第17話

「イオ、イオ! お願いですから、洗濯物の上で寝ないでくださいな」


「うううう……」


「洗濯物が乾かないと大変だという事くらい、分かっていらっしゃるでしょう?」


イオの傷が治るまで。

パルミラが内心で決めた、この城の滞在期間はそこまでだ。

彼の傷は彼自身では治せないものだったに違いなく、もしも治せるならばそんなに無精してまで治療しない理由がなかった。

つまりあの、肩甲骨のあたりに突き刺さっていた矢じりに似た何かは、イオには抜けない物だったのだ。

そしてきっと、イオを治療したかった誰かにとっても。

そのため、それをどうにかできた彼女が、彼の傷が治るまでと期限を決めて、彼の城にいる事は何も疚しくなかった。

ここを出て、それからどうしようか、なんてものは決まっていなかったけれども、少なくとも、傷が治るころには春が来て、病んだ聖なる森も少しくらいはましになるだろう。

行く当てなんてどこにもなかったけれども、パルミラはそう決めたのだ。

そして、いったん傷の手当てをすると決めた以上、パルミラは遠慮して手当なんかしなかった。

毎日決まった時間に、イオを探して城内を歩き回り、見つけ次第部屋に連れて行き、傷の具合を確かめて包帯を巻き直し、時にはきつい匂いのする膿を全て出し切った。

なかなか根気のいる手当ではあった物の、イオは手当をするという事に関してだけは、協力的であったので、大した手間にはならない。

それに、城にいつも、手当の道具を一式、と頼むと、欲しいものが出てくるため、彼女はあまり苦労をせず、手当てをする事が出来た。

そうしている間に、時はゆっくりと流れて行く。


「日差しが少しずつ暖かくなってきましたね、東屋に入り浸るのはそのためですか?」


「あそこは元々気に入りの場所だからな」


「では、せめて包帯の上から何かを着て、寝転がってくださいな。肌にささくれが刺さったら痛いですよ」


「刺さるほど軟な肌はしていないんだが」


「それでもですよ」


そんな冗談のやり取りもできるほど、パルミラはイオに馴染んでいた。

イオも彼女の事を受け入れているのか、それ以上の事を思っているのか、彼女に対して優しい。


「傷も昨日見たところによると、だいぶ化膿が治まってきましたから、完治ももうすぐですよ、そうしたら、湖で泳げますよ」


「……一体いつ知られたんだ、おれが水泳が趣味だと」


「空いた部屋に水の中で使う銛がありましたから、魚取りが趣味だと思っていましたよ?」


「一本取られたな、それは」


イオが複雑そうに言うのを、パルミラはくすくすと笑う。

彼は眩しそうに見た後にこう言った。


「庭に行く」


「風邪をひかないようにしてくださいね」


「パルミラがそう言うのなら」


そして彼は歩き去っていく。これもよくある事になって久しい。

傷の手当をし、二人で並んで台所の火を眺めて過ごしたり、時にはイオが、外から獲物を狩ってくるため、新鮮なお肉を食べたり、城の備蓄食料で過ごしたり。

ここしばらくの時間は、パルミラにとって心安らぐ時間だった。

婚約者との時間はすばらしい物だった、それは否定したくない事実だったが、病に倒れた婚約者を、そして、消えていく命の灯火を見る事は、心安らがない時間ではあったのだ。

どれだけいとおしくても、削られていく命の時間は、辛いものがある、いやいとおしいからこそ、辛いのだが。

パルミラは、冬だからこそ、城にあまり新鮮な食糧がない事を十分に分かっている。

そのため城の料理に文句を言う事はないが、イオの方が不満げに、皿を見る事があった。

多分もっと食べたいのだろう、とパルミラは推測し、追加で麦のお粥などを台所に頼むこともしばしばあった。

そうして何日も過ぎたある日の事だ。

パルミラは、洗濯物を干すために、城の日当たりのいい場所を歩いていた。

洗濯もこの城は、頼めばやってくれるものの、干すのだけは不得手らしいので、パルミラが、居候代金として請け負っていた。

そのため彼女が、鼻歌交じりに洗濯物を干していた時だ。

ばさり、ばさり、とただの鳥にしては若干大きな羽音が響き、彼女が音の方を見ると、大きな大きな黒い烏が、近くに降りて来ていた。


「大きな烏……普通の烏ではないとお見受けしますけれど、どなた?」


パルミラでも、一目でただの烏ではないと知れたその烏が、彼女を見て、目を丸くした後、ばさりと羽を広げる。

そして羽が消えたと思ったらもう、そこにはカラスがいなかった。


「従兄上の傷がよくなったと知らせを受けて、来たのだが、あなたは一体どなたでしょう」


柔和な顔の男性がそこに立っており、彼は磨かれた黒い靴を履いていた。カラスみたいな黒い靴だった。

彼はほかにも上等の仕立ての衣類を身にまとっており、年代を感じさせる衣装のイオとは大違いの、流行を知っている身なりをしていた。


「従兄上ですって? あなたはイオの縁者ですか?」


「! 驚きました、従兄上を呼び捨てにしていいと言われているなんて」


「イオと呼べ、と言われていますけれど……何か気に障る事がありますの?」


よっぽど失礼だっただろうか。

そんな事を彼女が考えた時、その青年は首を大きく横に振った。


「いいえそんな事はありません、ただとても驚いてしまって。何しろ従兄上は気難しいと、よく周りから言われていましたから」


「そうだったのですね。イオを探しますなら、今なら屋上の東屋にいると思いますよ、あそこでゆっくりと眠る事が、彼の好きな事なのです」


「従兄上の空中庭園に入れた!? ますますあなたは何者かと思いますが……兄上の恋人でしょうか?」


「いいえまさか! 私は彼に助けてもらったのです、彼が助けてくれなければ、冬を越せなかったただの女ですよ」


パルミラは事実しか言わなかったものの、そのことは相手にとってかなりの驚きだったらしい。

何度も繰り返し彼女を見た男が、そうですか、と小さく言った。


「では、従兄上のご機嫌伺いに行かなくては。教えてくださってありがとうございます、ええと」


「私としたことが、名乗りもせずに申し訳ありません。パルミラ、と言いますの」


「パルミラ? お伽噺の中の、女王様のお名前ですね」


彼がそう言って一礼する。


「私も名乗らず申し訳ありません、私はイデオンと申します」


そう言い、イデオンは大股で庭園のある廊下まで歩き去って行った。


「……優しいお顔立ちで、イオの顔とは似てませんのね、従兄だからでしょうか」


まあある事だ。大した疑問にも思わず、彼女は洗濯物を干す作業を再開した。



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