第7話 売買と殴打


 ただ、反社っぽい相手を見ていると、不条理に娘の味方をしたくなるな。

 この娘が逃げ切れたとしても、捕まっちまったとしても、たぶん時間の大きな流れに影響なんかないだろうし。


「まずはお若いの、証文はあるのかい?」

 そう確認する。

 ま、必要なものは、まず出してもらわないと。


「ほら、見てくんな」

 と、女衒の男、油紙に包まった証文を取り出す。

 俺も是田も、筆字は読める。でなきゃ仕事にならないからね。

 うーん、原本ホンモノだな、こりゃ。いっそ、「原本確認」のハンコでも押してあげようかねぇ。


「お若いの、一つ教えてくんない」

 って、僕は声をかけた。でも、見た目は僕の方が若く見えているかもしれない。

「なんでございましょう?」

 うーん、女衒の言い方が剣呑になってきたな。丁寧だけど、変な迫力がある。


 なんとなく、深入りしちゃっている自分を感じる。

 この女衒に対して、「人道的時間改変計画書」の嘘の言い訳をどう見抜くかというノウハウを使うことはできる。でも、やたらと気が短そうだし、あまりうだうだやっていると殴られそうだ。


「後学のために聞きたいんだけどね。

 新鉢のままと、新鉢を割ったあとじゃ、どっちが高く売れるんだい?」

「そりゃあ、新鉢のままでございましょうね」

「お前さん、この娘を5両で買って、いくらで売るつもりだったんだい?」

「旦那、女衒の商売に口を出すおつもりですかい?」

 うーん、懐から匕首あいくちでもでてきそうな雰囲気になってきたな。

 喧嘩になったら、僕と是田が2人がかりでも相手にならないだろう。僕たち、弱さには自信があるんだ。


「そんなつもりはねぇよ。

 だから、後学のためと言っているじゃぁねぇか。

 実は、こちらも親から勘当を食らっちまった身なんで、商売ってものに対していろいろ聞いておきたいんだ」

 これ、言い訳半分、今の正確な気持ち半分だな。

 芥子係長を親とは思わないけど、見捨てられたことに変わりはない。でもって、実際のところ、親どころか自分の世界のすべてから見捨てられたに等しい気がしている。だって、どうやったって戻れないんだから。


「そうですかい。

 ならお答えしましょう。

 新鉢なら15両とふっかけようかと。

 ですが、割った後じゃ10両にもなりゃしませんね」

 うーん、こいつの剣呑な目つき、変わらないなぁ。


 この時間は、元禄の前、将軍綱吉の「生類憐れみの令」が本格化される直前だ。

 まだまだ戦国の色合いが濃く残っていて、口よりも腕に物を言わせる奴も多かったし、つまり僕たちの常識からしたら野蛮極まりない。

 そろそろ、マジで殴りかかられるかもしれないな。



「見たところ、この娘は武家の出っぽいけど、それでもそんな値段ものなのかい?」

 なんとなく、心のなかで決心が固まる。どっちにつくか、だ。

「おや、よく目が利きなさる。

 そのとおりではございますが、貧乏浪人の娘なのでね。琴が弾けるとか、花が活けられるとかの技があるわけでもなし、貧乏百姓の娘より1、2両高く売れるのがせいぜいでございましょうよ」

 うん、なるほどな。

 吉原は、やたらと女郎の教養の高さを売りにしていて、短歌から囲碁まで嗜ませていたらしいもんな。今のこの娘じゃ、だめか。


 じゃ、そろそろ仕上げに掛かるか。

 いや、僕は中立だよ。

 あくまで、対反社の行動なんだ。


「ふーん。

 じゃあ、お前さんがここで手を出すということは、5両をむざむざ失うことになる。

 貧乏浪人の娘でも、武家の娘の新鉢なら5両以上の価値があるってことなのかい?

 見たところ、お前さんは筋金入りの女衒だろうに、金以上の価値が無きゃそんなこたしないだろ?」

「旦那、突っ込んできやすねぇ。

 やはり、その娘っ子、お渡し願えないと、そういうことなんですかい?」

 ま、女衒なんて稼業をやっている若いもんだ。僕が売っているの、わかっているよね。

 今のは買うぞって宣言だろうな。


「渡すも渡さぬもねぇよ。

 お前さんの好きなようにすればいい。

 ただ、こちらとしちゃ、後学のために教えを請うているだけなんだからさ」

「じゃ、旦那、娘っ子の前に立ち塞がるの、止めてくれませんかね」

「立ち塞がっちゃいねぇよ。

 この娘が、お前さんから逃げてぐるぐる回っているだけだ」

 あ、今、ぷっつんって音がしたな。


「この野郎!」

 女衒の若いの、いきなり僕の左頬を殴りつけてきた。

「ひぃぃぃ」

 思わず、僕の口から情けない悲鳴が漏れた。

 そのまま崩れ落ちて横座りになって、うるうるになる。

 マジで痛いんですけど。

 歯でも欠けたらどうしてくれるんだ。

 目から火花が散ったし、今でもくわんくわん目眩めまいがするぞ。


「貧弱っ!」

 後ろから、なんかつぶやき声が聞こえたけど、それってちょっと失礼じゃないかいっ!

 こちとら、アンタのかわりに殴られているんだぞっ!!


「うわぁぁぁっ、火事だ、火が出ているぞぅ!」

 殴られていない是田が、ここで思いっきりの大声で叫んだ。

 喧嘩で殴られたなんて叫ぶと、関わり合いを恐れて、誰も出てきてくれないって可能性があるからね。

 でも、火事は違う。

 村八分にされている家の住人までが飛び出してくる。


 いくら、的外れなことばかりしている是田でも、一応は許認可の仕事をしている公務員として、トラブルのプロだからね。係内には、現時人を巻き込む場合、巻き込まない場合それぞれの裏マニュアルだってある。

 つまり、こういう場合の方法論は確立しているから、是田でさえ的外れの対応にはならないんだ。


 最初から僕と是田じゃ弱すぎて、この女衒の若いのとは喧嘩にならない。

 でも、弱けりゃ弱いなりに戦い方はあるってもんだ。

 ま、ちょっとイヤラシイってのは認めるけれど。

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