第118話 暴力は市場を壊す

「あ、そうそう。それにさ、そんなに心配してもらわなくっても平気だから。さっきの見たでしょ?」


「ああ。本当ですね」


 言われて、改めて零央は思い出していた。小夜は自分よりも体格が良く重量のありそうな暴漢を投げ飛ばして制圧したのだ。


「何かおやりになってたんですか?」


「投げるやつを少し。女一人だと何かと物騒だからってさ、じっちゃんに勧められたんだよね。ま、バッグ狙われてんのかと勘違いして対処が遅れるぐらいだから、大したことないんだけどさ」


 …ぼくがいるより、余程頼りになるかもしれないな。


 零央が思っていると小夜が言った。


「世の中には人間の姿をしたサルがいるから気をつけろって、じっちゃん、よく言ってたけどホントだな」


「サル…ですか?」


「そ。人間の姿をしてはいるんだけどね、中身がサルだから人間のルールが理解できないの」


 零央は苦笑した。小夜から伝え聞いてはいたが、確かに良弦は皮肉屋だ。


「人間のルールが理解できないんだもんなあ。そりゃあ、株で儲けられるわけないよね」


 小夜も皮肉屋だった。


「株はいいよ。暴力もない。圧力もない。いじめもなけりゃあ、取引で血が流れることもない。何を好き好んで暴力持ち込むかねえ」


 言いながら、小夜は零央の頬に指先を伸ばした。指が零央の左頬を撫でる。


「ほっそい体で無理しちゃって」


 零央は小夜を見つめ、撫でられるままにしていた。頬が熱っぽいのは殴られたせいだけではなかったかもしれない。小夜の指先はすぐに離れた。


「見かけの割に骨あるんだね」


 親しみのこもった眼を小夜はしていた。


「たいしてお役に立ちませんでしたけど」


「んなことないって」


 視線を交わした後で、唐突に小夜が言った。


「これも、じっちゃんの言葉。暴力は市場を壊す、って。だから、いけないんだ、って」


 小夜の口にした言葉は、今しがた暴力を受けたばかりの零央にひどく素直に伝わった。良弦は暴力というものが人の自然な振る舞いを阻害すると言いたかったのだろう。ただ、仕組みとしての市場だけを指して言ったわけではあるまい。どちらを壊すのも許し難い行為だと零央には思えた。


「あ、そだ! ウチ、来る? ちょうどいいから、手当てしてあげる」


「はい?」


「見たいって言ってた物、あったじゃん? 手当てもできて一石二鳥」


 小夜の言いたい内容をようよう零央は理解した。が、申し出が突然であったためと以前に断わりを入れたことを思い出したために決断が遅れた。


「え、と…、でも…」


 躊躇を示すと小夜が口を尖らせた。


「怖い思いをした女の子を送ってくと思えばいいじゃん」


 珍しく小夜が甘えた言葉を口にした。その感情は零央の心に届き、和ませた。本当に怖いと思ったのか、それとも煮え切らない態度の自分を促すために言ったのか判然としないままに零央は気持ちを傾けた。


「…お買い物はどうなさるんです?」


「今度でいいや。ついでのつもりだったから」


「それでは、お言葉に甘えて」


「うん。そうしなよ」


 言葉と共に笑みを交し合い、二人は道行きについて話し始めた。

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