第40話 蜘蛛の子

 隊列の中央にゴリアンを配置して俺たちは目的地まで進んでいった。ゴリアンもこの下水道で長い間生活しているだけあって、危機管理能力は高い。それでも、戦闘力という面では俺たちに劣ってしまう。だから、彼を守るためにもこのような隊列になっているのだ。


「そこを右じゃ」


 ゴリアンは入り組んだ下水道をまるで自分の庭かのように自在に道案内する。もし、ゴリアンの案内がなければ、俺たちは下水道をまともに探索できなかっただろう。


「アベル。きっちりマッピングはできているか?」


「はい。リオンさん。僕に任せてください」


 俺もある程度自力で下水道の地形を覚えようとしたが、やはりレンジャーの才能がない俺にはできなかった。もし、アベルがやられたら俺は間違いなくこの下水道で迷い一生を終えるだろう。元よりアベルには傷1つ付けるつもりはないが、より死守しなければならない理由ができた。


「リオンさん! セオドアさん! 隊列チェンジです!」


 アベルが叫び声が下水道にこだまする。俺とセオドアは素早くアベルと位置を交換し、自身の得物を構える。前方……先程までアベルの背後だったところより、小型犬ほどの大きさのクモがダッシュでこちらに向かってくる。


「ナイスだぜ。アベルの坊や。流石はDランクレンジャー。不意打ちにもきっちり対応しているな。やっちまえリオンの旦那! スジン!」


 セオドアが俺に腕力上昇の魔法をかけた。比較的消耗の少ない基礎中の基礎の魔法。後に戦うアラクノフォビアに向けて温存しているのか。それとも、この程度の相手なら基礎のバフでなんとかしろってことか? まあ、恐らく両方だろ。


「ていや!」


 俺は掛け声と共に杖でクモの頭部を叩いた。下手な金属より重量がある杖。腕力上昇と共にその威力は増し、クモの頭部を破壊した。


 頭がなくなった蜘蛛はその場に倒れて脚をピクピクさせて、正に虫の息だ。


「ふう。一撃とはやるねえ。リオンの旦那」


「いや、まだだ。頭が潰れたとはいえ、まだ息はある。きっちり止めを刺すぞ!」


 俺は再び杖を構えて蜘蛛を殴ろうとする。その時、ゴリアンが俺の前に飛び出てきて、蜘蛛を抱え上げる。そして、大きな口を開けて潰れた頭部にかぶりついた。


「ええ……」


 その場の全員が困惑した。ゴリアンは不快な水音を立てて、蜘蛛のエキスを吸っている。気持ち悪いを通り越した次元の光景だ。俺たちは全員、覚悟が決まっている冒険者野郎共だから、ドン引きした程度で済んだ。だが、もしこの場に生娘でもいたら耳をつんざくような悲鳴をあげる程の地獄絵図だ。


「ああぁ~うめえなぁ~、蜘蛛は脳みそのエキスがうめえぇんだよなあぁあ!」


「お、おい……何やってんだゴリアンさん」


「おっとリオンさんとやら。こいつはワシの物じゃ。硬い外殻を破ってくれたことは感謝するが、これを渡すわけにはいかない。ワシだって腹が減ってるんじゃ」


 いらない。俺は心底そう思った。


「おいおい。ゴリアンの爺さん。後でいくらでも食料を恵んでやるから、そんな汚い光景俺様に見せるんじゃねえよ」


「と言うより、ゴリアンさん。さっき僕たちの食料食べたばかりですよね……」


 犬は餌を見つけ次第食べる。食べられる時に食べておくという習性があるので、満腹でも無理矢理食べるのだ。ゴリアンも長い間下水道でサバイバル生活をしていたせいで、脳みそが野生化して犬並の行動規範になっているのかもしれない。


「俺様……この爺さん嫌いだ」


 セオドアが帽子を深々と被り目を逸らした。セオドアはグロい光景とかゲテモノとかその手のものがダメなのかもしれない。


 ゴリアンの食事が終わった頃、俺たちは隊列を戻して再び歩き出した。正直もうモンスターには出てきて欲しくない。モンスターを倒す度にゴリアンの捕食シーンが入ると思うと残念な気持ちになる。これでも俺はヒーラーだし、グロい傷や怪我を沢山みてきた。だからグロには耐性があるが、それでも積極的に見たいかどうかと言われればノーだ。あんなの見たいやつは変態か拗らせている思春期ボーイくらいだろう。


 道なりに進んでいくと俺たちの前方に巨大な蜘蛛の巣が見えた。その周囲には球体の集合体が落ちてあった。


「なんだこれは……」


 セオドアがその球体を調べようとしたが、俺は慌てて止めに入る。


「やめとけセオドア。それは蜘蛛の卵の殻だ」


「な、なんだと!」


 セオドアが慌てて1歩退いた。


「危ないな。もう少しで触っちまうところだったぜ」


「セオドア。お前虫とか嫌いだろ」


「まあ、好きな方ではないな」


「それなのに、よくアラクノフォビアを退治しようと思ったな」


「リオンの旦那。苦手な食べ物でもきちんと食べないと大きくなれないって子供のころ言われなかったか? 苦手なものを避けてばかりだとビッグな男にはなれないぜ」


 ん? なるほど? なんか納得しかけたけど、意味がわからんぞ。


「セオドアさん。その卵。僕が調べてみます」


 アベルが蜘蛛の卵を手に持ったり、突いたりしてなにやら分析をしている。


「ふーん……」


 アベルは顎の下に右手を当てて何やら思案している。


「なにかわかったのかアベル」


「何もわからないということがわかりました」


「深いな」


「まあ冗談は置いといて。これはやはり、リオンさんの見立て通り蜘蛛の卵のようです。しかし、それ以上のことはわかりませんでした。蜘蛛型のモンスターは数多く存在します。僕が知っている蜘蛛モンスターの中に、これと同じタイプの卵を生むのはいませんでした」


「それって新種ってことか?」


「断定はできませんが、恐らくそうでしょう。僕もモンスター研究の専門家ではないので、既存種の卵を知らなかったという、ただ単に無知なだけかもしれません。ただ、僕はこのパターンの卵を見たことがないということだけは報告しておきます」


 アベルが知っている既存種ではない。かと言って、新種とも言い切れない。


「なるほど。確かに何もわからないということがわかったな」


「ゴリアンの爺さん。ここが蜘蛛が根城にしているところか?」


「ああ。そのはずじゃったんだが……どうやら引っ越しをしたようじゃな。蜘蛛は定期的に根城を変える。遅すぎたようじゃな」


「ええ。そのようですね。僕が調べた時もアラクノフォビアの居場所は不定でしたから」


 なんとも間抜けな結果に終わってしまった。ここまで探索して結局なんの進展もなし。最初に戻るといった感じか。


「まずいな……」


「どうしたセオドア?」


 セオドアが周囲を見渡して深刻そうな表情をしている。


「もし、ここを根城にしている蜘蛛がアラクノフォビアだった場合。やつは卵を生んだことになる」


「確かに。子供がどれだけの戦力を持っているのかはわからない。現状ではそれほど強くなかったとしても、成長すれば街1つを壊滅させられる存在に成長しかねない」


「違う。そうじゃない」


 どういうことだ? 俺はなにか間違ったことを言ったのだろうか。


「卵を生んだと言うことはアラクノフォビアは女だということだ。俺様は女に手を上げたくないんだよな」


「いや、何ってんだお前。相手はモンスターだぞ」


 例え敵でも、人間の女に手を上げたくないというのなら、それは個人の自由だ。勝手にすればいい。でも、モンスター相手にその思想を持ち込むのは流石に意味が分からない。


「まあ、冗談だが」


「冗談かい」


「でも、俺様は女に手を上げたくないってのは本当だぜ。その気になればAランク冒険者のリリスとやりあっても負ける気がしねえ。だけど、リリスは女だ。だから、俺様は奴に手をあげらんねえ! 別にビビっているわけじゃねえぞ」


「ああ。そうね。俺はお前のその精神に巻き込まれたってわけね」


 まあ、多分ビビってるだけだろ。Aランク冒険者はそれこそ人外染みたやつら揃いだからな。

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