第3話 「リリアスとゼムナス」

 きっと、ここではないどこかで生きていた。


「ようこそ、われらの世界へ。――未来の英雄よ」


 そんな確信があるのに、その記憶がどこにもない。

 少年が最初に見たのは、親の顔でも、見知らぬ天井でもなく、どこまでも広がるうつくしい青空だった。


「……きれいだ」


 どこかの塔のてっぺん。

 空には金色に輝く太陽がある。

 直視すれば目を焼かれる苛烈かれつな光が、そのときの少年にはこのうえなくうつくしく、そしてあたたかく感じられた。


「ここは〈はじまりの塔〉と呼ばれる古代遺跡の最上階。おまえの魂に宿る原風景が、特殊な魔術によって壁にうつし出されている」


 そこで少年はわれに返った。

 自分の隣に、ひとり、男が立っている。


「ここは……」


 その男は右眼に片眼鏡モノクルをかけていた。


「心配しなくていい。ここは安全な場所だ」


 少年の記憶にはぽっかりと穴があいていて、自分に関する情報をなにひとつ思い出すことができない。

 だが、その男の目の奥に、自分に対するあわれみのような色があることはなんとなくわかった。


「おれは、だれ?」


 少年はあたりを見まわし、次に自分のからだを見る。


 ――手が小さい。


「……」


 一瞬感じた違和感は、しだいに消えていった。

 それがかえって、きもちわるかった。

 自分が立っている場所は、ふしぎな魔法陣の上。

 ふと男が、手にもっていた鏡を差し出してきた。

 震える手でそれを受け取り、おそるおそる自分の顔をうつす。


「あ……」


 黒い髪と、赤い眼。

 それが自分の姿であると、胸の中心で理解する。


「〈リリアス・リリエンタール〉。今日からおまえはそう名乗れ。意味は〈黄金の太陽の子〉」


 そうしてリリアスはこの世に生まれた。

 彼は自分が誰で、どういう意味をもって生まれたのかを知らない。

 ただ、このときのリリアスの頭の中には、抜け落ちた記憶とは裏腹に二つの言葉が浮かんでいた。


【こんな世界は滅びたほうがいい】

【すべての廃英雄はいえいゆうを救わねばならない】


 どこからか聞こえてくる言葉。

 それらの意味するところはよくはわからない。

 しかしその二つのフレーズが、まるで口うるさい悪魔が頭の中に住みついたかのように、いつまでもずっと、脳裏のうりに響いていた。


   ◆◆◆


 それからさらに二か月ほどが経った。

 ある日、リリアスと同じような境遇きょうぐうの少年が彼の前に現れる。

 その少年の名を――〈ゼムナス・ファルムード〉といった。


 〈ゼムナス・ファルムード〉はリリアスから遅れること二月ほどをしてこの世に生まれた。

 リリアスと同じく少年ほどの体躯たいく

 髪は白色で、瞳は綺麗な青色をしていた。


「ぼくは……誰?」

「ゼムナス・ファルムード。〈白銀の月の子〉。お前はこのマナフ王国の〈英雄〉になるために生まれた」


 左眼に片眼鏡を掛けた男がそう言うと、周りにいたほかの男たちが歓声をあげた。


「ぼくが……英雄?」


 リリアスとは違って、ゼムナスは最初からその目に明るい色をにじませていた。

 自分が誰で、どういう意味があって生まれたかなど、あまり深くは気にしていないようだった。


「そう、お前はこれから英雄としてえある人生を送るだろう」


 その後もいくつか説明をされたが、ゼムナスはぼんやりと自分の手のひらを見つめるばかりで、あまり聞いてはいないようだった。


「……生きてる」


 ふと小さくこぼれた言葉。


「ぼくが、英雄」


 そのときゼムナスの体は、得体の知れない高揚感こうようかんに震えていた。


   ◆◆◆


 二人がはじめて顔を合わせたのは、それからほんの数日後のこと。


「あなたが、僕の兄さん?」


 リリアスがせられている戦闘訓練を終え、休憩がてら本でも読もうと王城の蔵書室へ向かうと、そこには先客がいた。


「誰だ。というか、兄さんってなんだ」


 うれしそうな顔で言うゼムナスとは対照的に、リリアスはわかりやすくまゆをひそめた。


「あれ、聞いてないの?」


 ゼムナスが長い白髪を揺らして驚いた顔をする。


「なんのことだ」


 リリアスはそんなゼムナスとは対照的な黒い前髪の隙間から、いぶかしげな目をのぞかせた。


「兄さんはまだ聞かされてなかったのかな……」


 ゼムナスは自分以外にもう一人、似たような境遇の者がいることをあの片眼鏡の男に聞いていた。

 相手もそうなのだろうと思っていたら、どうやら違うらしい。

 ひとまず事情を説明すると、リリアスはしかたなくというふうに答えた。


「おれは、自分が誰から生まれたのかを知らない。母親も知らなければ、父親も知らない。今聞いた話では、お前もそうだという。なのに兄というのは、おかしな話だ」


 リリアスは見た目こそ少年らしい小ささであったが、その口からはなたれる言葉は不思議と大人びていた。


「あはは、なんだか理屈っぽそうな兄さんだなぁ」


 対するゼムナスは、少年ながらすでに魔性じみた美を誇る顔に苦笑を乗せた。


「そういうお前はまるで理屈を考えていなさそうでうらやましいよ」


 リリアスはゼムナスより二か月ほど先に生まれ、その間に自分の置かれた状況や、この世界の常識について一定の理解を深めていた。

 なによりリリアスには漠然ばくぜんとした前世の記憶がある。

 それがどういったものだかはわからないが、生まれ直したという確信だけは強くあった。


「とにかく、兄さんは兄さんだよ。同じような境遇で、ぼくより二か月も先にこの城にいるんだから」


 言わんとすることはわかる。

 納得はできないが、言ったところでこの白い髪の少年は自分の言葉を曲げないだろう。

 会って数分しか経っていなかったが、リリアスはそのことをさとった。


「……頑固そうな弟だ」

「兄さんもね」


 とはいえ、リリアスも自分と似た境遇の人間がいるというのはありがたかった。


「じゃあ、挨拶はこれで終わりだな。おれは魔術の勉強をするから」

「あ、ちょっと」


 リリアスはゼムナスの静止をものともせず手元の本に視線を戻す。


「……はあ、なんだか先が思いやられるなぁ」


 リリアスの隣に座って小さくため息をつくゼムナス。

 ふと見上げた蔵書室の天井に、荘厳な天使の肖像画が描かれていた。

 二人がこうして広い蔵書室の片隅にぽつりと並んで座る光景が、それから数か月の間、続いた。


   ◆◆◆


「兄さんは本当に魔術を使うのがへたくそだなぁ」


 二人とも体は小さかったが、それに構うことなく王の配下たちはありとあらゆる戦いに必要な訓練を二人に施した。

 肉体戦闘訓練。魔術使用訓練。武器の使い方、兵法。


「うるさいな。俺だってうまく使えるなら使いたいよ」


 その中でも特に、〈魔術〉に関して二人の才能の差は明らかだった。


「簡単じゃないか。こうやって頭の中で事象式じしょうしきを組んで、変数式を調整して、完成したら実際に描く。あとは魔素マナを通すだけさ」


 ある日、魔術の訓練が終わったあと、マナフ王城の中庭で休憩を取っていた二人がその日の訓練の復習をしていた。

 ゼムナスは軽い調子で空間に魔術の構成式を描写し、そこにきらきらと光る氷の塊を作り出してみせる。


「事象を式で表現するって考え方にも驚くけど、それを実際に作り出してしまう『魔素マナ』があることが一番の驚きだね」


 ゼムナスがそのプリズムのような氷の塊を手の上で転がしながら言う。


「兄さんはまだ自分の〈魔素マナ器官〉が覚醒しないんだっけ?」

「まあな。〈れない月の魔力〉とやらがあるお前と違っておれにはまだ自分の魔素がない」


 魔素。正式には魔力術素。

 あらゆる術式のもととなる存在で、一部の人間は生まれつき〈魔素マナ器官〉と呼ばれる魔素供給器官を体の中に持つ。

 魔素器官は時とともに勝手に目覚めることもあれば、外部からの圧力を受けて強制的に目覚めることもあった。


「おかげでおれは、魔術を発動させるときにこうして魔石を持たなきゃならない」


 リリアスは左手に握った青色の宝石のような石をゼムナスに見せる。


「これもまあ、ずいぶん貴重なものらしい」

「魔術製の道具とか、術機マキナの燃料に使うんだっけ」

「そう。で、最近はその術機がどんどん各国に普及してきているから、魔石の奪い合いで戦争が起こる」


 リリアスがゼムナスを真似て同じような魔術の構成式を空間に描写する。

 しかしそうして描いたリリアスの式は、ゼムナスのそれと違ってひどくゆがんでいた。


「兄さん、それじゃあ魔素があったところでうまく氷は作れないよ。事象式がガタガタだ。変数式なんてもはや文字にすら見えない……」


 幾何模様きかもようと文字を基礎として表現する魔術の式は、当初二人にとってひとしく難解であったが、ゼムナスは持ち前の才覚でその難解さをすぐに理解した。

 しかしリリアスは、いまだにそうした術式を編むのが苦手である。

 無論、うまく編めたところで魔石なしでは発動すらさせられない。


「ゼムナスは氷系の術式を好んで使うよな」


 リリアスが自分で編んだ術式を難しい顔で眺めながら言った。


「うん。きれいなんだ。属性系の術式の中で一番事象式が整ってる気がする。炎系は曲がりくねってるものが多いし、雷とか風もあまり好きじゃないかな」

「俺は炎の事象式が好きだよ。上昇概念が多いから」

「そりゃあ、炎は熱を放つものだからね。温度の上昇が基本だ」

「それだけじゃない。炎は上に燃えさかる」

「ああ、言われてみれば。それだけ好きなら試してみれば?」


 ゼムナスはもう一つ氷の塊を生成して、二つをお手玉しながら言った。


「言われなくても」


 リリアスはそんなゼムナスの言葉に立ち向かうように炎の魔術式を展開する。


「……へたくそ」

「……うるさい」


 こうした皮肉のやり取りが、激しい訓練を課されるそのときの二人にとっては唯一の安らぎだった。

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