第8話 奇妙な共同生活

「お前……」


 男の心臓を貫く寸前でデュランが手を止めて視線を落とすと、無表情で自分を見つめる少女、アイラが右足にぴったりしがみついていた。アイラは何も語らず、ただ首を横に振っていた。


「こいつを殺すなってか?」


「うん」


「お前を売り飛ばそうとした連中だぞ」


「ごはん」


「あ?」


 アイラはデュランの手刀を指差して続けた。


「その手は、ごはんで人を幸せにする為のものじゃないの?」


 ここにいる誰もが予想もしない一言で訪れた沈黙。無言で見つめ合う金と金。デュランは溜息交じりに目を瞑り、再び開く。その瞳からは殺意がすっかり消えていた。


「わかったから、もうそんな目で見るな」 


 デュランが構えた右手を下ろしたのを見て、アイラはデュランの足から離れた。ようやく地に足を着けられた男に訪れたのは、腹部を貫く激しい衝撃。デュランは男を下ろしたと同時に力いっぱいに回し蹴りを放ったのだ。これには、アイラを含めたその場の全員が唖然とした表情を浮かべた。


「おい、クソ野郎。命拾いしたな。手はダメらしいから足で勘弁してやるよ」


 ズドン、という音と同時に足が地面から僅かに浮くほど凄まじい蹴りを受けた男はその場に蹲り悶絶している。

 デュランに本気で蹴られれば並の人間であれば痛みを訴えることなくあの世行き。一時の呼吸困難で済めば命があるだけ幸運だ。しかし、この男にしてみれば、地獄の苦しみに変わりはないだろう。


「とっとと失せろ。そんで、二度とこのガキには近づくな。あー、それからあいつらも一緒に連れて帰れよ。運が良けりゃ全員助かるかもしれねぇぞ」


 男と他数名は弱々しく立ち上がると瀕死の仲間を担ぎ、足を引きずってジェイルタウンを去っていった。


「お疲れ、デュラン。とりあえず返り血は拭きなよ。いつもより余計に怖いよ」


「うるせぇ。いつもよりは余計だ」


 ウィリアムはデュランにタオルを投げて渡した。デュランはそれを受け取り、顔や服に着いた血を拭く。


「じゃあ、次は腕の治療だね。さっき銃弾受けてたっしょ?」


「ああ? いいんだよ、こんな掠り傷。紹興酒でもぶっかけときゃ治るだろ」


「いいわけないだろ。弾は早めに抜いとかないと後々面倒になるんだって」


 デュランは渋々椅子に腰かけ、銃創をウィリアムに見せる。ウィリアムは店から持ってきた救急箱を広げると慣れた手つきで被弾した箇所から器用に弾を取り出していく。幸い、動脈は傷付けておらず、怪我自体は比較的軽く済んだようだ。


「ほい、とりあえずはこれでオッケーだね。傷口開くといけないからあんまり動かさないでよ」


「おう、悪いな」


「わかってるとは思うけど、あくまで応急処置だからあとできちんと病院に行きなよ? 出来ればここの闇医者じゃなくてきちんと外の病院にさ」


 エデンでは銃や刃物による傷害は日常茶飯事である。今回のような小競り合いでデュランも幾度となく負傷してきたが、何が気に入らないのか今までまともに病院へ行こうとしなかった。その度、仕方なくウィリアムが医学書やインターネットで調べながら治療しているうちに素人療治が板についてきて今に至っている。


 命に関わるほどの大きな負傷が未だないことやデュランの体が並外れて丈夫であることが幸いして今のところ何とかなってはいるが、出来ればきちんとした治療を受けて欲しいとウィリアムは常々デュランに伝えてはいる。しかし、当のデュランは全く聞く耳を持たないのだった。


「それにしてもさ、デュランってたま―に優しいとこあるよね」


「は? 何が?」


「その傷だよ。それ、あの子を庇ったから出来たんでしょ?」


 救急箱を片付けながらウィリアムはアイラへと視線を向けた。


 あの時、連中の一人が放った一発の凶弾。あのままデュランが手を伸ばしていなければ、弾は扉の薄いガラスを貫通し、カウンター席に座っていたアイラは今頃血を流して倒れていただろう。


「店の中は弾痕だらけで今更ブリットの一発や二発、痛い思いしてまで防ぐ必要は無かったもんね」


「ち、ちげーよ。騒ぎが一段落したらエデンに返しに行こうとしててだな!」


「だったら、連中を半殺しにしないで、さっさと渡しちゃえばよかったじゃん。まったく、素直じゃないんだから」


「でもそこがまた、彼のいいところでもあるんだけどね」


 不意に聞えた第三者の声。振り向くと、いつの間にか一人の女性が隣のテーブル席に座っていた。


「やあ、こんばんは。お二人さん」


「いつから居やがった。イルミナ」


「狼が虎のモノマネをしたところから、かな」


 紫がかったミディアムショートの黒髪で、左目が前髪で隠れたミステリアスな雰囲気が漂う彼女もまた、ここの常連客の一人だ。


「見世物じゃねぇんだよ」


「つれないなぁ。僕は君のカンフーを見るのが好きなんだ。何なら、特等席のチケットを取ってもいいよ」


 テーブルに頬杖をついて微笑む黒尽くめの女。名をイルミナという。悪漢だらけのこの街に住んでいる唯一の女性であり、本業が年代史家という非常に特殊で稀有な人物だ。ジェイルタウンで一番の知識人であり情報通である。


 その知識や情報量を活かして副業で情報屋などもやっている。独特な雰囲気と風貌から、彼女を魔女や女吸血鬼などと呼ぶものも多い。香龍飯店の二人と同じくらい、ここでは有名人だ。


「おや? 今日はとても珍しいお客様がいるね」


 イルミナはそう言うと、店の前に立っているアイラの前まで行き、目線の高さまで屈んだ。


「こんばんわ、お嬢さん」


「こんばんわ、お姉さん」


 アイラは挨拶を返してイルミナをじっと見つめる。イルミナもそれをただ微笑ましく見ていた。そして、アイラの髪を優しく描き上げるとそっと白い頬に触れた。


「金色の瞳。まるでデュラン、君にそっくりだ。そして金色の髪はウィル、君によく似ている。水臭いじゃないか二人とも。で、どっちの子だい?」


 イルミナの一言に、周囲の空気が凍りついた。


「ななな、なに言ってんスか、イルミナさん! その子は俺が――」


「ああ、君の子か、ウィル。まあ、女癖が悪い君なら何となく頷けるよ」


「ちげーよ、イルミナ。そいつは――」


「ほう、女っ気のない朴念仁だと思っていたが……。デュラン、君も意外とやるもんだね」


「聞けやコラ。つーか、さり気なくひでぇコト言ってんじゃねーよ」


「ははは、冗談だよ。大丈夫。ちゃんとわかってるさ」


 イルミナが次に放つ一言が、ジェイルタウン中を震撼させることとなる。


「君ら二人の子だろ?」


 起爆剤に火は放たれた。後は瞬時に大爆発。殺し屋バング兄弟、闇医者グレッグ、爆弾魔のモーリス、空き巣王サマンサ。その他大勢の名立たる悪党たちが皆散り散りに走り去って行く。この衝撃の事実を未だ知らぬ他のものたちにも報せる為に。


「うおおおい! あいつら完全に信じちゃってるよ! マジでジェイルタウン中に言い触らす気だよ!?」


「バカだバカだと思っていたが、まさかこんな嘘を本気にするほどのバカの集まりだったとは。おい、イルミナ! お前さっさと奴らに……って、あいつもいねぇ!」


 イルミナの座っていた席には「ごめんね」と書かれた一枚の紙が置かれていた。


「……」


 この騒ぎにも全く動じず残っていたのは、噂の渦中にいるアイラ唯一人だけだった。


「で、マジな話さデュラン。この子のこと、しばらくの間だけでも面倒みてあげることは出来ないかな?」


「あのな、今俺は見ず知らずのこいつの命を救ってやったし、成行きとはいえ追手も片づけてやった。それ以上を施すほど俺は善人じゃねぇよ。しかも、メシまで食わせてやってんだ」


「それだよ、デュラン!」


「あァ?」


「食事代ってこの子から貰ってないでしょ? じゃあさ、しばらくここで働いて払ってもらったら良いじゃない」


「ガキから金なんか取れるかよ」


「店としてやっている以上、損益は見過ごせないよ。一応、この店の経理は僕がやってるわけだしね。食事の代金は労働で相殺ってことで。どうかな?」


「どうもこうもねえだろ。おい、お前」


 デュランはアイラを指差し、ぶっきらぼうに言い放った。


「こうなっちまった以上は仕方ねえ。当分お前の面倒は見てやる。ただし! 働かない奴は食う資格はない。お前にはしばらくこの店で働いてもらうぞ」


 この日から、ジェイルタウンに住む男二人と一人の少女の奇妙な共同生活が始まった。

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