第37話 二頭の犬
昼の十二時を少し過ぎた辺りから、香龍飯店はアルメニアで最も危険な場所となる。
右も左も犯罪者。それも、並の小悪党などではなく世界的に名が知れ渡っている極悪人ばかり。街一つが丸ごと監獄と世間から揶揄されているジェイルタウン。そこにある唯一の飲食店は、今日も普段と変わらぬ跳梁跋扈ぶりを見せていた。
「いらっしゃいませ、こちらのお席へどうぞ」
〝九割悪党、残り一割の奇跡〟〝救世の天使〟〝野獣どもの美少女〟健気にも無い頭をフルに回転させてひり出した、彼らなりの賛辞の数々。今や、ジェイルタウンの人間でアイラの存在を知らぬ者はいないほどの人気ぶり。注文せずに遠目でアイラを眺める輩まで湧いて出るほどだった。
ある者は店の周囲から。またある者は向かいに聳える廃ビルの階段の踊り場から。四方八方が悪人に包囲されているという、常人であれば正気を保っていられないほどの危機的状況。そんな中、ウィリアムは店内の洗い場やレジ、外のテーブル席を慣れた様子で軽快に行き来していた。
「アイラが来てから本当にすごいね。今度からメニューに観賞チケットを追加した方が良いかも。ねぇ、デュラン?」
「紙切れで腹が膨れるわけねぇだろ。くだらねぇこと言ってねぇで洗い物が終わったならサッサと次を運べ。もうすぐ回鍋肉あがるぞ」
洗い場は調理場のすぐ横に併設されており、洗い物が溜まるとウィリアムがここに来て洗い物を行なう。デュランとウィリアムが並んで作業をするのは、この時くらいしかない。それも、ランチとディナーのピーク時のみに限られるので日に四〜五回。時間にして一時間程度しかないのだ。ウィリアムは手早く洗い物を終えると、料理の盛られた皿を両手に客の元へと向かう。それと入れ替わるように店内へやって来たのはアイラだった。
「おう、注文か?」
「うん。お肉抜きの八宝菜定食を二つとチャーシュー麺大盛り。あと餃子定食六つ」
「肉抜き八宝菜が二人前? 数間違ってねぇか?」
デュランは透かさずアイラに確認を取る。この店で八宝菜の肉抜きを注文する輩は一人しかいない。殺し屋バング兄弟の弟。両手鎌使いでベジタリアンのココくらいだ。そこにチャーシュー麺大盛りと餃子複数人前の注文が重なる場合、ライガン一味が来店したことを知らせる合図となるのだがココは痩せ型の小男で巨漢の兄ライガンのように大喰らいではない。したがって、この数量の注文は本来ならあり得ないのだ。
「あれぇ!? アシュリーちゃんじゃない! よく此処まで来られたね。襲われたりしなかった?」
外から聞こえたウィリアムの様子から、デュランは全てを理解した。
「ちょいと早いがキリが良い。これを捌いたら俺らも休憩にするか。ウィリアムにもそう伝えてきてくれ」
小さく頷いたアイラは、水の入ったグラスを人数分トレイに乗せてテーブル席へと向かって行った。
(あいつ来てやがるのか。珍しいな)
デュランは注文の品を作る合間に賄いの調理も始めた。卵とトマトの炒め物、
ウィリアムとアイラが出来上がった料理を客へ提供し終えたのを確認したデュランは、頭に巻いていたバンダナを外すと三人分の賄いを持って店の外へと出たのだった。
ランチのピークは過ぎ、客は疎ら。テーブル席二つ分占領しているバング一味と、離れた場所にて一人黙々と回鍋肉を食べている早撃ちセリウッド。その隣の席では、空き巣王サマンサと噛み切りジョージが目くそ鼻くそレベルのくだらないお互いの武勇伝で盛り上がっていた。デュランからすれば何ら変わらないいつもの光景。しかし、この日だけはいつもの光景に混じった異物が二人。
「あ、デュラン! ランチしに来たよー!」
店から出てきたデュランに向かって、尻尾を振る犬のように嬉々としてぶんぶんと手を振ってアピールするアシュリー。そしてその隣には、煙草を咥えながら陰湿な双眸でこちらを睨んでいる帯刀した背の高い不気味な男。
「おいコラ、アイスエイジ。てめぇ何しに来やがった」
「客に対してナメた口叩いてんじゃねぇよ犬っコロ。罪状適当にでっち上げてしょっ引いてもいいんだぞ」
「誰が客だ疫病神。上等じゃねぇか。やってみろ」
まさに一触即発。顔を合わせ、数回言葉を交わしただけで一気に臨戦態勢。お互いの胸ぐらに掴み掛かったその瞬間、流石にマズイと互いの相棒であるウィリアムとアシュリーが宥めに入る。
「ちょっと、やめなよデュラン!」
「氷室さんも落ち着いてください!」
大人の小競り合いに挟まれながら、その様子を眺めるアイラ。その瞳には彼らの姿が散歩中に喧嘩を始めた犬同士と、その飼い主たちに見えていた。そして、このいざこざを止めたのもまたアイラだった。
「……おなかすいた」
か細い声と控えめで可愛らしい腹の音だったが、デュランと氷室のボルテージを急降下させるには充分過ぎた。
「……とりあえずメシにするか」
「まぁ、そうだな」
子供の前であまりにも大人気ない態度を取ってしまったと自覚したのか、デュランと氷室は、ばつが悪そうに互いの胸ぐらから手を離して大人しく椅子に座ったのだった。
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