200.支部長の苦悩


 支部長室の扉をノックすると、「どうぞ」と返事がある。

 少々、疲れを感じる口調だ。

 一言声をかけ室内に入ると、シグード支部長はひとりで執務机に座っていた。

 机の上には大量の資料が詰まれている。支部長は椅子に深く腰かけ、腕を組んで天を仰いでいた。


 わかりやすく、悩んでいる。


 俺と目が合うと、支部長はわずかに表情を緩めた。


「やあイスト氏。呼び出してすまないね」

「いえ。……お忙しそうですね」

「ま、見てのとおりさ」


 両肩をすくめる。

 促されるまま来客用のソファーに腰かけると、シグード支部長は手ずからお茶を淹れてくれた。俺は慌てた。


「支部長、お茶なら自分たちで淹れますから」

「気にしないでくれたまえ。ちょうど気分転換がしたかったのだ」


 差し出されたお茶の色はだいぶ濃かった。香りも強い。

 先にカップに口を付けたクルタスが、小さく「こふっ」と咳き込んだ。「失礼」と謝る彼を横に、俺も覚悟を決めてカップを傾ける。

 すっげえ苦かった。


 支部長の顔色には、確かに疲れが見える。けれど、【夢見展望】で苦しんでいた頃とはまた違う苦悩があるようだった。

 俺は書類の山を横目で見ながら、たずねた。


「【夢見展望】がらみではなさそうですね」

「さすが我が街が誇る六星水晶級冒険者。――幸か不幸か、という感じだがね」


 困った困ったとつぶやきながら、お茶をクイと飲み込む。味はまったく気にならないらしい。クルタスが「信じられない」という目で支部長を見ていた。


「昨日、ギールトー・キア氏がここを訪れてね。彼からあらかたの事情は聞いている」


 長く息を吐いてから、シグード支部長は続けた。


「グロリア家と言えば、ディグーリヴァ聖王国五領のひとつを治める大貴族様だ。我々とは格が違う。そこのご令嬢が乗り込んできたとなれば、対処に困るというものさ」


 ディグリーヴァ聖王国と一言で言ってもその領土は物凄く広い。聖王国の端から端まではウィガールースから霊峰ケラコルくらいはあるから、ルオ・グロリア領ひとつ取っても桁違いの規模なのは自明の理である。


 俺はうなずきながらも、内心、少し意外に感じていた。

 シグード・ロニオは、身分の違いなどさらりと流すだろうと思っていたからだ。

 ウィガールースやエラ・アモといった都市は、基本的に自治組織を形成しているので、ディグリーヴァ聖王国の統制を受けることはまずない。


 これまで何度も難局を共に乗り越えてきた気安さから、俺は正直に伝えた。


「支部長のことですから、たとえ相手が聖王国でも上手く折り合いを付けるものだと思っていました」

「それは買いかぶりというものだよ。勇者殿」


 シグード支部長の答えに、俺は口を閉ざした。軽率な発言だったと反省する。

 お茶を淹れ直し、支部長は語った。


「正直に言って、ウィガールースとしては困っている。事前の連絡無しにいきなり押しかけてきて、娘の面倒を見ろ、ということなのだからね。相手はやんごとない身分。何かあればこちらの責任が問われる。かと言って断れば、遠路二千キロをやってきた相手の意向を無下にすることになる。普段交流がないから信頼関係の構築も最初から。相手の出方がわからない。まったく、迷惑な話さ」

「なるほど……」

「しかも今回は飛行船という、我々にとっては見慣れない高度な乗り物がいきなり現れたんだ。ウィガールースの一部――特にギルド関係者の間では動揺と不安が広がっている。ましてや、先日の魔王騒ぎもまだ記憶に新しい」


 ギルド連合会支部の長として、本部がある聖王国とは揉めたくないしなあ――と彼はぼやく。


「今回に限って、【夢見展望】は一切機能しなかった。つまりは我々で何とかするしかない」


 大貴族の顔を立てつつ、ウィガールース内の不安を鎮めるにはどうすればよいか――。

 シグード支部長は言った。


「イスト氏。すまないが、また頼まれてくれないか」


 ウィガールースの英雄、大陸でも指折りの六星水晶級冒険者たるイスト・リロスが彼らを迎え、預かる――そういう形にすれば、相手の体面は保たれるし、ウィガールースの人々もギルドの連中も納得し安心する。丸く収まる。


「飛行船の整備のため、街には一ヶ月ほど滞在が必要とのことだ。その間、君のところでお嬢様を預かってはくれないだろうか。無論、必要な支援はさせてもらう。飛行船の維持管理や他の乗組員の生活については、我々ギルド連合会支部が担当しよう」

「わかりました」


 即答する俺に、支部長は拍子抜けしたようだった。俺は苦笑する。


「もともと、そのお話をするつもりで来ましたから。エルピーダ内でも意思統一はできています」

「助かる。本当に助かるよ。ギールトー氏からは『英雄イスト・リロスから直々に教えを請いたい』と提案があった。それで構わないかな」

「教育係、ということですか」

「伝統ある貴族の子弟の教育係に我が都市の英雄が選ばれた――これなら皆も納得する」


 ホッとしたようにソファーの背もたれに身体を預けるシグード支部長。

 強烈に苦いお茶を景気よく飲み干す姿に、クルタスはもはや畏怖を抱いているようだった。

 支部長……相変わらず、悪意なく他人にトラウマを植え付ける。


「僕もイスト氏なら安心だ。幸い、君のところには手本となるべき才女、淑女がいる。リベティーオ嬢を立派なレディに教育してくれたまえ」

「はあ」


 昨日の騒ぎが脳裏に浮かぶ。

 ……とりあえず、胃に穴が空かないよう頑張ろう。


 最後に話が微妙に予想外の方向になったものの、俺はギルド連合会支部の全面協力を取り付け、支部を後にした。


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