第132話

 獲物は、餌に食い付いていた。





 今回のヤンコフスキーの暗殺により、フィッツクラレンスの票操作に噛んでいた議員の一人が、分かりやすく行方をくらまそうと動き出していた。


 そんな分かりやすい動きを見せれば、鼻が効く連中なら直ぐ様嗅ぎ付けるのは当然だ。


 普段なら仲介を通してその議員に忠告なり警告なりするのが定石だが、今回は意図的に警告も連絡もしなかった。


 結果、隠し切れない動きが漏れ出てしまい、“鼻が効く連中”がそこを嗅ぎ付けてしまっている。


 だが、それで良かった。


 狩りの鉄則の1つ。獣は差し出された餌は疑うが、自分で嗅ぎ付けて掘り出した餌は疑わない。


 連中はこの“自分で嗅ぎ付けた”餌に間違いなく食い付く筈だ。


 恐らく本命で無い事は分かっていたが、組織として数を減らしておくのに越した事は無い。


 てっきり風前の灯火だと思っていた組織だったが、今更になって活動し始めたおかげで動きが読みづらく、嗅ぎ付けるのが難しくなっていた。


 しかも、明らかに以前と方向性が違う。


 方向性が違う理由は言うまでもない。あの抵抗軍の獣人ども、その一人があのフクロウから“印”を焼き付けられたのが原因だろう。


 レガリス中央新聞でも報じられている通り、連中は“印”による黒魔術を手に入れるだけでなく、忌々しい事にそれを上手く活用しつつ組織として復興し始めている。


 少なくとも、“我々”に再び仕事が回ってくる程には奴等は復興していた。


 このまま放置すれば、最悪…………と言うより、ほぼ間違いなく奴等は浄化戦争の頃の勢いを取り戻すだろう。


 もう少し早く対処していれば話は違っただろうが、一時は組織そのものが死に体だったおかげで完全にマークが外れていた事、いずれ崩壊して消滅するだろうと見逃されていた事、それが災いした。


 我々に正式に対処の依頼が来る頃には、連中はとっくに立ち直り始めていた。癪だが、此処から手を打つのは我々としても後手と言わざるを得ない。






 屋根の上、風景画を破る様にして部下が隣に現れるが、大して目線も向ける事なく空気だけで報告を促す。


 挨拶も無しに部下が報告し、標的の移動を見計らって“獲物”達が予想通りの場所に現れた事を、特殊素材で出来た黒いフードの下から告げた。


 息を吸い、手信号だけで“決行”を指示すると部下が絵画を塗り潰す様にして消える。


 左手に焼き付けられた、翼の様な痣が幾ばくか“何かを伝えよう”と微かに疼いた。


 痣が疼く理由は分かっている。


 自分が力を与えた連中が此方に来ようとした時、または近くから黒魔術で“消える”際には空気が震えるのを左手が感じ取る。


 眼で見ずとも手を翳せば湯気や熱を感じ取れる様に、黒魔術が行われた後や行われる瞬間は、左手の痣が必ず反応するのだ。


 少し息を吐いた。


 恐らくは部下達だけでも仕留められるだろうが、時折“手の焼ける”相手も居る。万が一とは言え、“一矢報いられる”可能性も充分に有り得るのだから、油断しないに越した事は無い。


 部下達を信頼していない訳では無いが、予定に無い損失が出るのは喜ばしい事では無いのだから、防げる損失は防ぐべきだろう。


 頭の中には勿論辺り一帯の図面は叩き込まれている。部下達も自分が居ないとなれば、自分がどんな判断でどう行動したのかは分かるだろう、この程度の事で説明が必要な連中ではない。


 やはり、自分も向かうべきか。


 我々より劣る存在とは言え、“奴等”も世間一般の憲兵なんぞでは歯が立たない連中である事は間違いない。


 左手の“印”を意識しつつ胸の前から少し手繰り寄せる様にして、引き寄せる所作。


 それだけで地面が溶ける様に消え、辺りの風景が急激に引き伸ばされ目の前の一点に意識と景色が収束する。


 手の所作が無くとも発動は出来るが経験上、手で所作を行いつつ発動した方が大きく飛距離が伸びる事を知っていた。


 音を抑えつつ屋根の上に降り立ち、目標が確認された方角へと駆け出す。


 屋根から屋根へと飛び移っては段差を飛び越え、スチームパイプの下を滑り抜け、跳躍だけでは到底届かない距離を“印”で爆発的に移動し、またも屋根に降り立っては駆け出した。


 以前、部下には意外な顔をされたが自分としては奴等の“移動術”は嫌いではない。


 屋根から屋根へと横断する運動能力があるのなら、横断すれば良い。人に言えない様な、日陰を走る様な仕事をしているのなら尚更だ。


 むしろ最初に“移動術”の話を聞いた時、“自分と同じ考えの奴が居たのか”と納得さえしたぐらいだった。


 大幅に移動距離を短縮したせいか、移動中だった部下の背中が見えた。


 身軽な動作で段差を飛び越え、中々の距離があるにも関わらず躊躇なく屋根から屋根へと、部下が飛び移る。


 直ぐに、どう移動していくつもりなのかは想像が付いた。


 どこで跳躍し、どこを滑り抜け、どこで“印”を使うのかも。


 些か足を早めつつ部下の背中を追う。部下の報告、そして任務の計画からすればもうすぐ“獲物”の位置に付く筈だ。


 予想通りの場所で、部下が自分が分け与えた“印”の力で移動し、塗り潰す様に消える。


 走りながらその先に目を向ければ、少し離れた場所に直ぐ様部下が現れてはまた駆け始めていた。


 自分が分け与えた“印”の力は、幸いにも分け与えた分此方が磨り減る様な事も無く、何人もの仲間に力を与える事が出来たが…………同じ能力の自分がもう一人、と言う訳には行かない様だ。


 簡易的、とでも言おうか。自分が力を分け与えた仲間達は素質や鍛練とは関係無く、自分には及ばない程度の“印”しか使えないのだ。


 先程の仲間の移動にしても、恐らくあの部下が全力で“印”を使った所で自分の全力の“印”には及ばないだろう。


 分け与えた“印”は自分の左手の痣とは違って翼の様な痣が焼き付く事もなく、力を行使した時のみ羽根の様な紋様が手の甲に浮き出る事からも、明らかに差違があるのは間違いなかった。


 左手の“印”に力を込め、握り締めて“引き寄せる”。


 辺りの景色が再び後ろに流れていき、まず常人なら考えられない距離を移動した後に、対岸とも言える程の距離があった屋根の端へと柔らかく着地した。


 自分が左手の紋様から流れ込んでくる、“黒く冷たい濁り”を気にしなくなって何れ程経っただろうか。


 正直あれだけの一線を踏み越えた身としては、未だにこの身体に流れる血が深紅のまま、黒く濁っていない事が意外な程だった。


 最後の一線を踏み越える前、それだけを最後の支えとしていたのは何れ程前だったか。


 今では何故そんなにも拘っていたのかも思い出せないが、そもそもそんなものに拘る程、人間は高尚な動物ではない。


 “印”の力と引き換えに自分はどこまで堕ちたのか、最早想像も付かなかった。


 最も、堕ちる程の価値が人間にあるなら、の話ではあるが。


 部下が走っていたルートを更に大きく短縮する形で“印”を使った為に、部下のすぐ近くまで駆け寄る形になった。


 部下は一度振り返ったが、それでも前へ向き直り、走り始める。


 部下が駆ける先には、我々と同じく黒い影。


 革の防護服と、肉厚の片手剣やリストクロスボウに代表される特殊な装備。


 そしてその象徴とも言える、鳥類を模した特殊な防護マスクと革のフード。


 黒羽の団の戦闘員及び工作員、レイヴンが自分と部下の目線の先を駆けていた。


 レイヴンは屋根の上を疾走し、突き出したパイプを想像以上の身軽さで間をすり抜ける様にして飛び越えていく。


 我々に負けず劣らず、向こうも鍛練を積んでいるのが説明されるまでもなく伝わってきた。


 駆けている部下が、更に加速する。






「こいつも違います」


 部下が仰向けに倒れたレイヴン、その腕を踏みにじりつつ幻滅した様に呟いた。


 正直に言えば、まさかここで“本命”が見つかるとは夢にも思っていなかったし、“本命”ならこうも簡単には行かなかっただろう。


 結局、大して自分が手を貸す程の事も無く、部下達はレイヴン全員を排除していた。


 街を這い回る抵抗軍を餌で誘き寄せ、“駆除”するだけの仕事。


 言ってしまえば獣人どもの違いなど、“手間取る”か“手間取らない”か程度しかない。


 黒魔術を相手取るならまた話は違うのかも知れないが、そもそも自分達は黒魔術の相手をした事も少なくない。


 確かに黒魔術を扱う連中の中には一筋縄では行かない相手も居るが、逆に言えば“一筋縄では行かない”だけだ。


 仮に、今回の仕事で“本命”に遭遇したとしても、結局は黒魔術を振り回す“面倒な獣人”でしかない。


 確かに部下は負傷するかも知れない。何なら、部下を数人失うかも知れない。


 だがそれだけだ。影で暗躍する連中が数人死んで、その引き換えに黒魔術を扱う獣人の首が斬り飛ばされる。それでも死なないなら、その首と身体を串刺しにすれば済む話だ。少なくとも、以前出会った相手はそれで二度と起き上がらなかった。


 しかし小さな、だが決して無視できない疑念が胸の奥で燻り続けていた。


 左手の紋様がざわつき、振り返ると最後の部下の一人が、風景を潜る様にして現れる。


「議員は無事に区画を脱出した様です」


 そんな部下の報告に苛立ちとも落胆とも付かない息が、鼻腔を抜けていく。


 全員に負傷はなく、命令通りの仕事を我々は抜かりなく遂行した。それは間違いない。


 部下の報告に大した感情を向ける事もなく、部下に「撤収しろ」と指示を飛ばす。


 少しの間が開いたが一人、また一人と部下が姿を消していった。


 比喩ではなく部下達が溶ける様に姿を消した後、燻り続けている胸の奥に焦点を当てる。


 日が落ち始め、黄昏時となったレガリスの街並みを眺めながら、フードの下で眉根を寄せた。


 そう。結局は黒魔術を振り回す面倒な獣人が、暴れているだけだ。


 黒魔術を使う奴も、腕の立つ獣人も、決して初めてではない。言ってしまえば後者は浄化戦争で見飽きる程始末してきた。


 此方にも損害は出るだろうが、それだけだ。


 胸の奥が燻る。


 だが、その獣人が“印”を与えられたのなら、必ずその事には意味がある。


 自分が組織を率いて浄化戦争の裏で隠密部隊を支え、結果的に帝王とレガリスを勝利に導いた様に。


 もしも、その獣人もそれ程の運命を託されているとしたら…………


 街並みと屋根に影を伸ばす、黄昏時の日差しを睨み付けた。


 不気味な、あの蒼白い双眸が脳裏に蘇る。






「一体何を考えてやがる、あのクソフクロウめ」

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