第43話 馬車でのふたり

 そして、彼の返答を待つ私……

 この時間がまるで永遠のように感じる。大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせる。不安なのよ。こんなことを言うのも初めてだし……


 婚約者時代でも、彼の手をパーティーのエスコートくらいしか手を握らなかったし……

 それも、マナーの一貫でしか彼の手を握っていなかったわ。

 だから、自分から手を握りたいなんて申し込むなんて、どうしよう。顔が熱くなる。心臓も高鳴る。変な汗も……


 どうして?

 恋人同士なら、手を握るくらい普通じゃない。

 パーティーの席なら何度もあったことよ。


 なのに――すべてが初めてのように、緊張するわ。

 そんな乙女なんて年齢じゃないのに……


 だって、同級生たちだってみんな婚約者がいるし、結婚している人もいるわ。なのに、私は、手を握ることにこんなに緊張しちゃうのよ。


 彼の顔をうかがう。緊張で手が震えているわ。彼の手に向かって、自分の手を伸ばそうとしているだけなのに、震えて前に進まない。


 どうして、こんなに緊張するの?

 落ち着きなさい、私……


 そう考えれば考えるほど、震えは止まらなくなる。

 落ち着いて……お願いだから、落ち着いて……


 彼に変な女だと思われたどうしよう。そんな最悪の可能性ばかり頭に浮かんで、消えない。


 そんな不安をかき消してくれるのもやっぱり彼だった。


「いいよ。むしろ、嬉しいくらいだよ」

 彼は優しく、私の手を包みこんでくれる。 

 彼の体温によって、私の手は温まり、幸せな気分になっていく。


「ありがとうございます」

 私はうつむいて、恥ずかしさとうれしさを必死に隠す。

 でも、バレバレなのよ。わかっている。でも、少しでも自分のにやついている顔を隠したいの。


 こんなに感情が表に出て、止まらなくなるのは初めてよ。家庭教師の先生にも、なるべくポーカーフェイスでいるように言われていたのに……


 嬉しい。


 純粋に心が躍る。嬉しいってこういう気持ちなんだ。今まで感じていたその感情とはまるで別物の嬉しさに包まれる私。


 うう、手汗とか大丈夫かな。嬉しすぎて、自分が自分じゃないみたい。さっきまでは、ずっと不安を感じていたのに、今は真逆の感情に支配されている。まるで、天使になったみたいに天まで昇っていってしまうくらいの胸の高鳴りをおぼえている。


「ずいぶん、緊張しているね、ニーナ?」


「あんまりからかわないでください。結構頑張って、誘ったんですよね?」


「うん、みていたらわかるよ」


「もう」


「ごめん、ごめん。あまりにかわいいから、からかいたくなったんだよ」


「……」

 だめですよ、フランツ様。いま、そんなこと言われたら嬉しくて、顔を見ることできなくなっちゃうじゃないですか。


「そして、嬉しかった」


「えっ?」


「だって、そうだろう。好きな人が勇気を出して、手をつなぎたいと言ってくれたんだから……嬉しくない男がいるのかな?」


「うう、だから、そんなにからかわないでくださいよ」


「からかっていないよ、これは嘘いつわりのない本心さ」


 本心の方が困る。さらに、顔は熱くなって、ドキドキが止まらないわ。

 どうして、そんなにすなおに自分の気持ちを伝えられるのかしら……


 私なんて、「手を繋ぎたい」というだけでこんなに動揺しているのに……


「こうして手を繋ぐと、本当に幸せだよ。ずっとキミのことを考えてきていたからね」


「私も、幸せ、ですよ」


「そうか、嬉しいな。なら、私ももっとちゃんと手を繋がせてもらおうかな?」


「どういうことですか?」


「いま繋いでいるの手の握り方は、あくまで公式な場でのエスコートの時のものだからね。ここは、僕たちしかいないプライベートな場所。だから、もう少し近づいてもいいよね」


「……」

 あまりに緊張して何も言い出せなくなった私は、かろうじて頭を動かすことができた。


 そんな私を見て、彼は耳元でささやいてくれる。


「ありがとう、大好きだよ、ニーナ」

 

 その言葉を聞いて、頭の中が真っ白になるわ。


 思考停止した私の手を……


 彼はさらに緊密になるように握る。


 具体的に言えば……


 彼の指が、私の指と指の間に潜り込んできたの。


「若いカップルはこうするのが、流行りらしいよ。妹が言っていた」

 いつもの仕事の時とはまるで違うフランツ様がそこにいた。


 いたずら好きな少年のような彼がそこにいた。

 力強く彼の手が私を握りしめる。彼の男性的な強さとその中にある優しさ。そして、この手をずっと握ることができるようになった自分の幸せをみしめる。


「私たちも若いカップルなんですかね」


「そりゃあ、そうだろう。まだ、恋人になってから1週間しか経っていないんだよ。もう少しイチャイチャしてもばちは当たらないだろう。ニーナは真面目過ぎる」


「そういう風に育てられてきたんですもの。いまさら、それを捨てることなんてできません」


「大丈夫、捨てろなんて言わないよ? そういうところも、僕は好きだからね」

 

「……」

 何もできずに私は彼の手を強く握る。それが返事だった。

 彼も私のことをよくわかっているからそれで十分伝わったようだ。


 よかった。

 好きな人と、一緒に時間を共有すると、言葉すらいらなくなるのね。


 知らなかった。これが普通の幸せなのかな。それとも、特別スペシャル


 わからないけど、できれば特別であって欲しいかな?


 だって、この時間が永遠に続いて欲しいと私はずっと願っているから……

 こんな素敵な人、特別だとずっと信じていたいから……


 ヴォルフスブルクの昔話を思い出したわ。

 悪魔と契約した博士は、最期にこういうの。


「時よ、止まれ。あなたはいかにも美しい」と。


 この瞬間に、すべてが終わってしまってもいいと本気で思うわ。


 私はいまある幸せをずっとつなぎとめるために、彼の指を強く握りしめる。そうすれば、彼のことを永遠に感じられると私は信じていた。


 まるで、おとぎ話の少女みたいな妄想かもしれない。


 でも、この瞬間だけは、私が物語の主人公で、誰もがうらやむようなお姫様なのよ。


 強く握りしめた幸せと共に、私たちは帰るべき場所に戻る。

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