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文化祭まで、残り十日をきり、学校全体が気忙しく、浮き足立っていた。
あの騒ぎは何だったのか……と思うほど、和矢を取り巻いていた女生徒達は鳴りを潜め、美術部は、忙しいながらも平和な日々を送っていた、が。
その日は、加奈の指示のもと、校内に掲示する美術部のPRポスターの作成をしていた。
「一年生、遅いね。授業長引いてるのかしら」
俊が作業の手を止めて、分からない、と言うように軽く首を傾げた。
「美矢と珠美ちゃんは同じクラスだけれど、
美術部にすっかり馴染んだ和矢が、もっともな疑問を呈した。
加奈は、とりあえず自分の作業を止めて、一年生を待つことにした。
作業自体はそれほど大変なものではないが、一年生には初めての文化祭なので、手順などは一緒に進めておいた方がよいと思った。
「唐沢君、今日は巽君、来てるのよね?」
一年生の唐沢巽は、唐沢斎の弟である。
加奈の問いかけに、一人黙々と作業を進めていた斎が、顔をあげて頷いた。
と、その時。
「大変です!」
血相を変えて飛び込んできたのは、噂をしていた当人……唐沢巽その人だった。
兄の斎とは対照的に、表情がころころと変わる、愛嬌のある少年である。
かといって、にぎやかしというわけでもない。
口数は少ないのに、考えていることが周囲にダダ漏れ、という特技を持つ(本人はそれを大変憂いているが)。
「どうしたの?」
加奈が尋ねると、困惑しきった、今にも泣きそうな表情で、巽は息を切らせて喘ぐ。
「あの……たま……みや……」
「珠美ちゃんと美矢ちゃんが、どうかしたの?」
「二年……呼び……あ……」
俊がマグカップ(美術部備品)に水を汲んできて、巽に差し出すと、受け取ってゴクゴクと一気に飲み干した。
「あ……ありがとうございます。さっき、部に来る前にB組の友達に借りてたテキスト返そうと思ってのぞいたら、何だか、皆で騒いでいて。聞いたら、二年生に珠美が呼び出されて、美矢ちゃんも一緒について行ったって……僕、そこらじゅう聞いて回って、それで、どうやら、家庭科棟の方に行ったらしいって……」
「家庭科棟って、例の?」
不良の溜まり場の?と和矢が眉をひそめる。
「うん、でも、今は文化祭前で放課後も出入りがあるから、そういう意味では、危険はないと思うけど……被服室は、二年C組が使用予定のはず……よね?」
二年C組の斎に質問を振るが、「興味ないんで知らない」と斎は答える。
本当に美術部以外のことには関心を持ってないらしい。先頃の女生徒達がクラスメートだという認識も、もしかしたらないのかもしれない。
そう、二年C組は、例の女生徒達のクラスだった。
「何人もで囲んでたって。あと……男子もいたって……」
そこまで聞いて、美術室を飛び出したのは……。
俊だった。
「だから、何も脅かしているわけじゃないのよ」
おもねるような、女生徒(その一)。
「ちょっとだけぇ、教えてくれればいいのぉ。倉庫の鍵の暗証番号、それだけなんだからぁ」
甘ったるい喋り方で、女生徒(その二)が続ける。
「そして、大切な作品をめちゃくちゃにしよう、というわけですか?」
凛とした、落ち着いた声は、褐色の肌の、エキゾチックな美少女のもの。
「そこまでしないわよ。……もちろん、あなたたちや遠野クンの絵には何もしないわ」
「他の人のには何かするってことじゃないですか!」
言い返すのは、美人というよりはかわいらしい感じの少女……強い物言いだが、やや声が上ずっている。
「……たく、この子まで連れてくるから、やりにくいったら……」
交渉するのをあきらめたのか、女生徒(その一)、急に高飛車な口調で、舌打ちしながら呟く。
「だってえ、しょうがないじゃなーい。一緒に来るって言うんだもん」
女生徒(その二)が、ふてくされて言い捨てる。
「だからって、何も遠野クンの妹なんて……」
「そうよ、男子も役に立たないし」
女生徒(その一)に同調する他の少女たち。
「……だって、俺たち聞いてないよ。こんな……」
教室の隅で、つまらなそうに見ていた男子生徒が、言い訳するようにつぶやく。
「よりによって、美術部なんて……俺、イチ抜けた」
「あ、俺も抜ける」
「ちょっと! いまさら知らんぷりなんて!」
ヒステリックにわめく女生徒(その一)を尻目に教室を出ようとする男子生徒たちを見て、他の少女たちも目を見合わせる。
一人の少女が、あーあ、と溜息を吐く。
「やっぱり、よくないよね。こういうの」
「ちょっと、あんたまで裏切る気!?」
「でもー、考えがあるって言うから一応付き合ってみたけど、私こういうの、合わないんだよね。クラくない?」
「
「だって、私、気に入っちゃった。これだけの上級生に囲まれて、堂々としている一年生」
真実、と呼ばれた少女が、一年生……美矢と珠美に、ニコッと笑顔を向けた。
「あんたって子は!」
「……形勢逆転ですね。これ以上意味のないことはやめて解放してくれませんか?」
美矢の冷静な物言いに、さらに頭に血を昇らせた女生徒(その一)が、キッと美矢をにらみつける。
「そもそもあんたがっ!」
言葉とともに手が挙がり、美矢の頬を打とうと振り下ろそうとした、その時。
「……いい加減にするんだな」
腕を掴まれて、振り向いた女生徒(その一)は、みるみる血色を失っていく。
「あ……」
真っ青になって、出口方向に目を泳がせれば、出て行こうとしていた男子達がへたり込んでいる。
出入り口の戸を開けて、そこに(まさに)仁王立ちしていた俊の一睨みで、声もなく腰を抜かしてしまっていたのだ。
へなへなと座り込む女生徒(その一)から手を離すと、美矢たちに向って足を進める。
「高天……」
先輩、と続けようとする、美矢の声の代わりに、パシン、と頬を打つ音が響いた。
軽い痛みが襲い、美矢は反射的に頬を押さえた。
それほど強くはない……赤くもならないだろう、だが。
俊に頬を打たれた。
そのショックで、美矢は言葉を継ぐことができずにいた。
「迎合することはない……だけど、挑発するな。あのまま殴られていたら、痛みはこんなもんじゃない」
静まり返った室内に、俊の低い静かな声だけが響く。
加奈や和矢が姿を現したのを見て、俊はそのまま教室を出ていく。
「高天先輩! 美矢ちゃんは、私をかばって! ホントだったら、私だけ連れてこられるとこだったんです!」
「……だったら、ノコノコついてこないで、助けを求めるべきだ。文化祭前の大事な時に何かあったら、どうするんだ」
振り向きもせず、それだけ言って、俊は歩き出す。
「……美矢ちゃん……」
加奈が、そっとハンカチを差し出す。
それで、美矢は自分が泣いているのに、初めて気がついた。
打たれた頬は、もう痛みはなかった。
ただ。
心が、痛かった。
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