第3話 覚醒

 ◇


 朦朧とした意識の中、断片的な記憶の欠片がゆっくりとゆっくりと繋がっていく。


 光。

 爆発音。

 そして、衝撃。


 医療ポッドに入っている現状とそれらの記憶を繋ぎ合わせれば、我が身にいったい何が起きたのか、おおかたの見当がつく。

 だが、そうなると少しばかり結果がおかしい。今までに経験があったわけではない。さりとて宇宙空間で生活している以上、そのことに対する危機感は常に俺の意識下にあった。

 その推測通りなら、最終的に待っているのは生身のまま宇宙空間へ放出という事態。


 ――すなわち死だ。


「……生きているのか?」

『現在、艦長のバイタルに異常は見受けられません。爆風による全身の創傷、左手掌部内側しゅしょうぶないそくから左前腕部内側ぜんわんぶないそくにかけての熱傷、網膜症による視神経へのダメージが見受けられました。生命維持に支障をきたし兼ねないほどの深刻な容体であったため、医療ポッドによる細胞再生治療及び一定期間の安静が必要と判断。治療と強制睡眠からたったいま覚醒した状態になります』


 ゆっくりと起き上がり、医療ポッドに腰掛ける。

 手足はちゃんと動くし、全身が痒いことを除けば体に異常はない。おそらくその痒みも細胞が再生し、活性化したことによる痒みだろう。


「俺が意識を失ってからどれぐらいになる?」

『49時間と15分ほどになります』

「2日とちょっとか……」


 どうやら生き延びたらしい。

 と言っても、少々の怪我なら体内に移植された疑似細胞――NBS(ナノマシン・バイオロジカルプロテクション・システム)で治療が可能だ。

 ちなみに、体内に侵入したウイルスや有害物質を体外へと排出したり、外部からの衝撃を緩和し内蔵器官を守ることも、このNBSの役割だったりする。

 そのおかげだろう。

 内蔵器官に深刻なダメージを受けずに済んだ模様。それでも医療ポッドを使ったということは、かなり危険な状態だったのだと想像がつく。

 それに宇宙船のキャビンは特に頑丈に作られているはず。

 にもかかわらず、船体内部にまで影響が及んだということは、ウーラアテネ自体途轍もないダメージを受けたということになる。それで生き延びたのだから奇跡というほかない。


「ウーラ、いったい何があった?」

『ワープ直前、相手巡視艦のエネルギー弾がゲートリングに直撃。その際の爆発に、船体の一部が巻き込まれたものと思われます。続いて被害状況を報告いたします。コックピット含む前方上部の外壁に深刻なダメージ有り。いまだ修復中のため、現時点では大気圏突破が難しい状況です。動力部及び各種設備には運用不能となるような異常は見受けられませんでした』

「クソッ、やはり当てられてたか……。だが、それにしてはよく生き残ったな。ワープが間に合ったのか?」

『いえ、ワープ自体は成功しておりません。現在、謎の現象により未知の惑星に異常転移しており、それによって船体が初期被害で済んだものと推測。ワープ中ゲートリングが爆発した場合、通常なら船体の全壊は免れず、乗員の生死も絶望的だったはずです。現在位置、星図スターチャート上のいかなる宙域とも不一致。ハビタブルプラネット適正A+。地球の環境とは微妙に異なりますが、人類が居住可能な岩石惑星上であることを観測済みです』


 ハビタブルプラネット適正とは惑星の居住可能レベルを表したものだ。

 大気組成、大気圧、重力、温度、水、放射線レベルなど……いくつかの条件下において不適合ならC。

 一部環境改善などで居住可能であればB。

 あらゆる面で最低条件を満たしているようならAとなっている。

 今まで発見された数多くの惑星の中でも最高がB-だったことを考えれば、A+など歴史上の大発見といえるだろう。


「謎の現象? じゃあワープの失敗で、その異常転移とやらが起こったってことか?」

『過去の事故実験において、そういった事例は報告されておりません。また、科学的にそのような現象が起こり得るという可能性及び因果関係は立証されておらず、原因については目下もっかのところ不明となります』

「原因不明か……」


 ウーラからただならぬ話を聞いた俺は、即座にミドルデッキ(*1)にある医療室を出てフライトデッキ(*2)へと向かう。

 道中、ところどころで補強素材を用いた仮修復がなされており、被害の甚大さを物語っていた。

 正直、これだけの被害状況ともなると、かろうじて宇宙船としてのたいを成しているといったほうが正しいだろう。その様子に自分が助かったことがいかに幸運だったかをあらためて思い知る。

 だが、今は幸運に感謝するより現状を把握しなければという気持ちのほうが強い。俺は病み上がりの体に鞭打ち、フライトデッキへと急いだ。

 

「どういうことだ、これは?」


 フライトデッキ内部は惨憺さんたんたる有様だった。

 修復こそなされているものの、明らかにその部分が吹き飛んだのだとわかる内壁。

 焼け焦げた機材類。

 本来、半円形であるはずの外部スクリーンは、半分以上が機能していないような状態。

 だが、その被害状況などおよそ眼中になくなるほど俺を驚かせ、目をくぎ付けにしたものがある。


 それは外部スクリーン上でかろうじて機能している部分。そこに映っていたものが、辺り一面に広がる大自然だったからだ。


 ◆


 燭台の光がうっすらと周囲を照らし、きらびやかな調度品に怪しげな影が揺らぐ。

 夜のしじまを打ち破り、遠くのほうからかすかに聞こえるジャリッ、ジャリッという何かを引き摺るような物音。

 さらには、どこからか小さな小さな悲鳴のようなものも届いてくる。気の弱い者ならそれだけで卒倒してしまいそうな、おどろおどろしい空気が辺り一帯に張りつめていた。

 本来ならこのキュステブルク城には、護衛である騎士や身の回りの世話をする使用人などを含め、数十人の人間が在住しているはず。

 しだいに夜も更けてきているとはいえ、皆が皆、すっかり寝静まってしまったというわけでもあるまい。それなのに人の気配がしないのも、どこかおかしな話だった。


 ――地球ではないどこか。

 いや、もしかすると世界すら違うのかも知れない。だが、そこには地球人とさして変わらぬ住人が住んでおり、似たような文明が栄えていた。

 かの地に住まう者ならば、そこがエルセリア王国のロレーヌ伯爵領と呼ばれている土地だということを知っていたはずだ。

 そのロレーヌ領の領主であり、エルセリア王国南部貴族の取りまとめ役として、ひとかたならぬ権勢を誇っているダリ・ラウドール・ロレーヌ伯爵が住む城内での光景だった。


 おそらくそこは謁見用の一室か何かなのだろう。

 一段高い場所に他を見下ろすような形で豪奢な椅子がぽつんとひとつだけ置かれており、そこには深々と椅子に腰を落とし、ワイングラスをゆるりと傾ける人影が見える。

 だが、その人影の正体は当主のロレーヌ伯爵ではなく、ひとりの女――。


 その女の口元は愉しげに緩んでおり、年齢不詳のその顔はうら若き乙女とも、はたまた男を知り尽くした淫婦にも見える妖艶な怪しさを孕んでいた。

 部屋の中にはその女ひとりきり。

 もし何も知らない他国の住人が今この地を訪れていたなら、女当主だと勘違いしてしまったかも知れない。それほど女の態度は支配者然とした不遜なものだった。

 と、部屋の外からノックする音が聞こえ、何者かの到来を告げる。

 だが、女のほうはノックに対して返事すらせず、そればかりか見向きもしなかった。

 とうの来訪者にしても部屋の主の返答を待たずに中に入ってこようとしているようで、ゆっくりと部屋の扉が開かれる。

 それは無遠慮という感じではなく、主人が使用人のすることにいちいち反応する必要がないといった、ある種の尊大さが起因しているように感じられた。


 部屋に入ってくるなり、スカートの裾を軽く持ち上げ、お辞儀をする少女。年の頃は10代半ばぐらいだろうか。

 高級そうなドレスを身に纏っている事実からすれば、おそらく召使ではないのだろう。だが、そのうやうやしい態度は、あきらかに目上の者に対してのものだった。


「リアネ、ロレーヌ伯爵のご加減はどう?」


 当主用の椅子に座ったまま、女がつと口を開く。


「申し訳ございません。お父様はいまだ錯乱状態にあるみたいです。ですが、きっとすぐに落ち着いて、すべて理解してくださるものと思いますわ」

「ふーん、まだまだのようね」

「はい。いまだに激しく取り乱しているご様子らしく、こんな素敵なお母さまのことを化け物呼ばわりする始末でして。わたくしも、ベルエルミナ様のお許しさえあれば……」

「駄目だと言ったでしょう。あなたにはこれから貴族間の社交の場に出て、豚どもの相手をさせるのですから」

「楽しみですわ。貴族の皆さまがたがたくましい物をお持ちになっているといいのですけど」

「ふふふ……貞淑な淑女の見本とまで言われていたあなたの口からよもやそんな言葉が聞けるなんて、本当に愉快だこと。そうね、貴族の豚どもがあらかたこちら側に取り込めたら、望み通りあなたもそこの母上と同じ姿にしてあげてもよくてよ」


 そう言うベルエルミナの蔑むような視線の先にあったのは、美しい女性の顔だった。

 リアネにとてもよく似たその顔の持ち主は、おそらくロレーヌ伯爵夫人であるアンネローゼなのだろう。

 ただ、その首には鉄の首輪が捲かれており、そこから繋がれた鎖がリアネの手元まで伸びていた。

 まるで愛玩犬でも散歩させているかのように、リアネは自分の母親だったものを四つん這いの状態にして鎖に繋いでいるのだ。


 そう――。

 それはかつてリアネの母親だった。

 今ではとうてい親子には見えないだろうが。

 なぜなら、首から下の部分が巨大な蜘蛛の胴体にすげ変わっていたからだ。蜘蛛の脚とは別に夫人本来の手足も付いていたとはいえ……。

 その手と足も、関節があらぬ方向に折れ曲がっており、その様が酷く奇怪で余計に醜悪さを際立たせている。

 さきほどからシューシューという耳障りな呼吸音が鳴ることで、かろうじて伯爵夫人が生きていることだけはうかがい知れたが、その美しい顔に浮かんでいるのは気が触れた人間の表情でしかなかった。

 そんなことになってしまった自分の母親の姿を見て、うっとりと吐息を漏らすリアネ。まるでその姿に恋い焦がれているような様子は、とても嘘を吐いているようには見えなかった。


 そんな狂気じみた一幕に終わりを告げるかのように、突如として何もない空間が揺らぎ始める。 


「どうやら客人のようね。リアネ、お下がりなさい」


 ベルエルミナの鋭い言いつけに黙って従い、来たときと同じようにうやうやしく一礼して下がるリアネ。

 その後ろ姿が見えなくなってすぐ、さきほどまでリアネが居た場所に新しいふたつの影が形作られ始めていた。


「まったく、相変わらず悪趣味なことだな、ベルエルミナ」

「あら、そうかしら? あなたの感覚がおかしいだけじゃなくって? それにしても久しぶりね、ケイゼル。いったい、いつ以来になるかしら? それにそっちはラランカシャじゃないの」

「さあな。最後のほうはお互い忙しく飛び回っていたのでな。イシュテオールの手に落ちる前、お前とちょっとだけ会った気もするが……。ベルエルミナ、お前のほうはいつ頃目覚めた?」

「今からちょうど2年前よ。知ってる? あれから700年もの歳月が流れているのを」


 ベルエルミナの眼光が、まるでどこか遠くを見つめるように虚ろげに揺らめく。


「ああ、どうやらそうらしいな。もっとも俺には一瞬のことでしかないが。俺とラランカシャが目覚めたのは、つい最近のことでな。やはり他の貴人もあのときすべてイシュテオールの手に落ちたのか?」

「さあね。まあ、あの世界の果てまで届く手から逃げのびることは不可能に近い気がするけど。それでも最終的には“狭間の牢獄”にも弛みが生じたということは、イシュテオールがこの世界に及ぼす力も無限ではないと見るのが妥当でしょうね」

「他に“狭間の牢獄”から逃れた貴人は?」

「ゼ・デュオンが北に拠点を構えているわ。けっこう派手にやってるみたい。今のところ私が把握してるのは、あなたたちを含めてこの4人だけね」

「あいつか。ということは、お互い勝手にやってるってわけか……」

「ええ、わかっているでしょ。あんな粗暴なやつとこの私が手を組むわけがないって。でも、あなたやラランカシャなら考えなくもないわよ?」


 ベルエルミナの顔に妖艶な笑みが浮かぶ。

 並大抵の男ならその笑みだけで瞬く間に恋に落ちていたことだろう。だが、その友好的な仮面の下に、恐ろしい裏の顔が隠されていることは、ケイゼルとて十二分にわかっていた。

 

「俺はしばらく様子見だな。それと残念ながら、ラランカシャのほうも時間切れらしい」

「あら、残念。まあいいわ。あなたたちのことだから私の邪魔をする気もないんでしょうし」

「ああ、せいぜい勝手にやってくれ。俺が盟主争いになど興味がないってことぐらい、そっちも理解しているだろう」

「もしかして行く宛でもあるのかしら? まさか愚かにもイシュテオールに復讐しようって気じゃないわよね?」

「さすがにそこまで身の程知らずではないさ。あれは人智を越えた存在。貴人といえど抗いようのない相手だ。そうだな、このあとラランカシャを適当な場所に送って行ったら、しばらくはこの世界を宛てもなく彷徨さまようつもりだ」

「そうなの……。まあ、それもいいでしょう。次に会うとき、敵同士ではないことを祈ってるわ」

「ああ、そうだな。それじゃあな。ラランカシャ、行くぞ」


 そう言うなり、何事か呪文のようなものを呟くケイゼル。

 と、どこからか現れた光の粒子のようなものがケイゼルとラランカシャに纏わりつくように集まり始める。次第にその光が大きくなっていくと、ふたりの姿はすっぽりとおおい隠され、最終的にまったく見えなくなっていた。

 そしてケイゼルの詠唱が終わりを告げた瞬間、ふたりの姿はプツンと糸が切れたようにこの部屋から掻き消えていた。


 その様子を最初険しい顔で見守っていたベルエルミナだったが、急にすべて興味を失ってしまったかのように再びワイングラスへと口をつけ始める。その場に残ったのは、遠くからかすかに聞こえてくる薄気味の悪い叫び声だけだった。




 *1 宇宙船内にある船員の居住区

 *2 宇宙船内にある操縦室、コックピット

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