第114話 殴り合い

 近づくにつれて男たちの姿が明確になる。小夜の左腕を掴んだ男はムートンのボマージャケットを着ていた。下はアーミーパンツとブーツだ。抵抗する小夜を押さえ込もうとしている右の男はフードのついた白いジャージの上下を着ていた。二の腕と大腿部を取り巻くようにメタルグレーのラインが三本入っている。

 男たちは道路脇の車に小夜を連れ込もうとしていた。サイドドアが開いている。バンパーやサイドの部品を交換したカスタムカーは銀色の遮光フィルムに遮られて内部は見えない。さらに接近すると右側にいた男が小夜から離れて向かってきた。

 男は小さな丸いサングラスをかけていた。癖のある髪の毛を肩まで伸ばしている。中央で分けられた前髪が額の端にかかっていた。リブの無いジャージが走る男の挙動に合わせてはためく。男が右の拳を振りかぶった。


「!」 


 警戒した次の瞬間には顔に衝撃を感じていた。衝撃は零央の足を止め、知らず心は萎縮した。意識の空白は一瞬で埋まった。頬に感じた痛みと口中に広がる鉄の味は衝撃の意味を零央に悟らせた。殴られたと悟った刹那、心が爆発した。怒りは零央の拳を動かし、相手の顔面へと向かわせた。


「―!」


 男がのけぞる。左に回避され、零央の拳は当たることなく宙を貫いた。しかし、サングラスに拳の端が当たり、弾け飛んで地に落ちる。男の双眸が露になった。


「!?」


 瞬間、零央は戸惑った。大した反撃ではなかったはずにも関わらず、男の眼に怯えのような揺れが走ったからだった。


「―!」


 零央の逡巡は束の間だった。今度は男が左の拳を大きく振りかぶっていた。零央は腕をクロスさせてガードを固めようとした。


「ごげっ」


「?」


 割り込むように別の場所から響いた声が零央と男の双方の動きを止めた。声の聞こえてきた方向を見ると、ボマージャケットの男が地面に叩きつけられ、横倒しになった姿が目に入った。


「なぁに、下から見上げてんだ、スケベ野郎!」


 倒れた男の頭に小夜が蹴りを入れる。もう一度、男の短い悲鳴が聞こえた。


 …スカートじゃないんだから、見えないと思うんだけど…。


 威勢のいい小夜の言動に零央まで萎縮していた。


「―!」


 すぐに緊張感を取り戻した。零央と殴り合いを演じていた男が身を翻し、小夜の方へ向かって走っていた。


「危ないっ!」


 警告を飛ばした。一瞬遅れて小夜が振り向く。次の瞬間にはジャージの男に押されて小夜が尻餅をつき、短く声をあげていた。


「小夜さん!」


 走り寄る間にジャージの男はボマージャケットの男を強引に助け起こし、車のサイドから中に押し込んだ。車中には運転役がもう一人いたらしく、車はドアが閉じきるのも待たずに急発進した。噴かし込まれたエンジンが轟音を出し、軋むタイヤが周囲に音を響かせた。発進と同時に急旋回したワンボックスは車体を左右にバウンドさせながら道路を逆行し、低い車体を路面に擦りつけて耳障りな音を立てた。そのままワンボックスは幹線道路になだれ込むと猛スピードで走り去った。後には車の行方を見やる零央と小夜が残されていた。

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