9.エミカ・キングモールは温かい家に帰る。
ホワンホワンさんが負傷した三人の回復にあたってるあいだ、私は赤いブロックに背中を預けて、まじまじと自分の両手を眺めていた。
コゲ茶色の細かい毛に覆われた手首。犬や猫の肉球みたいに、ぶよぶよとした肉感の手のひら。
そして、
うん。
やっぱし、これモグラの手だね。
見まごうことなくモグラの手だ。
「モグゥ……」
あー、なんだ私ってばモグラだったのか。
道理で穴掘りが得意なわけだよね。
あは、あはは。
「今明かされる驚愕の真実! 怪奇モグラ娘――って、そんなわけあるか!」
独り言で完全に怪しい人だったけど、状況が状況だった。依然パニックに陥ったまま続ける。
「うー、やっぱどう考えても、あの黒い箱のせいだよね……。あの謎の声、なんとかモグラとか言ってたし……」
「よー、姫さん」
モグラの手で「ぐぬぬぅ~」と呻きながら頭を抱えてると、ガスケさんがやってきた。ホワンホワンさんの回復魔術が効いて、もうすっかり傷は癒えたみたいだった。
よかった、元気そうで。あ、てか、まだお礼も言ってなかった。
「ガスケさん、さっきは助けてくれてありがとう。それと……足手まといになっちゃって、ほんとにごめんなさい……」
「あ? 何言ってんだ姫さん? 礼を言う必要も謝る必要もないぞ。オレの今回の仕事は姫さんを護ることだったんだからな」
「で、でも……」
「むしろ謝る必要があるのはオレのほうだ。最初の一撃で情けなくも戦線離脱。気づけば戦闘は終わっていましたとさ、だぜ? ま、全員こうして無事だったわけだ。今はそれを喜ぼうぜ」
「ガスケさん……」
あくまでプラス思考のガスケさん。その言葉は、未だ罪悪感を引きずってた私の心を軽くしてくれた。
「てか、騎士さんとホワンホワンちゃんから聞いたぜ。オレが寝ているあいだ大活躍だったらしいじゃねぇか。あの特殊体のコカトリス一人で狩っちまうとか、姫さん一体どんな力を隠し持――って! なんだよその手はっ!?」
そこでモグラ化してしまった私の両手を指しながら、ガスケさんは目を丸くする。
「ええっと、それが私も何がなんだかで……」
私は先ほどの黒い箱の一件を掻い摘んで説明した。
「なんだそりゃ、聞いたこともない話だな。呪文のような言葉を唱えたら魔法陣が発動したってんなら、魔術の類いっぽいが……。てか、その爪って装備品だよな? 外れないのか?」
「さっきやってみたけど、無理っぽい……。なんか手の上にね、直接なじんじゃってる感じがする。もしかしてこれ、呪いのアイテムだったり……?」
幸い、何か物を掴んだり、投げたりするのに支障はない。いや、むしろ自分の指とほぼ変わらない感覚だ。ま、さすがにこの爪じゃ、リリの髪は洗いづらいかもだけど。
「とりあえず明日朝一でギルドの受付に見てもらえよ。アイテムのことはアイテムの専門家に聞くのが一番だし、解呪するにしても専門の知識とスキルが必要だからな。あ、そうだ……ほら、ついでだからこれも一緒に鑑定してもらえ」
「ん? わー、きれい!」
そこでガスケさんが私に手渡したのは、一枚の羽根だった。短剣ほどの大きさで、青と黄色と白の三色の羽毛でできたそれは、コカトリスの死骸の近くに落ちていたらしい。
「おそらくレアドロップ品だ。換金すりゃいい値段になると思うぜ」
「でも、こういうのってパーティーで利益を分配するんじゃ?」
「今回は姫さん一人で倒しちまったからな。遠慮せず受け取っておけ。さっき相談したらオレ以外の三人もそれで構わねぇって言ってたしよ」
「……」
もしかして、みんな私がお金に困ってるのを察して……?
大人が気を回してくれたなら子供が変な意地を張るべきじゃない。なのでありがたく、そして気持ちよく、今回はその厚意に全力で甘えることにした。
「あざっす!」
「ははっ、姫さんのその飾んねー性格、俺は好きだぜ!」
そのあとブライドンさん、コロナさんも治療を終えて、とりあえず安全な水晶宮側のエリアに穴を掘って戻った。そして、そこでのサンプル回収を最後に、今回の調査は切り上げで終了となった。
「三十五階層まで行く予定だったのに、ほんとにいいんですか?」
「今回は君のおかげでめずらしい地層も発見できた。成果としてはもう十分だ」
帰りはコロナさんが人数分の〝転送石〟を用意してくれてたので、一瞬だった。
アイテムに内包された時空間魔術の発動とともに、ダンジョンの正面入口に帰還した私たちはコロナさんの簡単な締めの挨拶のあと、各々の帰路に別れた。
長い一日だった。
外はすっかり日が沈んでいて、真っ暗だった。
「家まで送ろう」
「あ、えへへ……ありがとうございます」
道中、会話の中でコロナさんにも例の黒い箱の話をしたけど、心当たりはないそうだ。やっぱこのモグラの爪はかなり特殊なアイテムらしい。
「解呪が必要ならばその道に長けた知人がいる。まだしばらく、私はこの街に滞在する予定だ。何か困ったことがあったらいつでも連絡をくれ」
「はい。何から何まで、ほんとにありがとうございます」
再度お礼を言って、家のすぐ近くで私はコロナさんと別れた。
「ふう、今日はすごい日だったなぁ……」
振り返ってみると、何もかも現実とは思えなかった。
だけど、変化した両手が夢であることをはっきりと否定していた。
「ただいま」
「おかえりエミ姉――って、どうしたのその手!?」
「わあぁー! おねえちゃん、モグラさんみたーい!!」
帰宅すると、いつものようにシホルとリリが出迎えてくれた。
「あー、これ? はは、心配しないでいいよ。ただのアイテムだからさ。それより私、おなか減っちゃった」
すでに夕飯はできていたので、お風呂は後回しにしとく。食事中、私は普段よりもやたら高いテンションでベラベラとしゃべった。
話す内容は、もちろん今日の冒険のこと。
ダンジョンに広がる森林や草原の美しさ。そこに吹く風と、流れる水。そして、降り注ぐ光。屈強なモンスターたちに立ち向かう勇敢な冒険者たちの姿も含めて、私はこの目で見たすべてのことを吐き出すように語った。
途中、不意にまるで自分が自分じゃないような感覚に襲われたけど、私はしゃべるのをやめなかった。
「エミ姉、もしかして具合悪い……?」
ふと、シホルが不安そうな顔で訊いてきた。
「ご飯、手つけてないみたいだけど」
そこで初めて、私は用意された食事が手つかずのままであることに気づいた。
「………………」
変だな。
シホルの料理はいつだって、かきこむようにして食べてるのに。
スープを飲むため、爪の指先でスプーンを握る。
大丈夫。
問題なく、つかめた。
モグラの手は、案外器用に動く。
「……あれ?」
でも、それならどうして私の手の中の匙は、こんなにもカチカチと小刻みに揺れてるんだろう。
「はは、おかしいな……。なんで私……こ、こんなに震えて……」
呪いの影響かと疑うも、違った。
「あっ」
ふと、頬を伝う水滴の感触。
そこに至ってようやく、私は感情が噴出していることに気づいた。
ああ、そうか。
今頃になって、私――
「ないてるの、おねーちゃん?」
リリが心配してこちらを覗きこんできたので、私は慌てて顔を背けた。
でも、背けた方向にはシホルが立っていた。さっきまで向かいの席に座っていたはずなのに、いつのまにか回りこんできたらしい。
「エミ姉」
顔が上げられなくなった私の頭を優しく抱きかかえると、シホルはやわらかい声で言った。
「恐かったんだね。でも、もう大丈夫。もう、大丈夫だよ……。私も、リリも、ちゃんとここにいるよ」
その瞬間、私は堰を切ったようにわんわんと泣き出した。
もし、今日死んでいたら、私はこの家に戻ってくることも、こうしてまた二人に会うこともできなかった。その上で、私の死後残されたこの幼い妹たちはどうなっていたことか。
考えを巡らせれば巡らせるほど、あらためて自分の感覚がマヒしていた事実に気づく。あの怪鳥に立ち向かった時、私はもう死んでもいいような気分にどこか浸っていた。刺し違えてでも一矢報いる。そんな選択をできた自分が、どこか誇らしいとさえ思ってしまっていた。
どんなに可能性が低かったとしても、生き残る道を選ぶべきだったのに。
それをしなかったのは、逃げた責任を負いたくなかったから。
目の前で人に死なれるよりも、自分が先に死んだほうが楽だと考えたから。
その結果、最愛の二人の妹がどれだけ悲しみ、苦しむか。少しも、考慮せずに。
私は本当に、救いようのない大馬鹿野郎だった。
「うああぁぁぁああ~~~ん!! 恐かったよおおぉーーー!!」
「よしよし」
「あー! リリもおねーちゃんよしよしするぅ~!」
それでも、私は流す涙とともに、すっかり元の臆病でダメダメな自分に戻れた。
凍っていた感情を溶かしてくれた温もりに、今はただただ感謝しよう。見っともなく泣き続けながら、私はそう思った。
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