第99話 敵のアジト②

 その日の夜、鳴り響いたクラクションを合図に氷室は銃を懐のホルスターに納めてコートを羽織い外へ出た。アパートの前に停まっている見覚えのあるランドクルーザーはトニーの愛車。機能性と安全性を備えた実にトニーらしいチョイスのファミリーカーである。


「悪いな、少し遅れちまった」


 運転席の窓を開けたトニーはそう言うと、ビビッド・パッション・ドーナッツの箱をぶら下げて微笑む。


「ディナー付きの送迎とは至れり尽くせりだ」


 氷室はそう返すと助手席に乗り込む。子供とカミさんが嫌がるためトニーの車は禁煙。故に氷室を同乗させる時は口寂しくないようにいつもここのドーナッツを用意するのがトニーの習慣になっていた。


「ディナーってお前、マジで栄養偏るぞ。今度うちに来い。お前もサラダ地獄に誘ってやる」


「それだけならまだ良いが、またチビ二人のママゴト遊びに付き合わせるつもりか。死んでもごめんだ」


 数年前に一度だけ氷室はトニーの夕食に招かれたことがある。その時はまだ娘たちも小さく、夕食後子供部屋に氷室を連れて行き人形遊びとママゴトの相手をさせられたのだ。それ以来、互いに忙しくなり部署移動もあったことからすっかり疎遠になってしまっていた。トニーに言われるまでそんなことがあったことすら忘れていた。時の流れは早いもんだと思いながら、流れゆく車窓からの景色を眺めつつ氷室は続ける。


「三人目が産まれたら考えてやるよ」


「……ああ、そうしてくれ」


 少し寂しそうな顔を見せたトニーだったが、すぐにその表情は仕事モードへと切り替わった。それと同時に車はゆっくりと停車し、トニーは車のエンジンを切る。


「着いたぞ。あれが例の廃工場だ」


 エデンからハイウェイで約一時間。ようやく現場に到着したようだ。トニーと氷室が車から降りて遠巻きからしばらく様子を伺っていると、一台の大型トラックが工場前に停車した。

それと同時に工場内から次々とガラの悪いヒスパニック系の輩がゾロゾロと出てくる。男たちは荷台を開けると次々と木箱をいくつも取り出して工場内に運んでいく。中身まではわからないが、良からぬモノであるのは間違いなさそうだ。辺りを警戒し見張っている連中の手には自動小銃が握られていた。


 荷積みを終えた輩は運転手の男に帯札を二つほど渡すと、トラックはそそくさと工場を離れていく。それを見送った連中は全員工場内へと戻っていった。


「よし。今のうちにもう少し近くに行ってみよう。何か手掛かりがあるかも知れない」


 静止を促すよりも先に飛び出したトニー。あの慎重な男に似つかわしくない軽率な行動に流石の氷室も動揺を隠せないでいた。


「おいトニー。なにやってるんだ。見つかったら無事じゃ済まないんだぞ」

 

「見ろよエイジ、これ」


 先行したトニーが地面から拾い上げたもの。それはマルグリットに渡したポリ袋と内容物まで全く同じものだった。


「でかした。それだけでも充分な証拠になる。取り敢えず今夜はずらかるぞ。これ以上の深追いは危険過ぎる」


「何言ってるんだエイジ。これ以上一分一秒だって奴らの凶行を許すわけにはいかない。ここで奴らを潰しておかければ、被害者はますます広まるんだぞ。こんな危険な代物をのさばらせておくわけにはいかない。お前が来ないならそれでもいい。だが俺は行くからな」


 肩を掴まれていた氷室の腕を振り解くと、トニーは銃のセーフティーを外して工場内へと単身で突入していった。


「あのバカなにやってんだ!」


 このままだと間違いなくトニーは殺される。応援を要請している時間すら惜しい。氷室は考える間を惜しんでトニーの後を追って工事内へと突入することにした。


 中は薄暗く、何も見えない。

 壁を背にしながらトニー同様銃を手にして息を殺すようにゆっくり進む氷室。


 怒声や銃声が聞こえないほど静まり返った状況から察するに、トニーはまだ連中との接触はしていないと考えていいだろう。工場内の中心と思われる広いスペースに足を踏み入れたその瞬間、ブレーカーが上げられ通電が行われたらしく工場内の照明、機械が全て動き始めた。


「ようこそ! アイスエイジ! そろそろ嗅ぎつけてくると思っていたぜ!」


 工場の二階。その際奥に立っていたのはトルメンタ同様の肌の色、彫りの深さが際立った顔立ちのスパニッシュ系の痩せ男。


「貴様がディエゴか」


「ご存知とは恐悦至極。如何にも私が新生ディアブロ・カルテルのドン。ディエゴ・バルセラータだ」


「フッ、首領ドンとは大きく出たな。俺には小物にしか見えんがな」


「そんな遠くにいるから見辛いんだよ。今そっちに行くからよく見てみろ。俺の器のデカさをよ」


 ディエゴはそう言うと、ゆっくりと優雅に。余裕に満ち溢れた表情で氷室のところまでやってきた。距離にして実に五メートル弱。射撃が不得手な氷室の腕でも狙える距離である。


「わざわざ撃ち殺されに来たか」


 ディエゴを睨みつけ銃を構える氷室。

 それに対してディエゴはこう返した。


「これだけサービスしてやってんだ。外すんじゃねぇぞ」


 ディエゴが放ったその言葉が氷室に向けられたものではないことを知ったのは、一発の銃声と左肩に走った痛み。


 肩から噴き出た血溜まりに片膝を突いた氷室が振り向くと、そこには銃口から煙を上げる拳銃を構えたトニーが立っていた。

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