3

 なんだか、ヒジョーにビミョーな空気ですな……。


 廊下で待機していた真実は、中の人間に気付かれないよう、そうっと、息を吐いた。

 一休みして早めに戻ってきたのはいいものの、展示コーナーでは何やら色っぽいやり取りが行われていて、入るに入れない状況だった……真実的に。


「一目惚れなんだけどなあ……君の絵に……それから、君に」


 やだなあ、もう。

 がっかりさせておいて、嬉しがらせを言うなんて、なかなか小技を使うじゃないですか。

 うっとりと男性を見つめる加奈の姿に、真実はやれやれ、と心の中で溜息を吐いた。


 いいように転がされているよ、お嬢ちゃん。

 あれだけの美少女なのに……だからか?


 高根の花過ぎて、ろくな恋愛アプローチを受けていないから、あの程度の手管でころっとまいってしまう……実は恋愛初心者マークだったんだ。


「これ、よかったら連絡して」

 男性が室内に置いてあったアンケート用紙に何かを書き込んで、加奈に渡す。


 携番とメアドかな?

 しつこく加奈のを聞き出そうとしないところが、余裕じゃないですか。

 意気込んでスマホを取り出したりせず、その辺の紙に、思い立ったようにちゃちゃっと書くのも、とりあえず、って感じで、がっついてなくて、計画性がないところが、むしろ計画的みたいな。


 心の中でひとりツッコミしていると、男性が廊下に出てきた。

「あ、ごめんね。入れなかったね」

 ニッコリとほほ笑むその笑顔は、朗らかを通り越して、妖艶とさえ言えた。

「あ、大丈夫です」

 そっか、ここら辺が、加奈のストライクなんだ。

 艶があるとはいっても、ちょっとダーク入っていて、和矢君とはある意味対極だなあ。


「あのですね」

 その美貌にも臆せず、真実は話しかける。

「泣かせないで下さいね」

「……?」

「一応、私も彼女のことは、大事なもんで」

 じゃあ、っと、真実は室内に入っていく。





「……どこまで、わかっているのかな?」

 口元をゆがめて、男性はひとりごちる。

「こういうことがあるから、只人と言っても、油断できないな」

 口の端だけで笑い、つぶやいて。

 その瞳が、妖しくきらめいた。




   

 一般公開の時間が終わり、後夜祭までの時間は、簡単な片付けに当てられている。

 明日の午前中に本格的に片付けることになっており、教室を使用した部やクラスは、適宜施錠してよいことになっているので、美術部も展示物はそのままにして、入口に張られたポスターや装飾を片付けるだけの予定だった。


「ポスターと飾りはひとまとめにしておけば、いいですか?」

「……あ、そうね。この段ボール箱使って」

 簡単な片付けのはずなのに、肝心の加奈が心ここにあらずで、イマイチテンポが悪い。


「……加奈先輩、どうかしたんですか?」

 珠美が真実にぼそっと、訊ねる。

「さあ、疲れてるんじゃないの?」

 すっとぼけて、真実は言葉を濁した。

 恋の病に付ける薬はないとはいえ、重症だ。

「とりあえず、室内に入れておけばいいでしょ? 細かいことは明日でも大丈夫だし、とりあえずなれている先輩方に任せましょ」

 美術部では新参者だが、文化祭は経験している。

 外回りだけ元に戻しておけば、明日でも間に合うはずだ。

 一応三年生も他の二年生もいるのだが、それぞれがマイペースで動いてしまっている。

 おっとりした真島先輩は回収してきたポスターから丁寧にセロハンテープを剥がしている、とても丁寧に、ゆっくりと。

 山口先輩と斎は、てきぱき展示作品の梱包や整備を始めているが、指示を出してくれないので、真実や珠美、美矢が動けない。

 二年生とはいっても、やはり新参の和矢も、勝手が分からず、とりあえず言われるままに巽と校内のポスターを回収しに行っている。


「こういう時って、高天君なんかは真面目に参加するものだと思ったわ」

 いつまでたっても姿を現さない俊に、真実は幻滅した気がして、つい愚痴をこぼした。

 一応、生徒会やクラスの分担がある場合は、そちらを優先してもらっているが、俊はどちらにも当てはまらない。

「ねえ、三上さん?」

「……あ、ううん。いつもはとても真面目よ。どうしたのかしら?」


 やっと、気持ちが切り替わったのか、目の色が少し落ち着いていた。

「後夜祭には出ないかもしれないけど、片付けだけは、きちんと来るはずなんだけど」

「そうですよねえ。斎先輩ならともかく、そういうところ、高天先輩はきっちりしてますし」

 首を傾げる珠美に、美矢も同意して頷く。

 引き合いに出されたことには気にも留めず、斎も頷いた。

「まあ、片付けの方はもうこれでいいんだけど……遠野君と巽君が戻ってきたら、とりあえず解散しましょ。後で、教室に行ってみるわ」

 加奈の言葉が終わるか終らないかのうちに、和矢たちが戻ってきた。


「どうしたの?」

 皆の微妙な空気を感じて、和矢が訊ねる。

「兄さん、夕方高天先輩に会った?」

「えっと、二時に当番で交代して……その後、吉村君と講堂の方に歩いて行くの見たけど。そういえば、それっきり見てないなあ」

 そう言って、スマホを取り出す。

「あれ、高天君、スマホ持ってないんじゃ?」

「うん。でも、吉村君、あるから」

 いつの間に親交を結んでいたのか、吉村正彦とアドレス交換していたらしい。


「……あ、吉村君? 高天君、一緒? ……ううん、こっちにはいない……うん、ありがと」

 電話を切って、和矢は首を振る。

「片付けがあるから、って別れたきりだって。もう、三十分以上前」

「……それって、変じゃない? 私も三上さんも、その前からここにいたけど、高天君、来てないよ?」

 不安げに、真実がつぶやく。

 何か、ある。


 何かが、起こっている。


「……私、ちょっと……」

 それだけ言うと、真実は廊下に飛び出した。

「きゃあっっ!」

 飛び出した途端、何かにぶつかった。

「……何……マリカじゃない? あんた、何やってんの?」

 ぶつかったのは、現在絶交状態にある、谷津マリカだった。

「……あの……」

 いつもの高飛車さは鳴りを潜め、言葉に詰まっている様子は、しおらしい。

「丁度良かった。聞きたいことがあるの。……あんた、高天君に何かした?」


 真実の知る範囲で、高天俊に危害を加えようとする人間……もっとも黒に近いのは谷津マリカだった。

 もちろん、マリカ一人でどうにかできるわけもないし、マリカだって、一人で何かする気はないだろう。

 この間だって、直接本人に手出しはできないから、珠美を狙ったわけだし。


「……私、何もしてない! ……してないけど……」

「けど?」

 真実が詰問すると、観念したように、マリカが口を開く。

「さっき……被服室行こうとしたら、三年の、不良っぽい人達が、絡んできて……お前、美術部員だろ、って。違うって、言ったんだけど、だったら、誰でもいいから、美術部の女呼び出せって……腕掴まれて、痛くて……だから、真実に電話しようと思ったんだけど、そうしたら……」

 ぽろぽろ泣いて、マリカは、言葉に詰まる。

「そうしたら?」

 加奈が、優しい声音で、促す。

「……高天君が、通りかかって……三年生が、好都合だ、この女に手出しされたくなかったら、一緒に来い、って……私、腕ひねられて、『骨折るぞ』って言われて、思い切り悲鳴上げたの……そうしたら、高天君が、手を出すなって……ついて行っちゃった……」


 怯えて、壁に寄り掛かってへたり込んだマリカの顔のすぐ横を、残った三年生が力いっぱい蹴りつけた。

 恐怖に顔色なくしたマリカに対して、壁に足をつけたまま、冷たく言った。


『誰かに言ったら、壁じゃなくて、お前を蹴るからな』


「……怖くて……どうしたらいいかわからなくて……」

 見れば、半袖から延びた左腕に、痛々しい指の痕が、赤くくっきり残っていた。

 全くの作り話、というわけではないらしい。

「でも、教えに来てくれたんだ? どうして?」

 マリカは、美術部にも、高天俊にも、恨みを抱いているはずだ。

 全面的に信用していいか悩んで、真実は訊ねる。

「……テキだったの……」

「……は?」


「素敵だったの、高天君。とても落ち着いて、堂々としていて。関係ない私のために、身を呈してかばってくれるなんて……」


 涙でぬれた瞳が、熱っぽくきらめく。

 ……嘘はない様子である。

「まあ、高天君なら、ねえ?」

 ちらりと目をやれば、俊の性格を熟知し、あきらめたようにため息をついている和矢と斎の向こうで、ライバル出現とばかりに美矢が苦虫を噛み潰したように、口をへの字に曲げている。


「……とにかく、どこに連れて行かれたのか、探さないと……」

 一応冷静な判断を下す加奈。

「どこに行くとか、言ってなかった?」

 真実の問いに、かぶりを振るマリカ。

「言わなかったけど、部室棟の方に歩いて行ったわ」


 ……「部室棟の方」には、理科棟も広大な旧校舎もあるじゃない!

 範囲指定が広すぎる!


「ま、怪しいのは旧校舎ね。……同好会で使ってるところがあるから、施錠はしてないと思うし」

 加奈の言葉に、和矢が頷く。

「端から見ていくよ……皆は、ここにいて。なるべく固まってた方がいい」

「そんな! 僕も行きます」

「……巽は役に立たない。ここで待ってろ」

 ほら、っと斎がスマホを巽に向って放り投げた。

「和矢、僕の電話番号は|登録して(はいって)いるよね」

「あ、うん」


「……俺にも教えてくれよ」


 振り向くと、正彦が出入り口に立っていた。

「俊に何かあったんだろう?」



 ……遠くで、後夜祭開始を知らせる花火の音が、鳴り響いた。

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