第17話 禅問答

 小夜が怪訝な顔をした。


「? どうした?」


「いえ。ホントにそうですね。絶対なんかない」


「そうだよ。よく覚えておかないとね。でないと、相場では痛い目を見る」


 黙して零央は頷いた。


「改めて言っておくと、株は焦って買わなくてもいいんだよ」


「でも、買おうとしている時って気が逸りますよね」


「分かるけどね」


 小夜が笑い顔になった。


「でも、株ってのは必ず下がるもんなんだからさ。だから、利益が欲しいなら焦らずに下がるのを待つのがいいんだよ」


「必ず下がるんですか?」


「そうだよ。さっきも言って聞かせたよね、じっちゃんの言葉を。ポジティブな言い方が良ければ、必ず上がるって言い表してもいいけど」


「つまり、相場―株式市場には常に上げ下げが存在する、と。そういう意味ですね」


 一つ小夜が頷いた。


「だからさ、慌てることはないんだよ。あんたは気が逸るって言ったけど、それは意識のし過ぎでね。しくじる投資家特有の心理状況なんだ。大事なお金を預けるんだからさ、投資の対象に意識を向けるのは当然だけど、向け過ぎちゃいけない。思い定めた銘柄があるからって注意を注ぎ過ぎると値動きに惑わされるんだ。買いそびれるとか、もう下がってこないんじゃないかとか思って、動いちゃいけない時に動くことになる」


「焦りが手を狂わせるんですね」


「いい表現だね。まあ、株は値のあるものだから値を見るのは当然。でも、捉われると価格以上のものに手を出すことになる。それはいいことじゃないだろ?」


「確かにそうですね」


「だから、値動きに意識を向け過ぎないように自分で調整しないとね。んーと。じっちゃんが何か言ってたんだけど…。確か、見ないようにして見る。見ながらも見ない、だったかな? よく分かんないよね、これじゃ」


「いえ、そんなことはないです。言いたいことは何となく分かります」


「へ? 分かるの? あたしは分かんないよ?」


「ぼくも漠然とですけど。でも、まるで禅問答みたいですね、その言葉」


「そうなんだよ。じっちゃん、時たま訳分かんないこと言ってたから」


 渋り切った顔をする小夜を見て零央は微笑った。


「ま、いずれにしても、株はどこかで落ちるんだからさ。その時まで悠然としてればいいんだよ。そんで、待ち構えていたように買い回るのさ。暴落の時なんて最高だね」


 わずかに零央は表情を動かした。自分は売りに回ってしまったことを思い出したからだ。意識して感情のさざなみを制御すると小夜の声に耳を傾け直した。


「株はさ、頑張らなくてもいいんだよ。上がってほしいと思っても下がる時には下がるしさ、下がってほしいと思っても同じ。だから、大事なことは時々刻々と変わる状況に対して淡々と手を打つことなんだ」


「…それが難しいんですよね」


「難しくてもやるしかないね。株で儲けたいなら」


「はい!」


 零央の明確な返事に応じたように小夜が首を横に小さく傾けた。

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