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土曜日の補講を終え、俊は正彦と連れ立って、駅に向かっていた。
「ひゃー、やっぱ、夕方になるともう寒いな」
「そんな薄着でいるからだ」
自転車を押して歩きながら、木枯らしに身をすくめる正彦だったが、学ランの下は半そでのTシャツ一枚である。
「さっきまで暑かったんだよ」
文系コースの正彦は、午前中で補講が終わっていたが、午後は近くの市民グランドで自主練習して過ごしていた。近くとはいっても片道三キロメートルはある。私物を部室において、サッカーボールを担いで往復六キロメートルをジョギングしてきたのである。理系コースの補講が終わる時間に合わせて走って帰ってきたので、体が温まり、先ほどまで顔を火照らせていた。
「土曜日なのに勉強させられてその上、部活禁止とか、体がなまっちまう」
「工事中だから仕方ない」
先日の台風の影響で老朽化していた体育館の屋根が破損してしまい、工事車両が出入りしているため、体育館横のグラウンドも使用できない状態なのである。日曜日は工事は休みだが、グラウンドに機材が残されてしまうため、明日も休日練習は行われない。
「だからと言って道でボールを蹴るのは危険だぞ」
「わーってるよ。ちゃんとグラウンドの端っこでしか使ってないしぃ」
そうこうするうちに、駅前まで到着する。学校から駅までは徒歩でも十分かからない。
中学の同級生である二人は、自宅の最寄り駅も同じだが、正彦は自転車で通学する時もある。体力づくりの意味もあるが、早朝の朝練や、休日練習で近隣他校での練習試合などにはその方が便利がよい。また休日は電車の本数が少ないので、休日の部活は自転車が多い。今日は土曜日だったので、休日練習の時の癖で、つい自転車できてしまったのだ。
「どうしよっかな?
「だから学校に置いておけばよかったのに」
「やだ。学校の駐輪場、防犯面よくないし。二日も放置したくない」
せっかく新車にしたのに、と正彦は買い替えて一月ほどの新しい自転車のサドルをさする。
「金かかるけど、立駐に置いていく」
「まあ、その方が安心だな」
駅前にある市営の立体駐輪場は、屋内で一台ごとに駐輪ラックにはめ込む方式で、自分で設定した暗証番号でロックもかかる。そのうえ防犯カメラも設置されている。
有料ではあるが、学生証を見せれば五十円で二十四時間駐輪できる。月曜日に回収するなら百円で済む。とはいえ、百円でも正彦にとっては出費だが背に腹は代えられない。
「ちょっと入れてくるから、待ってて」
俊はうなづいて、無機質なコンクリート打ちっぱなしの立体駐輪場の入り口で風を避けながら正彦を待つ。
駐輪場は立体駐車場に並んでおり、構造上建物の間を吹き抜ける風の勢いが増し、余計に寒い。ピューピュー音を立てて吹く風の強さが、先日の台風を思い出させた。
健太に送ってもらい、正彦の電話攻撃を受けた翌日、明け方から強い風雨で休校となった。スマホもなくメールアドレスもない俊には家の電話に連絡が来て(そして、クラスメートで俊に直接電話して話ができる人間は限られているため、その役目はいつも加奈である)、正直前日のやり取りで疲れ果てていた俊にとっては、よい休息日となった。
もう半月も前のことなのに、あの日の出来事は、つい昨日のように思い出される。
俊の、体や心よりもさらに奥深くねじりこまれた力……俊の腕をつかんで押さえつけた腕力とは別の、強烈な圧力。
そんな目に見えない力を、何故あの男が使えたのかは分からない。分からないが、それが、まぎれもなくあの『シバ』から発された力だということは分かる。
そして、その力は、かつて自分が放ったものに、とても近しいことも。
目に見えぬ力で、サッカーボールを破裂させた、あの力。
そして、『シバ』に圧倒され押しつぶされそうだった自分を救い出してくれた、健太の力も、使い方は違えども、同じものなのだと、感じる。
その発見は、俊にとって光明だった。
他人を傷つけるだけだと思っていた、あの力は、使いようによっては誰かを守るために使うことができるかもしれない。
実際にどうすればいいのか分からない。ただ、その可能性そのものが、俊には救いになった。
……やっぱり、スマホを買おう。
機種にこだわらなければ、小学生の時からの貯金で買えると思う。月々の利用料金もやりようによっては安く抑えられると正彦に教えてもらった。
俊がスマホに興味を示したことを知った正彦は、頼んでもいないのにカタログやチラシを集めて、勝手におすすめプランを提案してくれた。その熱意に俊は引いてしまい、スマホ購入については一時棚上げにしてしまったが。
パスケースに入れたままの、健太の電話番号とアドレスのメモ。
結局連絡できないままになっているが、そのメモの存在が俊にとってはお守りだった。話すのが苦手な俊にとっては、電話しても何を話せばいいのか分からないが、いつでも電話できる、ということが安心につながった。
――――!
不意に、肌が総毛立つ。ビリビリとした静電気のような微小な、けれど確実に伝わってくる気配。
あの男が、『シバ』が、近くにいる!
その恐怖感に反射的に、駐輪場の入り口から内側に身を隠す。
息をひそめるようにして、斜めに傾斜して並んだ自転車の隙間から、外の様子を窺う。床から一メートルほどの高さに設けられた、アクリル板がはめられた大きな窓は、砂ぼこりで薄汚れて入るが、外の様子は十分に見える。
その窓の前を通り過ぎて行ったのは、やはり『シバ』と、もう一人。
「健太……」
数歩遅れて『シバ』について歩いていったのは、間違いなく健太だった。
「お待たせ」
ポン、と正彦に肩を叩かれ、俊は思わず身を竦める。
「どうした?」
「……ごめん、先に帰ってくれ」
きょとんとする正彦をおいて、俊は駐輪場を飛び出し、二人が歩いて行った方向に足を向ける。
再び「シバ」に見つかるかもしれない恐怖よりも、健太の身に危険が及ぶかもしれない不安が勝っていた。
いざとなれば、今度は自分が助けなければ。
健太を、守らなければ。
その方法も分からないのに、いつもの慎重さも、冷静さもなくして。
ただ、その使命感だけが、蔦のように俊の心を絡めとり、突き動かしていた。
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