第2話 なんでいるんですか

 世界は七つの階層に分かれている。それをつなぐのは路。

 各階層にあるゲートから延びる路が、さながら螺旋らせん階段のように階層を踊り場にして繋いでいる。

 そして時折世界に入る亀裂や綻びでは、異なる世界の者も迷い込む。

 だから、この世界に住むものは、自分たちとは別の世界があることを知っている。

 長く、永く生きる退屈しのぎに他の世界へ出掛けるものもいる。

 そういったものは、幾つかの世界でこう呼ばれるらしい。

 ――――『魔族』と。

 これは、そんな彼らの世界でのお話。




     ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆




「すっげー顔」

 悪かったですねぇこんな顔で! 先輩みたいな顔面偏差値高くなくて!! なんて口には出せない叫びを心で上げて、反射的に机の下に隠れた。

「な、なな、なん、なんな!」

「落ち着けー。言葉になってねーし」

 落ち着くどころか息の根が止まりそうなんですが? なんてやはりこれも口には出せない。

 予鈴が鳴ってようやくミウは恐る恐る机の下から這い出て席に座る。

『なんでいるんですか!』

 ノートの端にそう書くと、シェルディナードは赤い瞳を悪戯いたずらげに細め、男性にしては整いすぎている手でペンを走らせる。

『講義とったから』


 ――――いや、先輩昨日までいませんでしたよねぇぇえ!?


 新学期が始まってから昨日まで、シェルディナードの姿をこの講義で見たことはない。

 それにどう見ても片頬杖ついてるその顔、正確に言うとその妖しげな色香さえ漂いそうな赤い瞳に、確実に面白がっている光が見える!

 ちなみに学年が違うのに同じ講義を受けることについては、高等部と大学部の授業方式が同じく単位制なので驚くことではないのだ。

『もう期の四分の一、終わってますけど!?』

 聞きたいこととは微妙にずれたものの、何かツッコミを入れないと精神的にヤバそうな気配がして、そんな言葉を書きなぐる。

 もう汗がダラダラ止まらない。しかし不思議と感じるのは暑さではなく悪寒。つまり、止まらないのは冷や汗とか脂汗の類いだ。

 年頃の乙女としてどうなんだと聞かれたら、間違いなくダメだろう。

 そんなミウの様子を楽しむように、シェルディナードは軽快にペンを再び走らせる。

『この講義 出なくても単位取れる』


 ――――じゃあずっと来ないでくれませんかねぇっ!?


 なにその講義出なくても余裕だからって感じ! 腹立つわ!! とやはり以下略。

「では小テストをします。前から問題用紙を後ろに回して下さい」

「ひょ!?」

 まったく教授の声が聴こえていなかったわけだが、唐突とうとつに聴こえた言葉に思わず声が飛び出た。

 シェルディナードが隣で物凄くウケたのかクツクツ肩を震わせている程度には突飛な声だったようだ。

 そうしている間にも無情なスピードで一番後ろのミウ達まで問題用紙は回ってくる。

 元々そんなに受講生も多くない講義である事もあるのだが。

 それまで気付かず、自分の渡す相手がシェルディナードだとわかってギョッとする者も居るが、それは一瞬だ。

 混乱極まる中、小テストが始まる。当然、未だ状態異常(混乱)のミウは死に物狂ものぐるいでやるしかない。まるで本試験のような形相ぎょうそうで。

 わかってもわからなくても、とにかく何か埋める事が重要。

 まぁ、そんな状態でやったものが良い結果なわけはないのだが。

「――――で。なんでまだいるんですか!?」

「んー? そりゃ、講義受ける為だけど」

 次の講義もそのまた次も。何故かシェルディナードがいた。

「絶対今まで取ってなかったじゃないですか!」


 ――――何なのこのお貴族さまあぁぁぁぁぁ!!


 机の下でぶるぶる震えるミウの絶望と悲哀を楽しむように眺め、やがて気が済んだのかミウの首根っこを掴んで机の下から軽く引っ張り出す。

「落ち着けって。何もおかしくねーだろ?」


 ――――全部おかしいでしょおぉぉぉぉっ!


 ミウが非難しかない目をシェルディナードに向けた。

 血よりも濃い紅の瞳が、愉しそうに笑っている。

 無駄に整った全ての顔のパーツが笑っている。


 ――――いや。いやいやいやあぁぁぁ! 何かわかんないけど、嫌な予感しかしなぁぁぁぁあい!!


「ははは。どうどう」

 馬じゃない!

 そう言いたくても言えないミウとしては、もうホント勘弁して欲しいとしか言えないのだが。

「――ミウ」

「うぎゃ!?」

 名を呼ばれ、ミウの耳から背筋にかけてゾワゾワと言い知れない感覚に襲われた。

 甘い。毒々しいくらい、甘い声。

 今この目の前にいるのは、瘴気じみた魔力に満ちた第六層出身の貴族令息きぞくれいそくだ。ミウの命など気紛れに握り潰す事だって出来る。

 本来、それくらいの身分差があり、またこの世界では身分差にはそれだけの力があるのだ。

おびえんなよ。ミウ」

「う、ぐ……」

 優しげにさえ見えるが、身分差から考えればこれは命令にも等しい。

 ゴクリ、と。ミウの喉が鳴る。

 シェルディナードは人懐こいくらいの笑顔を浮かべ、ミウの耳許に囁いた。

「ミウは俺の彼女だろ?」




 サラフォレットは告白が受け入れられた後、もはや言葉にならない奇声を上げて脱兎のごとく逃げ去った女生徒の消えた方を見て、コテンと首を傾げた。

「ルーちゃん。あれ、なに?」

「ん? 俺の新しい彼女オモチャ

「そっか」

 すんなり頷くのもどうなのか。

「何で逃げたの?」

「多分、本当に好きなわけじゃないからだろ」

「…………?」

「何かの罰ゲームなんじゃね?」

 俺に告ったの。そう言って親友が笑う姿に、サラフォレット通称サラは、スッと瞳をすがめた。

「ルーちゃんを、罰ゲーム、の、対象に……?」

「サラ。やめろ。多分ミウはやらされただけだ。それに……」

 チラと周囲を一瞥いちべつして、シェルディナードは愉しそうな笑みを浮かべる。

「やらせた側の面白い顔みれたし、な」

 あり得ない事が起こったときの、狼狽ろうばいした計画者の顔ほど愉快なものはない。それに、シェルディナード的には何も損はないのだ。

「サラ、明日から出る講義増やすわ」

「ん。りよーかい」

 二人にしてみれば高等部の講義など既に一度終えたもの。出なくても単位を取れる自信はあるのだが、何やら面白そうな事態になった。

満喫まんきつさせてもらおうぜ」

 クスクスと笑う親友に、サラは頷き微笑を浮かべる。

 親友が楽しそうなら、サラとしては何も問題はない。

 走り去った女生徒の方向に今一度、目を向けて、二人は楽しそうに笑い合った。

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