第30話 神と悪魔とドーナッツ①

 エデン署から外に出ると、暑い日差しが真上から降り注いでいた。その眩しさに、アシュリーは目を細める。外は快晴。気温は体感で三十度前後といったところか。白地に薄手の修道服を身に纏っているアシュリーは比較的涼しい装いではあるが、その上に防具を装着している為かなり蒸し暑く感じる。額にも薄っすらと汗が滲む。三歩前を歩く男はと言えば、この気温の中でもロングコートを羽織り、涼しい表情で煙草を吹かしていた。


(あの人、暑くないのかな……)


 アシュリーはそんなことを思っていると、氷室の足が止まった。エデン署を出て十五分経ったが、氷室が信号以外で足を止めたのはこれが初めて。振り返ってアシュリーに声を掛けたのも、エデン署を出て初めてだった。


「おい」


 アジア人特有の黒い瞳と不健康そうな目の下の隈、それに氷室の鋭い目付きが相まって強い威圧感を放っているように見える。ただ、本人に言わせれば至って普通。別段機嫌が悪いわけでも威嚇しているわけでもないというのだから始末が悪い。ぶっきらぼうな物言いもあり、アシュリーは間の抜けた返事で氷室に答えた。


「えっ、あ、はい。な、なんでしょう?」


「そういや、朝メシは済ませたのか?」


「い、一応簡単にですが」


「そうか。まぁ、いい。ついて来い」


 氷室はそう言うと、ピンクでカラフルな看板の店へと入っていった。


「こ、ここって……」


 アシュリーは店の前で呆然と立ち尽くす。そこが、彼には余りにも似合わない場所だったからだ。何か特別な意図がある。あるいは、捜査の一環かも知れない。そう自分に言い聞かせて、気を引き締めてアシュリーは氷室に続いて自動ドアの先へ足を踏み出した。


「いらっしゃいませー! ビビッド・パッション・ドーナッツへようこそー!」


 アシュリーを出迎えたのは、明るい女性の声。そしてドイツの民族衣装ディアンドルを模した、やや露出の高い鮮やかなピンクの制服に身を包んだ若い女性店員たち。氷室が入って行ったのは、若い女性客をターゲットにしたドーナッツ店だった。


 絵画的な題材を付けるなら〝天使と悪魔〟がぴったりな光景。にこやかなスマイルで注文を受けている可愛い女性店員と、紙幣とスタンプカードを差し出す帯刀した黒尽くめの男。その異様さは、側から見れば強盗が押し入っている様子にも見えなくはない。この珍客に対して自然に接客をする店員と自然な流れでスタンプカードを出す様子から、氷室が普段からここを贔屓ひいきにしている常連客であるということが伺えた。


 アシュリーの後から入ってきたカップルの客が、ギョッとした様子で注文カウンターの氷室を見る。当然の反応だ。ファンシーで可愛い雰囲気の店内にいきなり死神が待ち構えていれば誰だってそうなるのは必然。アシュリーは願った。出来ることであれば、知り合いだと思われたくないと。しかし、その願いをアスガルド聖教が信仰する全能神オーディンは聞き入れて下さらなかった。


「アシュリー、お前も好きなものを頼め。奢ってやる」


 アシュリーはこの日、アスガルド聖教に入信して初めて神を恨んだ。

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