第70話

 「結局、俺達の事は何一つ言わなかったな」







 ヴィタリーが広げた新聞に眼を滑らせながら、椅子に腰掛けたまま吐き捨てる様に呟く。


 アキム、クロヴィス、ヴィタリーといった幹部が集まる会議室には、相変わらず重苦しい空気が立ち込めていた。


 だが、不機嫌そうなヴィタリーに対して、随分と明るい眼をしているクロヴィス、厳格ながらも地下牢の時よりは穏和な色を浮かべたアキム。


 少なくとも、景気の悪い話では無さそうだ。


 会議室に呼び出されたにも関わらず、挨拶もされず立ち尽くしている俺を見かねた様に、静かにアキムが口を開く。


「まぁ、君は察しが良い。言わなくても分かるだろうが、一応言わせてもらおう」


 周囲を窘める様な咳払いの後に、アキムが此方を見据えた後に宣言する様に言う。


 「今回の件への対処、団への貢献、ひいては君の任務遂行能力から鑑みて、黒羽の団は今後もデイヴィッド・ブロウズを我々、幹部直下の独立部隊のレイヴンとして運用を継続する事を決定した」


 場に言葉と言葉の意味が染み込むまで、少しの間があった。


 ゆっくり、静かに息を吸いこむ。


 俺は、暫くは生きていけるらしい。また少しすれば過酷な任務に連れ出される事は間違いないが、それでも明日も誰にも脅かされず息をして、飯を食える事は間違いない。


 ヴィタリーが新聞から目線を上げて此方に眼を向けたものの、再び新聞に目線を落とす。分かってはいたが、相変わらずの待遇だ。


 「………暫くは、殺されずに使われるって認識で良いんだな?」


 言質を取る意味も含めて、ここの認識だけは確かめておいた方が良いだろう。


 そんな俺の言葉に、ヴィタリーが落としたばかりの視線を上げて睨み付ける。


 「首の皮一枚繋がった事を忘れるなよ。それと使われるじゃなく“使って貰える”だ。間違えるな」


 再びヴィタリーの視線が新聞に落ちる。分かってはいたが、俺の首を切り落とせなかった事が中々に気に食わないらしい。まぁ、今更の話ではあるが。


 そんなヴィタリーとは対照的に、歩み寄ってきたクロヴィスが俺の手を取り、強く握り締める。


 「今回のイステル、及びランゲンバッハの件はよくやってくれた。帝国軍はどうやら意地でも我々が正しかった事を話題にしたくないらしいが、世論は無事に黒羽の団を支持する方向に傾いている」


 どうやら、あの時の咄嗟の判断は良い方向に働いてくれたらしい。生憎と最近は新聞を読めていないので、帝国軍がどう報道したかは分からないが。


 今考えてみれば、結論が出る前に俺に新聞を読ませていたら最悪、イステルの件が上手く行かなかった時に処刑されるのを悟られて、何かしら悪あがきされると思ったのだろうか。つまり、意図的に俺の所に情報を回さなかったとも取れる。


 無情な話だが、分からなくは無い。


 「どんな記事になったんだ?悪いが、その件の記事はまだ読んでないんだ」


 そう呟くと、クロヴィスが上機嫌そうにヴィタリーに目をやる。その様子を見ていたアキムも、少しの間を置いて「ヴィタリー」と呼び掛けた。


 椅子に腰かけたままのヴィタリーが顔を上げ、意外そうにアキムを見上げた後、アキムが俺を顎で指すのを見て苦い顔をする。


 抗議する様な目線の後に手元の新聞を乱雑に巻き、渋い顔で投げ付けてきた。


 投げ付けられた新聞を受け取り、皺の寄った記事を広げる。


 微かなインクの香りと共に、記事を読み進めていく。


 どうやら、ある程度は俺の予想通りに進んだらしい。細かい手順は勿論分からないが、ランゲンバッハを冤罪から解放してイステルの後を継がせた辺りは上手く行った様だ。


 ただ、想像以上に帝国軍は俺達の事を話題にしたくないらしく、あくまでもイステルとランゲンバッハがお互い同意した上で、ランゲンバッハに改良型テリアカの権利及び開発、研究の権利を受け継がせた、という形の報道しかしていない。


 「成る程な」


 そう呟きながら新聞を折り畳み、近くのクロヴィスに渡すとクロヴィスが笑ってヴィタリーに新聞を投げた。


 視界の隅で、ヴィタリーが新聞を掴み取って再び不機嫌そうに広げるのが見える。


 「一応聞くが、イステルがここから盛り返す可能性は?」


 俺の言葉に答えようとしたアキムを遮る形で、上機嫌そうなクロヴィスが答える。


 「無い、と断言して良いだろうな。青タバコ製造で一時期はブージャムの幹部まで上り詰めたイステルだが、今回の件で完全にブージャムの青タバコ生産は大半が停止、禁止薬物の経済にも大打撃だ」


 噛み締める様にクロヴィスが顎に手を触れるも、此方が目線で続きを促すとクロヴィスが再び口を開く。


「イステルが秘密裏に収監されたアイルガッツ刑務所にも、ブージャムのメンバーが数多く収監されているが………他の幹部の様には扱って貰うのはまず無理だっただろうな。肩書きがある分、変に絡まれたりはしないだろうが、逆に言ってしまえばその程度だ」


 どうやら俺が危惧していた、刑務所から返り咲いて再び“青タバコ”の製造業に、という事は無いと見て良いらしい。


 そこまで考えた後、ふとある事に気が付いた。


 「………“無理だった”という事は、過去形か?今はもう解決したのか?」


 そんな俺の言葉に眉を上げた後、クロヴィスが微笑む。


「勿論、もう過去の話だ。イステルは先週末に死んだよ、ブージャムとスナークスの刑務所内の抗争でね」


 何か、自分の中から空気が抜けていくのが分かる。もう、どうあってもイステルが返り咲く事もランゲンバッハが再び蹴落とされる様な事も無いって事か。


 「話に寄ると抗争中に殺されたらしいが………まぁ、子供じゃないんだ。元から殺される予定だった事は誰でも分かる。抗争以外で死体が出ると色々後が面倒だから、程度の理由だろう。最後の数日、イステルはさぞ恐怖しながら過ごしていただろうさ。あれだけ頭の回る女だ、自分がいつ殺されるかぐらいは分かっていただろうからな」


 酒の席の様に気軽に話すクロヴィスの話を聞きながら、アキムの方に向き直る。


 アキムが此方に眼を向けるも、少しして此方の意思を読み取ったらしくアキムが柔らかい口調で話し始める。


 「黒羽の団の評判なら先程もクロヴィスが言った通り、今回の件で我々を支持する連中がかなり増えてきている。勿論、誰も彼もがレイヴンを応援するという訳では無いが………」


 「……もう、民衆にとって俺達はレガリスを恐怖に陥れる邪教集団では無いって事か?」


 アキムの言葉に小さくそう返すと、ヴィタリーが新聞に眼を落としたまま口を挟んできた。


 「帝国は未だにそう思わせたいみたいだがな。民衆も馬鹿じゃねぇんだ、どっちが自分達の味方かぐらい分かってるさ」


 鼻を鳴らしてヴィタリーが新聞を捲るのを尻目に、その言葉に賛同するかの様にクロヴィスが頷いているのが見える。


 漸く黒羽の団は“民衆の味方”として、安心出来る所まで返り咲いたと言う訳か。


 「もう1つ良いニュースもある。あの時、君が現場の判断で間接的に助ける事になったランゲンバッハだが、どうやら刑務所の中でも生き抜いている内にスナークスに相当認められていたらしくてね」


 無事に現状がそうそう覆らない言質も取れ、生きていける事を改めて実感していると、クロヴィスのそんな言葉にふと顔を向ける。


 「ランゲンバッハが、スナークスと関わったのが良いニュースなのか?」


 口から反射的に出たそんな言葉に、クロヴィスが眉を上げる。


 「分からないか?」


 そんなクロヴィスの言葉に、改めて意味を考えようとしていた矢先、俺が答えを出すより先にクロヴィスが言葉を続ける。


 「間接的にだが、スナークスに貸しを作れたかも知れないと言う事さ。言ってしまえばスナークスのお気に入りを助けた事になるのだから」


 スナークスに貸し、か。確かに今回、スナークスの対立ギャングとなるブージャムを殴り飛ばした形になるのだから、ある意味貸しにはなるだろうが………


 所詮、ギャングはギャングだ。ギャングに好かれようとも、自分達の様な組織には余り旨味が無い。


 ブラックマーケットで密売する武器等の顧客にはなるかも知れないが、言ってしまえばそれまでだ。


 そんな考えの中に、アキムの言葉が咳払いと共に割り込んでくる。


 「まぁ、逆を言えばわざわざ“青タバコ”産業を手間暇かけて大ダメージを与えたんだ。スナークス以外のギャングは、黒羽の団を敵対視しているのはほぼ間違いない」


 確かにブージャムからすれば、今回の件でレイヴンは“街で見掛けたら質問の前に首を切り飛ばせ”リストに入ったと見て良いだろうな。


 今回の件で、民衆の支持は得られたかも知れないが…………引き換えに、禁止薬物を扱う様な残虐なギャング連中からは随分な怒りを買ってしまったらしい。


 ままならないものだ。


 アキムの眼を真っ直ぐに見返しながら、僅かに眉を潜める。


 「逆に聞くが、スナークスは青タバコの件には文句無いのか?色んなギャングがレガリスには蔓延ってるが、利益が減って喜ぶギャングはまず居ないぞ」


 アキムとクロヴィスが顔を見合わせる。こいつら、そんな事も気付かなかったのか?


 いや、違う。この空気は俺の方に落ち度がある時の空気だ。


 自分でも分かる程に顔が苦くなった。


 アキムが何か言おうとするが、その前に新聞を畳む音と共にヴィタリーが忠告する様な声音で会話に入ってくる。


 「スナークスは元々、レガリスの貧困層や亜人、所謂“弱者”を守る自警団から始まったギャングだ。その頃の名残か、禁止薬物は今でも掟で固く禁じてるらしい。奴らからすれば、むしろ青タバコなんぞ根絶やしにされた方がよっぽど街の為になる、ぐらいの考えだろうよ」


 ヴィタリーが畳んだ新聞をテーブルに放り、ゆっくり立ち上がる。


 胸の中に、静かな驚きが広がっていく。


 ………レガリスのギャングに、まだそんな連中が居たとは完全に初耳だった。ブージャムとスナークスが対立しているギャンググループと言う事は知っていたが、てっきり獣の共食いの様な物だとばかり思っていた。


 まさか浄化戦争も終わり、再び大義名分を得た帝国が平然と亜人や貧困層を踏みにじる時代に、武力を民衆の為に使おうとするギャングが生き残っていたとは。


 「“反乱分子”を一括りに切り捨てていた帝国軍サマには、どれも一緒に見えるだろうがな。未だに諦めてねぇ連中ってのは居るんだよ。数こそ大分減っちまったがな」


 「ヴィタリー」


 諌める様にクロヴィスが俺とヴィタリーの間に割って入るも、ヴィタリーは見下す様な眼で此方を睨んだ後に些か肩を竦めただけだった。


 言い争うまでもない。眼が、そう語っていた。


 喉の辺りから苦い物が広がるが、こればかりはどうしようも無い。


 「何にせよ、話を纏めるぞ」


 アキムの張りのある声が、空気を引き締める。


 「色々あったが、我々は今、計画通りに民衆の支持を得た。ブージャム含め、様々なギャング達の尻を蹴飛ばす形にはなったがな。だが、スナークスだけは我々に幾ばくか貸しが出来た形になる。ここまでは良いな」


 そんなアキムの言葉に、小さく頷く。


 「今後は、場合によってはスナークスに協力を要請するかも知れない。条件次第では、奴等の支援をする事もあるかも知れない」


 ギャングと共同作戦か。正直、上手く行く作戦には聞こえないが、他に良い手が無ければ仕方ない瞬間もあるかも知れないな。


 「今回の件で分かっただろうが、我々及びレイヴン、黒羽の団はこのレガリス及びバラクシアから真の自由を取り戻す為なら、幾らでも手を汚す覚悟だ。………恐らく、我々の名誉は血で赤黒く染まる事になるだろう」


 目元が険しくなるのが自分でも分かる。


 成る程。帝国軍を打倒し、真の平等と自由を手に入れる為なら文字通り“どんな力でも”使うという訳か。


 不名誉除隊の元英雄に、敵国に力を貸していた抵抗軍。そこに、必要ならばギャングさえも抱き込もうとしているのだから、改めて考えてみればとんでもない布陣だ。


 「……そしてデイヴ、君に確かめなければならない事がある。我々の仲間として、重要な質問だ」


 アキムのそんな静かな、だが重い言葉に目線で先を促す。


 「デイヴ、君はこの暗澹たるレガリスにおいて尚、戦士として誇り高く生きる事が出来るか?」


 誇り高く、か。


 帝国軍に入隊した時に、当初は誇り高き騎士としての道もあった事を覚えている。


 騎士の道に恥じぬ戦士として、また敬虔なテネジア教徒として、レガリスの為にその身の全てを捧げよと教育された事を。


 中には、本当に聖女テネジアへの信仰を幹として自らの心身を鋼の如く鍛え上げ、装甲兵を叩き斬る程の屈強かつ誇り高き戦士になる奴も居る。


 だが勿論、大半の兵士は誇り高き騎士どころか、路地で市民の顔を蹴飛ばして金貨を“徴収”しているのが現状だ。


 ……隠密部隊に限っては、最早言うまでも無い。騎士どころか、手負いの獣の様になってでも相手の首を斬り飛ばす事を第一とする連中なのだから。


 「勿論誇り高き、というのは名声としての話ではない、信念の話だ。紳士も騎士も誰一人居ない空の果てでさえ、君は大義の為に戦う騎士として高潔に………誇り高く在る事が出来るか?」


 アキムのそんな問いに、胸の内に様々な想いが湧き出ては消える。


 かつては自分も隠密部隊に引き抜かれるまでは、帝国軍で誇り高い戦士を目指していた。


 どれだけ周りが“徴収”に夢中だったとしても、自身は不当に金貨を毟り取る様な真似はせず、問題が起きればキセリア人とラグラス人の話を平等に聞く、そんな男を。


 例え誰一人咎める人が居らず、悪党や悪漢の様な畜生どもの巣窟に居たとしても、高潔さを捨てない、そんな男を目指していた。


 ……言うまでもなく、今では自由を求めたラグラス人を深紅の湖が出来る程殺し、影から背中を突き刺し首を斬り飛ばし、兵士でもない女の膝を蹴り砕いて情報を吐かせる男にまで堕ちてしまった訳だが。


 アキムは、そんな俺に誇り高い男になれるか、と聞いているのだ。


 血塗れになって泥の中を這い回る様な事になっても、最後まで誇りを諦める事なく、分別を見失わず、獣に堕ちる事なく高潔な男で居られるかと言う事を。


 深く、深く息を吸い込み、確固たる信念と共に言葉を紡ぐ。


 「お話にならんな。今更、俺に“誇り高く在れ”だと?レイヴンの任務の合間に修道士もやれってのか?」


 研ぎ澄まされた槍の様なアキムの眼光が、押し潰されそうな程に重さを増す。


 それでも此方も噛み付かんばかりに睨み返しながら、言葉を続ける。


 「はっきり言っておこう。記録には残っていないだろうが、俺はかつて絶対に許されない事をやった。誇りなんぞ持っている奴なら、次の日には懺悔しながら身を投げる様な事をな」


 あの日、俺が一線を超えてしまった“惨劇の記憶”。


 赤黒い錆びの様な後悔が胸中に溢れ返り、腕と肩の筋肉が無意識に強張る。


 「それでも帝国の勝利の為に、俺は許されない事をやりきった。誰にも誇れず、生涯後悔する様な事をな。俺は命令なら血泥の中を這い回ってやるし、獣の臓物でも噛み千切ってやる。だが“高潔に生きろ”なんて戯れ言だけは、死んでもお断りだ」


 視界の端で、クロヴィスが息を呑んだのが見えた。


 ヴィタリーの肩に、僅かに力が入ったのを同じく視界の端で捉える。


 今更になって高潔な男で居ろ、など出来る筈も無い。テネジア教徒なら更正がどうの、生涯がどうのと有難い御説教を垂れるのだろうが、俺には縁の無い話だ。


 それこそ俺は今、テネジア教徒どころかレガリス中の人間が忌み嫌う、グロングスでもあるのだから。


 場が、静まり返る。


 アキムが顎に手をやり、痛い程の静寂が耳朶に染み込んでくる。


 きっと望み通りの答えでは無いだろうが、それこそ無理な話だ。


 息が詰まる様な静寂が暫く続いた後、アキムがただ一言「まぁ、良しとしようか」と呟いた。


 その瞬間、クロヴィスが溜め込んでいた息を思い切り吐き出すのが聞こえ、ヴィタリーが鼻を鳴らして腕を組む。


 アキムでさえ、納得した様な顔で顎に手をやっている。


 何だ?


 正直、こんな答えを返せば呆れられるか、冷めた眼で見られるか、そんな反応が返ってくるとばかりおもっていたのだが。


 「………今の問答の、意味を聞いても?」


 冷や汗が吹き出そうな戸惑いの中、それでも至極冷静に努めながら、アキムに質問する。


 アキムは顎に手をやったまま、クロヴィスに眼を向けた。


 直ぐ様、堪えきれない様子でクロヴィスが目の前まで近寄ってきて、痛い程に俺の手を握り締める。


 「あぁ良かったデイヴ、過ぎた事だから言うが…………」


 一息ついて、クロヴィスが改まった様子で言う。


 「その、君は今の今まで、処刑されるかどうかの瀬戸際に居たんだ」


 「何だって?」


 思わずそんな声が出る。処刑される瀬戸際?よりによってこのタイミングでか?


 「簡単な話さ」


 ヴィタリーが腕組みをしたまま、興味無さそうな眼で此方を見ながら口を開く。


 「紆余曲折あったが今回、お前は自分の失態を成果で取り戻した。ここまでは良い」


 クロヴィスが額の汗をハンカチで拭う様子を尻目に、ヴィタリーに対し片眉を上げる。


 「失態を取り戻したまでは良い。だが、あれだけの不穏分子だったお前を、評判を取り戻した後までわざわざ飼う意味があるかどうかを今一度考えたんだよ」


 言葉が出なかった。今回の尻拭いが終われば用済みとして消されようとしていたという事か?


 イステルの排除にランゲンバッハの復帰、スナークスへの恩。ここまでやって、その上で消されようとしていたと?


 「勿論俺も、用済みになったお前を飼い続けるのはどうかと思っていたんでな。切り捨てるのも良いんじゃないか、とも思っていた訳だ」


 ヴィタリーが退屈そうに言葉を紡いでいく。こう言っては何だが、こいつは本当に俺を排除するのも吝かではないと思っていた訳か。


 そんな奴がついさっきまで、目の前で新聞を読みながら座っていたのかと思うと、中々に胆の冷える思いだ。


 「だが、アキムが提案したんだ。『本当にどんな仕事であろうと出来る覚悟があるかどうか、確かめてみよう。デイヴ程の実力者が、任務の為に躊躇無く誇りを捨てられるなら、これからも我等の武器になる筈だ』ってな」


 ………成る程。俺はあの庭園の件で完全に不穏分子として団に目を付けられていた。


 その後、切り捨てられる寸前で俺は自身の価値を示し、無事に失態を取り戻す機会を与えられた。


 そしてその機会を無事に活かし、俺はイステルを破滅させ失態を取り戻し、ギャングに恩まで売って帰ってきた訳だ。


 しかし、考えてみればそこまでだ。


 悪魔の如き黒魔術を使う俺を、そこで切り捨てれば損失を取り戻し、勢いのついた状態のまま、不穏分子を排除する事も出来る。


 とんでもなく無情に思えるが、合理性から言えば納得の行く結果ではある。


 獲物を仕留めてきた猟犬を撃ち殺し、仕留めた獲物を抱えて帰る。


 わざわざ曰く付きの猟犬を使わなくても、他にも従順な猟犬が幾らでも居る。


 ならば、使い捨てた所でそこまでの損失でもない。


 無論、使い捨てられる立場からすれば、たまった物では無いが。


 「だからこそ、この報告会で確かめる事にした。お前が本当に、革命の為に“全て”を捧げられるかどうかをな。偶然だかどうかは知らんが、一応は合格だ」


 ヴィタリーが相も変わらず不機嫌そうに言い、腕を組んだままアキムやクロヴィスの顔を見やる。


 「………成る程、先程の質問は逆の意味だったんだな」


 口から、そんな言葉が零れ出た。つい先程まで、知らぬままに生きるか死ぬかの分水嶺に居たのかと思うと未だに背筋が寒くなる。


 「“最後の最後まで誇りを捨てずに居られるか”という質問ではなく、実際には俺に“必要とあらば誇りを捨ててどこまでも堕ちる事が出来るか”という質問だった訳か」


 噛み締める様にそんな事を呟いていると、クロヴィスが気まずそうに言葉を返してくる。


 「“誇りを捨てられるか”なんて質問だと、『一応従っておくか』と口を合わせられるかも知れない、と思ってね。いやはや何とも、こう言っては何だが、よくぞ切り抜けたものだ」


 ………最後まで誇りを捨てないと答えれば死、そして口を合わせて「最後まで誇り高く戦う」なんて答えても死、か。


 これだけの空気の中で、まさかアキムの言う事に真っ向から逆らう事だけが生き残る方法とは、また随分な試練もあったものだ。


 「デイヴ、騙す様な真似をして悪かった。だが、今後も我等の剣として戦うならば、嘘や誤魔化しの無い心からの素質が必要だったんだ。耳に心地良い理屈をこねるだけの機嫌取りでは、我等直属のレイヴンには相応しくないのでな」


 先程の研ぎ澄ました槍の様な空気とは一転、目元は鋭いものの幾分柔らかい目線でアキムが笑う。


 つまりは幹部達直属の独立部隊として動くならば、道を外れてでも任務を遂行する覚悟、そして時には最高幹部にさえ言い返す胆力が必要という事だろうか。


 苦笑混じりの息が口から溢れる。自覚が無いだけで俺は今、地下牢の時と同じか、それ以上に危ない瞬間だった訳だ。


 「アキム、ではデイヴにも例の物を渡すんだろう?」


 俺が無事生き残った為か、上機嫌そうにクロヴィスがそんな言葉をアキムに投げ掛ける。


 例の物?


 アキムの方に目線を向けるも、当のアキムは厳格な顔つきを柔らかく綻ばせ、踵を返して棚の方へと向かってしまった。何かあるのだろうか?


 「なぁアキム、本当に渡すのか?こいつ、きっと欠片もこの名誉が分かんねぇぞ。渡しても無駄じゃねぇか?」


 抗議する様にヴィタリーがぼやくも、当のアキムは全く動じる事もなく棚を開き、何やら小さな箱を取り出した。


 ヴィタリーが直ぐ様此方に顔を向ける。


 「どうせ分からねぇだろうが、言っておくぞ。元帝国軍のお前には明らかに度を越えた名誉だ、忘れるなよ」


 そんなヴィタリーの言葉に、眉を潜める。何だ?俺に何を渡そうと言うんだ?あの箱は何だ?


 「デイヴ、おめでとう。これで君も、晴れて我々の真の同志だ!!」


 クロヴィスはと言えば、何かの式典かの様に祝福する様な笑顔のまま、此方へしきりに頷いている。


 アキムが箱を胸元に持ったまま、静かに此方に歩いてきた。丁寧な作りな上、丁寧な彫刻まで施された小さな木製の箱。木材の表面の滑らかさと輝きから見て、乾性油辺りの上塗り剤が添加されていると見て良いだろう。


 高級品だ。少なくとも、雑に扱える代物ではない事を、箱自体が物語っている。


 「デイヴィッド」


 アキムが箱を胸元に持ったまま、此方を真っ直ぐに見据える。先程の射抜く様な視線ではなく、讃える様な暖かい眼差しだ。


 「君には、これから我々の真の同志として我々の命じるまま、過酷な戦いに挑んでもらう。我々が真に認めた者にしか、その名誉と使命は背負えない。今はすぐに分からずとも、この意味と信頼を君がいずれ理解してくれる事を祈っている」


 丁寧に、聖書を読むかの様にアキムが言葉を繋げていく。


 まるで入信者を祝福する聖職者の様だな、と何処か他人事の様な想いが脳裏を掠めていった。


 「これはその証だ。黒羽の団に類い稀な功績を残した者だけに授ける、名誉の証だと思ってくれ」


 アキムがそんな言葉と共に、品のある動作で胸元にある箱を静かに開く。







「気に入ってくれると良いんだが」

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