっ、豚のように肥えた息子なんてどうでもいいわ。利用できると思ったから一緒にいただけで、別にあんな子を愛していたわけでもなんでもないわ」
――ぱんっ!
ヨランダの暴言とも取れる言葉に、アリシアが涙を流して再び平手打ちをした。
「なにするのよっ!」
「お子様がなにをしたのか聞いて存じています。あなたのお子様は犯罪者です。生きていても裁かれたでしょう。ですが、母親のあなただけは、お子様の死を嘆き、悲しむべきですわ!」
「このクソガキっ! 黙っていれば調子に乗って! あんな能無しの子供が生まれて、どれだけ私が惨めだったかわからないでしょうねっ!」
「まだあなたはそんなことを!」
「なにか剣の天才よ! ちょっと剣が振ることができるくらいで天才だと思い込んで、みっともない! 健気に訓練でもしていればよかったのに、何もしないでブクブク肥えてばかりよ! あいつのせいで、旦那様から愛想を尽かされたに決まっているわ!」
「そんなお子様を諫め、導くのが母親のあなたの役目ではないのですか!」
「どうして私がそんな面倒なことをしなければならないのよ!」
「あなたと言う方は――っ!」
アリシアが母親とは思えない発言を繰り返すヨランダに、三度目となる手を上げようとした。
しかし、彼女が振り上げた手は、サムによって止められた。
「――サム様」
「もういいです。アリシア様の声は、この女に届きません。どれだけ声を大にしても、この女はなにも感じないんです」
「……そう、ですか」
「マニオンもアリシア様が自分のために怒ってくださったことで、報われるでしょう。……思えば、マニオンはまともに愛情が与えられていたなかったんです。だから、こんなことを平然と犯すようになってしまった」
自分にはダフネやデリックたちがいてくれた。
叱るべきときにはちゃんと叱り、褒めるときには褒めてくれた。
ダフネたちからは、明確な愛情を感じでサムは育った。そのおかげで、歪まずにいられたのだ。
しかし、マニオンには、サムとは違い愛してくれる人がいなかった。
マニオンにとって、母ヨランダと父カリウスが全てだったのかもしれないが、母親は自分のことばかりだったのは今の言動でわかるし、父もマニオンを冷遇したと聞いている。
無論、マニオンにも非はあるので、単純に彼を被害者とは言えない。
彼は、まともな愛情を得られぬまま、歪み、そして魔剣を手にして蛮行の限りを尽くしてしまった。
「生きている間に、アリシア様のお言葉を聞くことができれば、きっとマニオンも己の行いを反省できたでしょう。それだけが、残念です」
「サミュエル! 小娘! 覚えておきなさいよ! あんたちから金を毟り取ってやるから! そのくらいしないと、ここまでしてきた努力が水の泡よ!」
「……あんたがどんな努力をしたって言うんだよ? まあ、できるといいね。だけど、終わりだよ。ほら、お迎えだぞ」
「迎え?」
サムが顎でヨランダに、背後を見るように促す。
彼女が振り返ると、伯爵家の前にはギュンターとジョナサンが率いる魔法軍の兵士たちがいた。
ジョナサンとギュンターが、屋敷の敷地に足を踏み入れこちらへとやってくる。
「サム、遅れてすまなかった。――だが、すべて終わったようだな」
「ええ、終わりました」
サムの言葉を受けて、頷いたジョナサンが、周囲を見渡してから問うてくる。
「マニオン・ラインバッハと思われる子供の姿が見えないが?」
「彼は亡くなりました。遺体は、残念ながら消失してしまいました」
「……そうか。では、ヨランダ・ラインバッハ、お前を捕縛する!」
「ど、どうして、私が捕縛なんて」
ジョナサンの宣言に、動揺を隠せないヨランダ。
「息子を唆して、数多の犯罪を行わせたことは把握している。お前自身も、盗みを行なったことも、な」
「私は悪くないわ! 正当な権利よ! もっと私は、敬われ、金品をもらうべきなの! だから貴族の妻になったのに、あの田舎男爵めっ、貧乏貴族のくせに私のことを蔑ろにしてっ!」
「もういい、黙れ! 誰か、連れて行け!」
ジョナサンの命令に、部下が走ってきてヨランダを拘束する。
「離して! 離しなさい! 私を誰だと思っているの!」
喚きながら、ヨランダはついに最後まで息子の死を嘆くことなく、自分のことだけしか考えなかった。
連行されていくヨランダに、ジョナサンが顔を顰める。
「あれが親か……同じ人の親として嘆かわしい。まあ、いい。それよりも、大事はないか?」
ジョナサンは、サムの隣にいるアリシア、少し離れたところにいるリーゼとグレイス、そしてジムと子竜たちに問題がないと確認すると、大きく胸を撫で下ろした。
「ジム様のおかげです。ジム様が、マニオンから皆様を守ってくださいました」
「――そうか。ジム、私の大切な家族を守ってくれて心から感謝する」
「い、いえ、結局やられてしまいました」
「それでも君のおかげで大事にならなかった。ありがとう」
「――っ、はい」
妻と娘を抱きしめながら、感謝の言葉を伝える伯爵に、ジムが少し照れて頷く。
すると、自分たちも褒めてとばかりに子竜たちが鳴いた。
「くるきゅー」
「ははははっ、君たちにも感謝しているよ。……君たちが戦わずよかった。本当によかった」
心から安堵の声を出すジョナサンに、一同が苦笑する。
子竜たちは、あくまでも守ることに徹してくれていたが、万が一三匹が戦えば、少なくとも伯爵家周辺は更地になっていただろう。
そう考えると、ジムがいてくれて本当によかったと思わずにいられない。
「サム。少しいいかな」
「ギュンター?」
声をかけてきたギュンターの手には、折れた魔剣があった。
もう禍々しい気配はないようだが、間違いなく魔剣の残骸だ。
「これが魔剣のようだね?」
「ああ」
「魔剣は魔法軍で預かり調査させよう。なにかわかるかもしれない」
「よろしく頼むよ」
マニオンに魔剣を渡したヤールが、本当に魔剣を制作できる技術があるのなら脅威でしかない。
魔剣を調べることで、魔剣製造の手がかりをスカイ王国でも手に入れることができれば、敵対するナジャリアの民への対策にもなる。
「君は大丈夫かい?」
「うん?」
「血を分けていないとは言え、仮にも同じ屋根の下で育った弟と戦ったんだ。精神的に辛くはないのかい?」
「別に……少しくらい思うことはあるけど、どちらかといえば、今お前に尻を揉まれている方が辛いよ!」
気遣いながらも、魔剣を持っていない方の手でサムの尻を撫で回すギュンターに、サムが怒鳴る。
いつも通りのギュンターに、アリシアも苦笑気味だ。
「はぁはぁ……最近、あの小娘のせいで僕はぁ、僕はぁぁぁ! こうして心に平穏を取り戻さなければ、家に帰る勇気が出ないんだ!」
「お前とあの子の相性は相当いいんだなぁ」
「君の目は節穴かい!? 僕がこんなに苦しんでいるのに、相性がいいなんて! あの小娘めぇ、昨日も僕のコレクションを人質にして、く、口には出せないあんなことやこんなことをさせられたんだぞ!」
「仲がいいみたいでなによりだよ」
「お幸せそうでなによりですわ」
「サム!? アリシア!? ば、馬鹿な、その対応はありえないじゃないか」
ギュンターがクリーと良い関係を築けているようで安心する。
どうやらクリーのほうが一枚上手のようだ。
ギュンターのおかげで、マニオンやヨランダに抱いていた感情が消えていく。
もしかしたら、ギュンターなりに気遣って、こんな態度を取ってくれているのかとも考えたが、いつまでも尻を揉み続ける男に、気のせいだと思う。
「いい加減に尻から手を離せ!」
「――あふんっ」
サムに蹴り飛ばされたギュンターが嬉しそうな声を出した。
こうして、魔剣騒動は、マニオンの死とヨランダの捕縛で幕を閉じたのだった。
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