第130話

「どうでしたか、“空を飛んだ”感想は」






 そんな言葉と共にクルーガーが、湯で暖めておいたティーカップとティーポットから湯を捨てていく。


 久々に参加したクルーガーとの茶会は、随分と几帳面に紅茶やカップ、ポットが用意されていた。


 正直、屋外で飲むのは多少肌寒いと言えなくも無かったがそれでも、久し振りに友人と飲む紅茶が楽しみ事には変わり無い。


 空を飛ぶ、か。


 長い、長い息を吐いた。


「瘴気層に入るわ、サメに並走されるわで生きた心地がしなかったよ。自分で操縦するなんて、考えたくないな」


 ティーポットにティースプーンで茶葉を入れつつ、クルーガーが笑う。


「流石はミス・スペルヴィエルですね、レイヴンマスクがあるとは言え、堂々と瘴気層に入るとは」


 沸いた湯をポットに勢い良く注いで蓋をし、蒸らしているクルーガーを尻目に椅子に体重を預けながら、空を見上げる。


 青い、良い空だった。


「レイヴンマスクがあるとは言え、現場判断で潜ろうと言い出したんだぞ?とんでもねぇ女だ」


「現場判断に苦情を言うなら、貴方も余り人の事は言えないのでは?」


 クルーガーが楽しそうな調子のまま、ポットの中をスプーンで軽く混ぜる。何でも、この行程は思い切りかき混ぜない事が重要なんだそうだ。


 …………言い返そうかと思ったが、確かに“リスクを取って結果を出す”方針には個人的には賛成だった。


 結果論にはなるが確かにラシェルの判断で、あの任務が好転したのも事実だった。


 その判断が、俺一人では間違いなく出なかった事も。


 片眉を上げた俺が言い返せないのが分かったらしく、クルーガーが微笑を溢す。


「似た者同士、ですね」


「勘弁してくれよ」


 クルーガーの笑い声を聞きながら頭上に広がる青い空を眺めつつ、任務中にて瘴気層に飛び込んだ、あの肝が冷える飛行を思い出す。


 きっと黒羽の団には、言うまでもなくラシェル以外のウィスパー操縦士が他にも居る筈だ。


 仲良くはなれずとも、きっとラシェルよりは聞き分けの良い操縦士も居ただろう。俺の言う通りに動く操縦士も居ただろう。


 だが、今回の任務に登用されたのがもしラシェル以外だったなら、今回の飛行船襲撃はここまで上手く行っただろうか。


 操縦士だけでなく、現場の任務でレイヴンとしてストルケインを振り回し飛行船の外装を駆け上がるラシェル以上の適任が、他に居ただろうか。


 無意識に、眉間に皺が寄る。


 認めるのは癪だが、アキムの采配でラシェルと組まされたのは、正解だったと言わざるを得ないだろうな。


 俺達が殴り合うのを前提としていた事を踏まえても、能力面や結果からしてみればアキムの思惑通りに運んだとも言えた。


 最も、俺もラシェルも一度も相手を殴っていないのは、偶然以外の何物でも無いのだが。


 ティーストレーナーで濾しながら濃さが均一になる様、回し注ぎするクルーガーを眺める。


 飲み終える際には最後の一滴まで注ぐのが重要らしい、ベストドロップと言うのだったか。


 紅茶を注ぎ終え、満足そうな顔のクルーガーが此方に丁寧にカップとソーサーを差し出してきた。


「そう言えば知っていますか?」


「何がだ?」


「最近、レガリスでも入団を志願する者が少しずつ増え始めているそうです。ギャング崩れの者も多いそうですが」


「入団志願者………」


 カップに注がれた紅茶に手を付ける。濃すぎて苦い様な事も、薄すぎる様な事も無い“美味い紅茶”だった。


 丁寧に淹れたらこんなに美味いのか、と思う反面、俺が淹れる紅茶は大雑把なのが原因かと思い直す。


「勿論、全員が全員黒羽の団と接触出来た訳ではありませんがね。ギャングと違い、我々は一般人が容易く接触出来る様な組織では困りますから」


 紅茶を楽しむ表情のまま、クルーガーがのんびりと呟いた。


 まぁ確かにクルーガーの言う通り、一般人が容易く団員を見つけて接触出来る様な事では、まず間違いなくこれ程の組織にはならなかった筈だ。


 その程度の組織なら、きっと俺が帝国軍に居る内に壊滅させられていただろうな。それこそ、隠密部隊にでも殲滅されていただろう。


「まぁともかく、民衆も再び“黒羽の団”に期待し始めた訳か。俺が言えた口ではないが、よく持ち直したな」


 浄化戦争終結から4年。


 終結当初は暗殺や破壊工作により帝国軍を脅かしていた黒羽の団も、帝国軍………恐らくは隠密部隊の作戦により少しずつ後退していき、半年程の前の記事では抵抗軍の崩壊と消滅は目前と思われていた。


 それが、今では再び“未来”を信じている志願者が現れる程に持ち直したのだから、いやはや。


 そんな事を考え込んでいると、目の前のクルーガーが上機嫌そうな笑みと共に紅茶を楽しんでいる事に気付いた。


「何だよ、可笑しいか?」


 カップをソーサーに置きながら何気無く訊ねると、クルーガーが余韻を持って紅茶を楽しんだ後にカップ片手に言葉を返してくる。


「皮肉なものですね。英雄たる貴方が我々黒羽の団とペラセロトツカを敗北に追い込んだかと思えば、その貴方が今度は黒羽の団及びレイヴンを再び立ち上がらせているのですから」


 クルーガーの言葉に上手い返しが思い付かず、いつもの癖で頭を掻くとカップを片手に持ったままのクルーガーが楽しそうに笑う。


 はしゃいだりこそしないが、どうやら思った以上にクルーガーは上機嫌らしい。


 紅茶を振る舞ってくれるはまだしも、紳士的なクルーガーにしては珍しい程に距離の近い言葉を投げてきては笑顔を溢している辺り、中々に上機嫌らしい。


 しかし言われてみれば、今更ながら浄化戦争であれだけのラグラス人を殺して帝国を勝利に導いた俺が、今度は帝国に対する抵抗軍に所属するだけでなくラグラス人の味方をしているのだから、正しく皮肉と言う他無い。


 そこまで考えて、眉を潜める。


 頭の中で様々な線を探り、無意識に表情が険しくなった。


 何か噛み合っていない様な気がする。何かが欠けている。


 頭の中で、少しずつ齟齬を探していった。


 噛み合っていない場所がある。歯車の歯が、何処か欠けている。


 隠密部隊。


 そう、隠密部隊だ。


 先程の志願者が増えているという話で、“簡単に接触出来る様なら、隠密部隊がとうの昔に殲滅しているだろう”と俺は結論付けた。


 当然ながら、俺は隠密部隊を良く知っている。隠密部隊の練度が高い事、生半可な兵士が潰せる奴等じゃない事、数多の敵を喰い殺してきた事を。


 だが、こうして黒羽の団に入りレイヴンとなり、実際に団の規模やレイヴンの練度の高さを見ると、幾ら東方国ペラセロトツカが敗北し浄化戦争が終結したとは言え、この数年でここまで疲弊するのは違和感があった。


 先程は“少しずつ後退していった”と勝手に結論付けたが、未だに本拠地も明らかになっておらず諜報等の力もあり、小国に匹敵する程の技術力を持っている。


 言うまでもなく、技術者だってレガリスに負けない程の連中が揃っている。


 それが、俺が来る時には熟練のレイヴンを多数失い、情報網すら疲弊していた。


 どうしてそれだけの力があった連中が、ここまで追い込まれる?


 浄化戦争終結後、閑職に飛ばされていた2年間。そして、屠殺場に勤めていた2年間の記憶をもう一度思い出す。


 世間にはすっかり興味が無くなり、世間の事は新聞を読む程度だった上、2年前に失ったアルフレッド………弟の事を思い出すのは楽しい事では無かったが、それでも頭の中を探し回る。


「……ミスター・ブロウズ?」


 急に険しい顔で黙り込んだ俺に、クルーガーが不思議そうな顔を向けるが、「少し待ってくれ」と言い残しそれでも記憶を探り続けた。


 空のカップを見つめながら、考え続ける。

 ペラセロトツカの敗北に足を取られたか、とも考えるがそれはそれで筋が通らない事が幾つかある。


 そうだ。


 部隊の規模と練度を考えれば、終戦した後も不自然と言える程に“レイヴンが殺害された”記事及び報告が多すぎた。


 当時は自分が前線を退いている事もあり、「やはり流石に隠密部隊には勝てないか」と軽く読んでいたが、こうして間近で見た限りあの隠密部隊であれどレイヴン達は次から次へと、簡単に片付けられる様な練度ではない。


 なのに、あんなにも次から次へと死亡報告やレイヴンの死体が出てくるのは、余りにも不自然だ。


「なぁ、クルーガー」


 漸く口を開いた俺にテーブルの対面に座っていたクルーガーが、安堵した様に「何です?」と返してくる。


「……俺が来る前、何故黒羽の団はあんなにも疲弊していたんだ?幾ら帝国軍が強大と言っても、あの頃は明らかに疲弊度合いが酷すぎただろう」


「疲弊………」


 クルーガーが、意外そうな顔をする。


 頭の中で更に理屈が繋がる。そうだ、おかしい。


「あれだけの規模や設備に加え、ユーリやラシェルまで居る。実力者のレイヴンが敗れたら後が無い事から、迂闊に動かせないのはまだ分かるが…………」


 カップを置いたクルーガーの表情が、意外な顔から神妙な顔に変わっていく。


 何かが、噛み合っていない。今回の件には間違いなく、俺の知らない何かがある。


「それを踏まえたとしても、元帝国軍の俺を勧誘する様な博打を打つまでに黒羽の団が追い詰められたのは何故だ?明らかに実力と練度から見ても、辻褄が合わないだろう」


 そこまで言い切って、少し間を置く。


 無音。だが、クルーガーの片眉が微かに動いた。


 口を開こうとした途端に、クルーガーが少し息を吐いた。


「…………余り、断言できる話では無いのですが、それでも宜しいですか?」


「確証が無いなら憶測でも構わん」


 そう促すと、クルーガーが気まずそうに頬を掻きながら微笑んだ。


「では、私の憶測を話しましょう。噂話の域を出ませんが、そればかりはご容赦を」


 そんな言葉に頷いて、目線と仕草で先を促す。


 やはり、何かあるのか。


「貴方の言う通り、半年前まで我々はもう先が無いと囁かれる程に追い詰められていました………そして恐らく貴方が想像している通り、我が団がそこまで疲弊したのはある理由があったからです」


 クルーガーが少しずつ、丁寧に話し始める。


 思った通り、単に黒羽の団が押し負けているという訳では無いらしい。


「具体的に言えば、レイヴン達の異常とも言える程の戦死率にありました。浄化戦争の間、戦争が終結してからも、任務中のレイヴンが不可解な形で戦死する事態が相次いで起きていたんです」


 戦死率、か。


 先程も考えていたが、やはり浄化戦争が終結した事を考えると余りにもレイヴンの戦死が多すぎる。


 前線に出たレイヴンに戦死の危険がある事を踏まえても、あんな頻度でレイヴンが死ぬのはやはり異常だ。


「それも帝国軍、隠密部隊の仕業ともまた違う、不可解な戦死がレイヴンに起きていました。レイヴンが殺されたと言うのに、新聞記事にまるで取りあげられない事もあったぐらいです」


 目元が険しくなる。言うまでもなく、普段からは考えられない事だ。レイヴンを始末したのが隠密部隊じゃないにしろ、レイヴンの死がまるで報道されない、と言うのは腑に落ちない。


 帝国軍からすれば、レイヴンを撃退及び殺害した事実を宣伝しない理由は無い。


 士気高揚にしろ黒羽の団に対する牽制にしろ、意図的に黙る理由は無いだろう。


「その上…………戦死したレイヴンの中には目標の場所に辿り着く前、移動中に殺害された、もしくは消息が途絶えた者も多く居たそうです」


「辿り着く前に戦死?」


 思わず、声が出た。


 レイヴンが移動術で屋根の上や壁面、スチームパイプを足場にして駆けていくのは定例だが、任務地に辿り着く前……屋根の上の時点で殺害されたと言うのか?


 百歩譲って歩哨にやられたと考えられなくも無いが、それなら確実に記事になっている筈だ。


 つまり、レイヴンを片付けたのは歩哨では無い。恐らく憲兵でも無いだろう。


 正直に言ってその程度の連中が、団を疲弊させる程レイヴンを殺せるとも思えない。


 息を吸いながら、改めて考え直す。


「……ならレイヴンを殺した連中は?隠密部隊でも、そうは行かない筈だ」


 隠密部隊が殺したなら所在は明かさずとも、まずレガリス新聞の記事にはなっている筈だ。


 それに隠密部隊なら走っているレイヴンを叩き落とす様な、そんな猟用鳥の様な真似はしないだろう。


 隠密部隊なら、レイヴンが何処に帰るかを突き止めようとする筈だ。


 最もこの俺が崩落地区の事を知らなかった様に、移動術を駆使し丹念に経路を隠すレイヴンの拠点など突き止められる訳も無いのだが。


「これは憶測、噂話の域を出ませんが」


 クルーガーが間を置いて、空のカップに視線を落とした。






「レガリスには、隠密部隊とはまた違う…………帝王直属の独立組織が、極秘に存在するそうです」

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