虚飾の魔王

螺扇

黎明編

第1話 プロローグ

いい子に、育ってね────。

微かに残っている記憶の中で、その女性は笑いかける。


天歴854年、リューズの街。魔物達の暮らすこの街は今日も平和だ。

穏やかな天気。風に揺れるこの街特産の小麦の穂。働く魔物達。

眼下に流れる日常を眺めて彼─レインは本の続きを読み始める。穏やかな窓からの風がレインの白髪を優しく揺らす。


この屋敷には今、レインと使用人の女性2人のみ。領主の父は隣の村との交易の話し合いに、母はお忍びで街に出かけている。兄弟も街の子供達と遊びに行っている(レインも遊びに誘われたがなんとなく今日は行かないことにした)。

数十分後、読みかけだった本を読破したレインはふと窓から街を見渡す。

穏やかで、とても過ごしやすい。いい街だな。そんな事を思い、自然と笑みがこぼれたその時だった。突如ドゴォォォンと轟音が鳴り響いた。大爆発が起こっていた。唐突な爆音と衝撃でレインは驚き軽くパニックになる。さっきまで見渡していた街の奥側、つまり門に近い場所あたりでの大規模な爆発だった。使用人のシルが急いでレインのいる図書室の扉を開けて叫ぶ。


「レイン様!街が人間の勇者に襲われています!し、至急避難してください!」


その焦りしか伝わってこないトーンで告げられると誰だって恐怖が伝染し焦り出す。シルのメイド服は彼女が急いで走ったせいかクシャッとシワが付いていた。


「勇者…?!逃げるってどこに?!」


初めての事態にただ狼狽えていたレインはさらに背後で爆発が起こったことに気づかなかった。


「シル、レイン様はご無事ですか?!」


こちらも慌てた様子で突入してきた2人目の使用人ラースが、狼狽えているレインを見て何か難しそうな顔をした。


「レイン様、失礼します」


ラースはそう言ってレインを抱えてシルと共に走り出した。5歳の少年には女性に抱えられることは少々気恥しいものがあったがそんなことは今は気にしている余裕がなかった。そこでようやくハッと我に返ったレインは、使用人の腕の中で問う。


「お、お父様やお母様達は?!」


するとまたラースは難しそうな顔をして「わかりません」と答えた。

家族の安否が不明なことは分かっていた。分かっていたが聞かずにはいられなかった。そしてこの2人はただ自分を守るために必死になっている、そう思うことでなんとか落ち着きを保っていた。

2人の使用人とレインが裏口から出て近くの森に逃げようとしている間も、街で爆発が続いている。すると街の外壁の裏門から外に出ようとしていたラースは何かに気づく。そしてギリッと歯ぎしりを鳴らし逆走を始める。レインはその行動の理由が分からなかったが、後に解明する。その時はただ、魔物の俊敏さで走っているラースの、結ばれた黒い髪だけをじっと見てなんとか恐怖を払拭していた。


「ラース、街も外もダメだと、どこに逃げれば…」


シルは気弱な女性だ。やはり気弱な彼女はどうしても嫌な方向に思考を向かわせてしまうようだ。


「こうなっては仕方がないので、自衛団の護衛部隊に合流しましょう。おそらく奥様やお嬢様方もそちらにいるかと」


ラースは状況を冷静に見極めてそう判断した。これが最も助かる可能性があると思ったのである。


街は悲惨の一言に尽きた。

さっきまであれほど穏やかだったというのに今はどうか。至る所に街に住む魔物の死体が転がり、建物は壊れ火災が多数。空は赤黒く染まり今にも伝承の炎の巨人族でもやってきそうな雰囲気が広がっていた。


「そんな……」


眼下に広がる絶望に、レインはそれしか言えなかった。

絶句していたレインをよそに、シルとラースは自衛団を探していた。2人共、魔物としてはランクが高い方なのでそれなりの戦闘はできただろう。ただ今はレインがいるので危険な行為は簡単にできない。2人はそれを心得ていた。

5分程走ったところでラースは足を止めた。その時のラースの顔はとても悔しそうなもので、レインはいつまでもその顔を忘れることはなかった。

シルも泣き崩れていた。2人の視線の先をおそるおそる覗いたレインは、見てしまったことを後悔することになる。

死体だった。母や妹、弟達の。

皆殺しにされていた。あまりに酷く、残忍な殺し方だった。レインは何も考えられなくなり、勝手に涙が溢れ始めて、見たくない現実から逃れるようにラースの胸に顔を埋める。

これが、勇者。

これが、人間。

これが、現実。

様々な思考がぐちゃぐちゃに混ざり合い、衝動的に黒い何かに襲われる。レインの心の中はとても平常とは呼べないものだった。

そしてこの時、新たな卵が芽生えてしまったことは、まだ誰も知らない。

…───ユニークスキル「偽」を獲得しました。

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