第70話 宴席開始!


「雉、雉、鮭、鮭、雉、鮭、鮭、鮭、雉、鮭」

 僕、くりやに戻るなり、そう伝えて大きくため息を吐いた。

 これを忘れないために、それこそ必死だったんだ。


 すかさず、手筈通りにそれを書き取った佳苗ちゃんが、耳を塞いでいた是田に視線を向ける。

「雉、雉、鮭、鮭、雉、鮭、鮭、鮭、雉、鮭」

 よしっ、一致。記憶に間違いはない。


 それを受けて、一気におひささんが動いた。

 小ぶりな餅はタイミングよく焼けている。

 これからいろいろ食べていただくのだから、大きい餅にしたら満腹にさせてしまう。それを避けるためだ。


 雉、蕪、小松菜、にんじん、松露。

 そこに、柚子の口取りに金箔。

 ……これ、僕も食べたいな。だって、松露ってトリュフの仲間なんだろ?


 焼いた鮭、いくら、くちこ、大根、にんじん、細く切ったごぼう、結び三つ葉。

 そこにやはり、金箔。

 是田の視線が、蓋をされていく椀を追っている。

 やっぱり食べたいんだろうな。

 で、くちこってなんだろ?


 一見、シンプルにすら見える雑煮だけど、汁を飲んだらびっくりのはずだ。

 雉椀の方は、それこそ大量の鰹節と雉の骨からとった濃厚な出汁が注ぎ込まれている。

 鮭椀も鮭の身を食べているに等しいほど、濃く出汁が引かれている。

 両方とも、出汁が濁る一歩手前のぎりぎりを見極めている。

 おひささんは、見えないところに力を込めたんだ。

「これで、空腹を倍増させるのでございます」

 とは、おひささんの言。


 厨で本膳の準備が進む中、同時に厨の外では臨時に築いた竈で火が焚かれ、大鍋に湯が沸き立っている。

 今日は、3人の蕎麦茹で要員のデビュー日でもあるんだ。

 彼らが茹でる蕎麦の行き先は、今日お集まりのお偉方の随行の方たちだ。


 だって、宴会やっている横で、随行の方たちを空腹のまま待機させておくのは可哀想だろ。だから、この際と、僕と是田は太っ腹になった。

 けっこうね、お偉方の意見を変えてしまうのは、こういう人たちだったりするんだ。案外偉い人たちって話す相手の人数が少なくて、沢井氏(仮)を持ち出すまでもなく、身の回りの世話をしている人たちが影の実力者ってことは往々にしてある。僕たちの時間でもその事情は変わらないから、忘れずきっちりと手を打ったんだ。


 具だって贅沢だぞ。

 鮭と雉。ほら、10人の宴会じゃ食べ切れないだろ。アラ部分も出るし。

 そういうのをみんな突っ込んだ。それに青菜の茹でたのとか乗せるから、見た目も華やか。

 これで蕎麦茹で要員の3人が、マニュアル通りうまく勤め上げてくれたら、「はずれ屋」の営業は次の段階に移行することになるな。



 その間にも、おひささんの手は忙しく動いていて、次に出す本膳にはさまざまなものが盛り付けられている。

 本膳には、なます、香の物、汁、煮物、飯と盛るらしい。


 鱠は、鯵のたたきを味噌と煎り酒、氷で和えたものだ。鯵は漁村で獲りたてのぴかぴかのものを手に入れてきたし、氷は北海道で今朝早くに手に入れてきた。昨夜、大雪山のてっぺん近くに、水を入れた桶を置いてきておいたんだよ。たった10秒で遭難しかけたけど、時間跳躍機公用車様々だな。


 刺し身を酢とかで和える料理で、常世で美味しいものはなにか? と、おひささんに聞かれて、是田が千葉で食べたなめろうを思い出したんだ。献立の案を考えている時に、アジフライの名も出ていたしね。

 最初、おひささんの鯵に対する反応は良くなかった。

 無理もない。

 光り物の鯵なんて、お偉方に出す魚じゃないんだろうからね。でも、試作したらあまりに美味いっていうので、出すことになった。


 雑煮は熱々だったし、鱠は冷え冷えだ。

 温かいものは温かく、冷たいものは冷たく食べるってのも、僕たちの時間では当たり前のことだ。

 それを江戸で実行するのは果てしなく大変なことだけど、おひささんは頑張ってくれているんだ。


 香の物は、野沢菜漬、瓜の奈良漬、守口漬、粕漬けなす、有馬山椒。

 日本中を回って、僕たちが買い整えてきた。


 汁は、水餃子入りスープ。

 これも献立の案を考えているときに、案が出たからね。

 僕たちがレシピを提供して、おひささんが試作していいものに仕上げてくれたんだ。

 水餃子の中身は、なんと海老と芹。

 これだけで、見た目は中華なのに、見事に和食になったよ。


 煮物は、平椀に盛られたタコの唐揚げの煮浸し。

 これも、僕たちが挙げた案をおひささんが採用してくれたんだ。

 タコの唐揚げが醤油味の餡にとろりと包まれていて、一見煮物みたいに仕上げてある。


 飯は新潟の新米。

 また、越後高田にも行ってきたんだよ。

 これで本膳は終わり。


 おひささんは、二の膳の準備にかかる。

 そうこうしているうちに、雑煮の椀を回収してきた女の子たちから、宴会会場の感想が伝えられてくる。

 うん、どの椀も見事に空だから、美味かったはずだ。

 ただ、松平光長のお殿様、涙をこぼされたそうな。

 越後高田藩で食べていたものと、変わらぬものが出てきた、と。でも口にしたら記憶の中にあるものより遥かに旨い、と。

 もしかしたら、失われたものだからこそ、より旨いと感じたのではないか、と。今になって、越後高田に戻れない痛みが実感として心中に押し寄せたらしい。

 まあ、越後高田藩の賄い方の娘の作る料理だもんね。故郷が思い出されてもしかたないよ。

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