5「魔法に挑戦します」③



 翌日、ラインバッハ家の人間の目を盗んで、家から抜け出したサムは、町を迂回して森の中にいた。


「さて、試してみるか」


 ダフネとの約束で火に関する魔法は使わないと決めたサムが選んで試そうとしているのが、――身体強化魔法だ。

 まだ子供である肉体はちょっとした動きで息が切れ、疲れてしまう。

 そこをカバーしたいと思っての選択だった。


(体を強化することができれば、弟に意識がなくなるまで殴られることもなくなるだろうし)


 すでに魔導書を読んで詠唱は覚えている。

 一度、魔法を発動させたおかげか、体内に魔力を感じることもできるようになっていた。

 深く深呼吸をして、身体強化魔法を唱える。


「すーはー……――身体に満ちる魔力よ、我に力を与えたまえ」


 身体強化魔法とは、体内に宿る魔力――体内魔力を使って身体能力を向上させるものだ。

 その魔法の初歩である、シンプルに身体能力を上げる魔法を唱えてみた。

 すると、


「お、おお? おおおおお!?」


 効果はすぐに現れた。

 重たかった九歳児の体が羽が生えたように軽くなった。

 未成熟な身体は動きづらかったのだが、腕や足が思うがままに動いてくれる。


「――よしっ! たぁあああああっ!」


 そのまま地面を蹴ると、大きく跳躍できた。

 周りに生える木々よりも高く、サムが住まう町を一望できるほどの高さまで飛ぶことに成功した。


「うわっ、高っ!」


 驚きと同時に、感動が襲ってくる。

 身体強化魔法に成功した喜びを噛みしめながら、視界に広がる異世界を短時間だが堪能する。

 そして、短い浮遊時間を味わったサムは、問題なく地面に着した。


「――すごっ。まさかこんなにジャンプできるなんて!」


 サムは胸が高鳴るほど興奮していた。

 暴発させてしまった昨日の火柱と違い、身体強化魔法は自らの意思でちゃんと行い成功させたのだ。

 喜びの大きさが違う。


 また、自分が住んでいる世界を一望できたのもよかった。

 改めて、異世界に転生したのだという実感と、魔法を使えるようになった自分のこれからに思いを馳せることができた。


「俺、魔法使いとしてやっていけるんじゃないかな?」


 才能皆無の剣を持って戦うよりも、強化された身体を武器にして殴る蹴るをしたほうがよほど効率的だと思えた。


「よし。もう一度試してみるか!」


 サムは拳を構え、強化された身体を低く落とす。

 近くにそびえ立つ大木に向かい、


「――はぁああああ!」


 気合を込めて、一打。


 ――轟音。


「えぇ……嘘ぉ」


 サムは唖然としてしまった。

 自分が放った拳は、易々と大木をへし折って地面に倒してしまったのだ。

 拳は嘘のように痛みを感じない。

 普通、本気でなにかを殴れば、その反動で大なり小なり拳が痛むものなのに、だ。


「これが身体強化の効果か……すごいな」


 調子に乗ってもう一本の大木に向かって拳を放つ。

 先ほど同様に、実に容易く叩き折ることができた。

 しかも、まだ余裕がある。


「俺にどれくらいの魔法の才能があるのかわからなかったけど、これくらいできるなら戦うのに問題はないんじゃないかな?」


 単純な力だけなら十分だと思えるほどあった。

 この力がモンスターに通用するかまでは不明だが、これほどあまりある力がまったく通用しないとは考えにくい。

 世の中には、魔法を使えない人間の方が多く、それでいて冒険者も多いのだから、すくなくとも力だけなら問題ないと思える。


「これで冒険者になれるかもしれない!」


 魔法が使えたことで、期待が高まった。

 サムも、いきなり何もかも順調に進んでいくとは思っていない。

 まずは、一歩を踏み出せた。それだけでよかった。

 この一歩を大事にして、いつか冒険者になる日まで自分を鍛えていこう。


「……問題は、あの家にいつまでもいたくないってことだけどさ」


 昂っていた気分が一気に冷めていく。

 転生前は大人だったサムがうんざりしてしまうほど、あの家の環境は最悪だ。


 父親は剣の使えない息子に興味がない。

 義母は、いい歳をして九歳児に嫌味を言いに部屋までやってくるし、死ねばよかったと面と向かって言い放つほど大人気ない。

 腹違いの弟は、兄を木刀で殴打して意識不明にするようなモンスターだ。

 今日なんて、出会い頭に挨拶とばかりに頬を殴られた。

 理不尽を平然と笑顔で行うことのできる弟の将来が心配だ。

 毒親に育てられた子供のごとく、手のつけられない問題児になる予感しかしない。

 いや、すでに問題児に育っているので手遅れかもしれない。


「ま、別にあの人たちがどうなろうと俺には関係ないんだけどさ」


 サムには、ラインバッハ家の人間に対する肉親の情が存在していない。

 転生したから他人に思えてしまうのか、それとも転生前から不遇な扱いを受け続けていたせいか、サム自身もわからない。


 サムが情を抱くのは、メイドのダフネと執事のデリックたち家人だけだ。

 彼女らがいなければ、サムは孤独に苦しんでいただろう。

 それを思うと感謝しかない。

 せいぜいラインバッハの人間がダフネたちに迷惑をかけないことを祈るばかりだ。


 その後、身体強化魔法の訓練を続けていると、あっという間に日が傾きかけていた。


「そろそろ帰らないとダフネに怒られちゃうな」


 まるで姉のように優しく親身に接してくれるダフネに心配をかけたくなかった。

 未だ「ぼっちゃま」と呼ばれるのはくすぐったくあるが、弟のように「マニオン様」と淡々に対応されるのも嫌だ。


 あからさまに自分と弟では、ダフネをはじめ使用人たちの態度が違うのだが、当の弟はなんとも思っていないようだ。

 傲慢な弟は使用人に嫌われていようと構わないというよりも、使用人がどう思おうなど気にも留めていない。


 それゆえにわがままで暴力的なため、さらに使用人たちから嫌われるという悪循環だ。

 これは弟本人が気付くまで続くだろう。

 使用人たちに同情しながら、身支度を整えたサムが


「さ、帰ろっと」


 踵を返したその時、


「ぐるぅうううううううううううううううう」

「へ?」


 木々の間から、唸り声が聞こえた。

 反射的に振り返ると、大木の背後から生前でも目にしたことのない巨大な熊がいた。


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