第107話

 マグダラ語の敬語しか話さなくなって、もう随分と経つ。





 今のこの生活と、敬語は最早切り離せない程に密接に絡んでいる事を考えると、至極当たり前の話ではあるのだが。


 銀食器を丁寧に扱いながら、朝食として用意されたエッグベネディクトを口に運んでいった。


 ナプキンで口を拭い、一息入れて窓の外に目線を投げる。


 随分と穏やかで、気持ちの良い朝だった。


 動きの悪いヤギの様に蹴り起こされる事も無く、寝起き一番に仕事の成果を確認される事も無く。


 太陽が上がった後にシルクのシーツが張られたベッドでゆっくり起きて、顔を洗ってから糊の効いたシャツを着て、汗一つかく事なく手を汚す事もなく、高い椅子に座ってエッグベネディクトを銀食器で食べられると来た。


 このレガリスにおいて、同じ生活を出来るラグラス人がどれだけ居るだろうか?


 確かに、生活だけは送れるかも知れない。現にこういった生活を送っているであろう、幸運な奴隷も少なからず居る。


 自身と同じく、幸運にも高級な飼い主に買われたか、高い値が付けられたラグラス人ならば、決して居なくはないだろう。


 だがそんな生活を送っている奴隷の殆どが、一日の半分以上を服を脱いで過ごしているか、身体を触られながら過ごしている、もしくはその両方だ。


 大半が女性奴隷なのは、言うまでも無い。


 主人に“肌の奉仕”をせずに人間の尊厳を保ったまま、ここまでの生活を送れるラグラス人がこのレガリスに何人居るだろうか?


 浄化戦争で再び、奴隷以下に地位を蹴落とされた亜人がこのレガリスにおいて、この生活を送れる者が何人居るだろうか?


 暇潰しに蹴飛ばされても抗議すら出来ないこの世界で、亜人たる自分がこの生活を送れているのは度重なる僥倖は勿論の事、自らの“生きる道”を誰よりも早く見出だしたからに他ならなかった。


 自身の立ち位置と血統、その意味と価値を誰よりも早く自覚し、潤沢かつ裕福に生きるには“どういう生き方”が良いのかを直ぐ様見出だしたからこそ、自分はこうしてラグラス人こと亜人の卑しい身でありながら貴族さながらの朝を迎える事が出来るのだ。


 浄化戦争の言葉通り、我々は濁り驕った“傲慢”から浄化された。


 従うべき主、そして導いて頂く主。正当人種キセリア人に我々は心から感謝を示し、我々は生涯崇拝せねばならない。


 独立という傲慢な幻想に惑わされ、当ての無い荒野に投げ出されそうになっていた所を、抱き留めて頂いたのだから。


 確かに手痛い教訓だった。数え切れない同胞が苦しみ悶え、後悔と失意の中で息絶えていった。


 故郷たる母国ペラセロトツカは重い過ちへの代償を払い、翼の折れたツバメの様に苦しみ血を流していた。


 しかし、私はその血が滲む様な教訓から学び、“自身がどう在るべきか、自身はどう生きるべきなのか”を遂に自覚したのだ。


 私の機転は早かった。今思い出しても、あの機転こそが私の命運を分けたのは間違いない。


 未だに敗北と自らの器量を自覚出来ない愚民達を率先して叱咤と共に纏め、強大かつ信頼出来る主へ頭を垂れよと促したのだ。


 どれだけ言っても分からない者も居た。愚鈍と傲慢が骨の髄まで染み付いた連中はそれでも主に逆らい、肉が削げる程の鞭を貰い更に鎖に繋がれるか、そのまま“誇り高く”息絶えた。


 本人は誇り高い生涯のつもりだろうが、痩せ細った身体で叩き殺され、大した葬儀もされず、ヤギやシカの内臓と同じく廃棄される運命の何処が誇り高いというのか。


 一方、自身と同じく“自身はどう生きるべきか”を直ぐ様理解した者は、自ら跪き鎖を頂戴する事となり生き延びた。


 空魚に羽はなく、鳥に鱗は無い。


 自らに流れる血筋に逆らって生きても、無様にのたうち回って蹴飛ばされるだけなのだから。


 生まれながらにして自らに流れる“罪人の血”を自覚し、自分より高潔な存在に手綱を取ってもらって、はぐれた子ヤギが足を踏み外さない様に導いて頂くことこそ、我等が清廉に生きる第一歩に他ならない。


 かつて自分が律して説き伏せた亜人の集団は、努力の末あって自身の血筋の罪深さを自覚して我等が主に恭しく跪き、清廉な人生を歩む為に炭鉱で日々汗を流している。


 かつては、自身も奴隷として炭鉱か工場に売られる予定だった。


 だが幸運にも周りの卑しい亜人達を“正しく導いている”姿が目に留まり、当時の主人の厚意によって、他の場所で奴隷達相手に“如何にして自身の血筋と向き合うか”を話す機会を得たのだ。


 そこで、私はこの浄化戦争で見出だした在るべき姿と罪深さ、その全てにおいて、心から真摯に演説を続けたのを覚えている。


 私の言葉には不思議な力があるらしく、次々に私の言葉に賛同する者達が現れ、亜人の中で崇拝される様になった私は徐々に、正当人種たるキセリア人の方々からも一目置かれる様になっていった。


 少しして、奴隷の血筋でありながら私は様々な場所へと連れ出して貰える事となり、その先々で如何にして自身の罪深い血筋と向き合うか、後に“償いの道”と呼ばれる講演を開く事が役割となっていく。


 自身を認められず、行き先を失っている亜人達には私が見出だした“償いの道”が灯火の如く支えになり、生きる意味を見出だす手助けとなったのだ。


 血が流れる様な惨い仕打ちを受けずとも、自身が今こうして生きて主に奉仕出来る事が、どれだけ幸運でどれだけ慈愛に満ちた事なのか理解出来る様、行く先々で私は説いて回った。


 そして、今では私は“贖罪者”と呼ばれている。


 高潔で清廉たる主に跪き、自身のみならず亜人に流れる血筋の罪深さを償う為、各所で心から隷属を促し、卑しい亜人が自身の罪を償える様に説得した事が主に認められたのだ。


 主達からも身に余る栄誉や地位を与えて頂き、本来許されない程の厚待遇を賜っている。


 時折、こんな自分がこれ程の栄誉を手にして良いのか、と主に訊ねた事があった。


 自身の様な罪深い者は、もっと低い扱いを受けて然るべきなのでは、と。


 慈愛に満ちた主はそんな自分にも、輝かしく暖かい言葉をかけてくださった。


 “貴方は、自身の罪深さを自覚し亜人の誰よりも、真摯に罪に向き合っている。貴方の道は、自身に鞭打つ事ではなく正しい道へと人々を導く事なのだ”


 あれほどまでに、私は感謝の涙を流した事は無い。


 私はあの日、あの瞬間から、亜人達の道を示す事が使命となった。


 私は、この生き方に生涯を捧げるつもりだ。それが、卑しい血筋に生まれた義務であり使命なのだから。


 窓の外の風景を楽しみつつポットから紅茶を淹れ、茶葉の高貴な香りを愉しむ。


 良い茶葉だ。主はこんな至らぬ身の自身にさえ、周りと遜色無い程の茶葉を下賜してくれるのだから言葉も無い。


 主の所有する屋敷。その窓から見える庭園は今日も手入れが行き届いており、暖かな日射しのベールが主人の品格を表すかの様に庭園全体を美しく照らしていた。


 中心には、ツルハシを肩に掛けつつ汗を拭う“敬虔な労働者”の彫像が据えられており、正しく主の偉大さを象徴していた。


 主から賜った慈愛と僥倖を、深く噛み締める。


 近々、母国たるペラセロトツカ各所に新設される寄宿学校に、“償いの道”を演説する仕事が来ていた。


 亜人の児童は幼い事もあり、如何に自身が罪深いかを理解していない者も多いだろう。


 自身がどういう存在なのかを子供の内に教え込んでおかなければ、最悪主人に逆らったり自身の使命から逃げ出したりと、非行に走る様になってしまうかも知れない。


 だからこそ、幼い内からしっかりと自身の骨子になる“奴隷の自覚”を持たせ、反乱や脱走といった危険な芽を意識から摘み取っておく必要がある。


 何があっても主たる正当人種に逆らう様な真似をせず、主への隷属と奉仕こそが自らの血筋への償いだと自覚させなければ。


 文字通り、自身が亜人達の“未来”を背負うのかと思うと身の引き締まる思いだ。


 絶対に成功させなければ。私が上手く説得出来なければ母国は将来、身の程を弁えない下劣な国になってしまう。


 姿勢を正し、自らの使命を深く噛み締めているといつの間にか、完璧に調和していた庭園の風景が乱されていた。


 折角、人が使命に燃えていると言うのに何とも無粋な事もあるものだ。


 眉を潜める。


 よりによって今そこに降り立つ事も無かろうに、全く。






 “敬虔な労働者”の彫像の頭に留まったカラスが、濁った声で鳴いていた。

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