045 例の猫の秘密に迫……らない。


「ニーナ……」


「せ、背中を見せて、傷口が深かったら危ないわ」


「大丈夫だよ、ちょっとちくっとしただけ」


「嘘つかない! 血で革が濡れてるもん! ほらっ!」



 ニーナはエインズに落ち込む暇を与えまいと、わざと騒がしく言い寄っているようだ。強引にエインズの軽鎧の背中をめくり、傷の深さを確認している。


 傷とみられる部分をそっとハンカチで拭くと、皮膚が少し裂けた程度と思われる傷口があった。ドワーフの渾身の一撃が当たったにしては随分と浅い。



「一応消毒しておきましょう、エインズ……ちょっとエインズ!」


「チャッキー、チャッキーは!?」


「チャッキー? さっきまでドワーフに威嚇してたはずだけど」



 エインズはハッと気が付いたように辺りを探し始める。ドワーフを倒す少し前から怒りで頭に血が上っていたのかあまり記憶がハッキリしていない。隣にチャッキーがいた事も実は分かっていなかった。


 まさかとドワーフが横たわっている所まで戻ると、その少し離れた穴の淵にチャッキーが横たわっているのが見えた。



「チャッキー! チャッキー、起きてよ!」


「どうしたの!?」


「チャッキーが起きないんだ! せ、精霊が死んじゃうなんてこと無いよね? ね!?」


「わ、分からないわ! とにかくどこか安静に出来るところに!」



 エインズは今にも泣きそうだ。チャッキーをそっと抱き上げる手も震えている。チャッキーはぐったりとしていて、抱き上げると力なくだらりと手足を垂らしている。



「エインズ、済まない。俺のせいでお前たちを……」



 正体がバレたと思っているジタは、先程までドワーフ相手に見せていた気迫など全くなく、とてもしょんぼりしていた。魔族と知られた以上、もう一緒に行動は出来ない。



「あーもう! ジタさんしっかりして! みなさん、このドワーフをお願いします! とりあえず宿に戻るわよ、ジタさんも来て!」


「お、俺は……」


「ジタさん、エインズが怪我したのが自分のせいだと思ってますか? それは違います。エインズはエインズのせいで怪我したんです。怪我することはエインズが決めた事です。ソルジャーは誰かを言い訳にはしない、そうでしょう?」



 ニーナはジタがドワーフに言っていた事の全てを聞いていた訳ではなかった。魔族と何らかの関係があるとは思っていたようだが、ジタが魔族だとはまだ気づいていなかった。


 ジタも、もしかしたらまだこの2人に正体がバレていないのではと思い始める。


 たとえすでに正体がバレていたとしても、魔族は不義理を何よりも嫌う。今この場では助けてくれたエインズへの義理というものがある。


 宿に着いてから自分が討たれることになろうとも、どのみち恩人を放って逃げるという選択肢はなかった。



「分かった。2人にはきちんと話したい。防具持ってやるから早く戻ろう」






* * * * * * * * *





「よし、エインズの傷はこれで大丈夫。それにしてもホント丈夫ね。防具の方が弱いってどういう事よ」



 宿に戻ってきた3人は、浮かない表情のまま部屋に入った。夏とはいえ夜は涼しい高原だ。木の床はひんやりとし、レンガの壁と窓枠の隙間から入り込む風も冷たい。


 ホッとするにはどこか殺風景で温かみのない安宿では、3人の気持ちもなかなか浮上できるはずもない。ニーナが努めて明るく振舞うおかげでまだマシだったくらいだ。



「有難う、でも消毒薬がしみるのが苦手……」


「ジタさん、チャッキーの様子はどうかしら」


「大丈夫だ、息はしてる」



 エインズのベッドの上に寝かせたチャッキーは、わずかにその背が浮き沈みしている。エインズはようやく薄らとだが笑顔が戻り、チャッキーが無事だったことに安堵していた。


 エインズは包帯を巻かれた背中から胸までをそっとなぞり、半袖のシャツを着て、そして防具をベッドの横にそっと置くとジタに代わってチャッキーの傍に座った。



「エインズが攻撃されたと分かった時のチャッキーの怒りよう、凄かったわね。エインズの事になるとあんなに勇敢になるのね」


「チャッキーは優しいんだ。俺がどんなに不甲斐なくても励ましてくれるし、嬉しい事は一緒に喜んでくれる。チャッキーがいなかったら俺はきっとソルジャーを目指してもいなかった」



 エインズは自分の攻撃にチャッキーを巻き込んでしまい、自分を慕いついてきてくれたチャッキーに申し訳なく思っていた。チャッキーがエインズの事を思い、行動に出る事は容易に想像できたことだ。


 チャッキーを止める事も出来たはずなのに、エインズは一瞬自分に何が起こったのか分からずにそれが遅れた。それが悔しかった。


だがそれをどこか納得いかない様子で眺めていた者がいた。


ジタだ。



「エインズ、チャッキーがドワーフに向かって怒ったのは覚えているか」


「うん、覚えてる」


「お前、それから急に雰囲気が変わった」


「そう、かな。すっごく許せない気分になって」


「精霊の思いが強すぎると主にも影響を及ぼすんじゃねえのか? 刺されて怒ったというよりは、なんだかチャッキーがお前を動かしたようにも見えたんだけど」



 エインズはジタに指摘されて今までを思い返していた。だがチャッキーが自分を操るような場面など1度だってなかった。もしあったとすれば村の大人たちが黙っていないだろうし、何よりチャッキー自身が自己嫌悪に陥る。



「もしかして、チャッキーが俺を操ってるって言いたい?」


「そうじゃねえよ。お前の感情とか力はチャッキーが肩代わりしてんじゃねえかって。お前もチャッキーも間違いなくいい奴だ。いい奴じゃねえのは……俺なんだ」


「えっ?」


「俺はずっとお前たちに隠してた事がある。気づいてんだろ? 俺がドワーフと、魔族と話してたのをおかしいと思わなかったか」



 エインズは急に話を変えたジタの言わんとする事が咄嗟には理解できなかった。けれど、ジタがドワーフへとヒンヤリとした空気を纏いながら問いただしていた場面を思い出し、魔族と繋がっているという意味の事だとようやく気付いた。



「ジタさん、私たちは何も……」


「俺、もしかしたらって思ってました」


「……そうか」


「エインズ!?」



 エインズはジタの言いたい事が全て分かっていると優しい笑顔で伝え、そしてそれ以上は言わなくていいと首を振った。



「ジタさんは魔権保護団体の人だったんですね。世間の風当たりが強いけど、魔族の保護と厚生の為に人知れず活動しているんですよね。魔族と人族の懸け橋になろうって……俺はソルジャーだけど、それを応援します! ね、ニーナ!」


「あ、え、あ……そう、なんですか?」


「へっ? お、おう……」

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