第16話

 そう言えば、前に狩猟をやったのはいつだったか。








 黒羽の団に来て数日経った頃、団内から黒羽の団周辺の広大な原生林に足を踏み入れながら、そんな事を不意に考えた。


 もうじき最初の任務の説明が来るだろうから、結局は趣味の狩猟なんてもう暫く御預けには変わり無いだろうが。


 左手の革のガントレットに装着された“グレムリン”と呼ばれている自動クロスボウを、改めて見つめ直す。


 レイヴンには基本的な装備らしく、早く慣れる為にとクルーガーが結局、あの後自分に細かい説明と共にレイヴン装備一式を渡してくれた。


 レイヴンの防護服こそ着ていないが、自動クロスボウを備えた革のガントレットに革のグローブ、腰には支給された剣も下げて歩いていた。


 本来なら、日の浅い団員にレイヴン装備を完全に預ける事はまず無いそうなのだが、俺の場合は他のレイヴンより何倍も短い期間で装備に馴染み、任務に出る必要がある。その為の特別措置なのだろう。


 実際、装備に慣れ親しむのに越した事は無い。一応、鳥類が棲む森林部を歩く際の護身用、という名目もあった。


 しかし凄い装備だ、ボルトと呼ばれる金属製の矢を発射しても直ぐ様自動で弦が引かれ、ボルトをセットすればそれだけでもう次のボルトが発射出来る。ディロジウム銃砲にこそ劣るものの、強い張力から産み出される高い威力、矢さえあれば次々に発射出来る高い連射性、銃砲とは比べ物にならない静音性。


 どんな素材を使っているのか、これだけの性能を有しながらもその上軽い。クルーガーも天才と言われるだけはある。


 この島の原生林は黒羽の団では狩り場にもなっているらしく、時折、畜産以外の肉を求めて狩猟が行われるらしい。


 小さい獲物なら小型鳥類や空魚、大きな獲物なら中型鳥類や鹿と言った所だ。


 しかし、随分とこの原生林は密度が高い。木々も背が高い、これなら大きな獲物も確かに期待出来るだろうが…………狩猟と言うより、どちらかと言えば“狩るか狩られるか”といった事になりそうだ。


 そもそも、狩猟とは本来はそういうものだ。狩ろうとするなら、狩られる覚悟が無ければいけない。小鳥を撃っては得意気になっている様では話にならないのだ。


 何というか、そんな事を考えれば考える程、この原生林に深入りするのは止めておいた方が良い気がしてきた。今更な話だが。


 一応ディロジウム銃砲も持ってはいるが、自然を侮れば全ては自分に返ってくる。


 しかし、久々の森林浴にはどうにも抗いがたい魅力が満ち溢れていた。


 レガリスの工業区画ではまず経験出来ない、澄んだ空気。雑踏には無い、神秘的な落ち着き。ついつい歩みが奥に進んで行ってしまう。


 影一つ、陽射し一つが鮮やかに、爽やかに感じ取れる。


 帝国軍にいた頃は殆どの連中から理解して貰えなかったが、やはり自分は狩猟や自然、言ってしまえば人類が空を渡る前、古来からラグラス人が営んでいたと言われるライフスタイルが性に合っていると思うのは、初めてでは無かった。


 少し考えれば、同じく大陸に生まれているのだから、キセリア人も狩猟をしてない訳が無いのだが。何故かラグラス人ばかりが強調されるのは如何なものか。


 自分は元々、キセリア人の狩猟や生活方式よりも、ラグラス人のルーツとされる独自の風習や自然に敬意を払うライフスタイルに惹かれる節があり、浄化戦争が始まる前、戦争の最中、そして英雄呼ばわりされていた時も、ラグラス人の風習や生活に付いてひたすら学んでいた。


 結論から言えば、彼等は決して大抵のキセリア人が言う様な劣等民俗ではない。それどころか、知性でキセリア人に劣るなんて事は全くの事実無根だ。体躯も頑強で状況次第ではキセリア人より遥かに勇敢でタフネスに溢れている。


 邪神を崇拝しているなんて言うが、邪な所なんてせいぜい太古に生け贄の風習があったぐらいだ。第一、そんな風習も飛行船が出来る遥か昔に途絶えている。


 彼等の生肉を食べる風習も、邪神に捧げるだの邪神は火を嫌うだの言われているが、別に何という事は無い。一部の寒冷地等に住んでいた部族や集落が、新鮮な生肉から豊富な栄養を直接摂取しているに過ぎないのだ。


 此方が野菜に肉を巻いて食べるのと何ら変わりは無い。と言うより、栄養で言えば生肉の方が上なぐらいだ。


 英雄呼ばわりされていた頃も、蹴落とされた後も、時折レガリスからクラウドラインで浮遊大陸の森林へと何度か足を運んだ。


 レガリスの工業区では決して感じられない物を感じられ、とても癒されたものだ。何度か狩猟も行い、肉を分けた農場から感謝された事も覚えている。


 誰にも言わないが、ラグラス人の生活を真似て自分も狩猟の時、仕留めた獲物を少し生で食べた事があった。


 全くと言って良い程、味にも健康に問題は無かった。むしろ帰り道は上機嫌だったぐらいだ。


 その後、暫くして件の寒冷地に住んでいるラグラス人でも最近は以前程生肉を食べる風習は無い事を知り、何とも複雑な気分になった事を覚えている。


 そんな時、自然では聞こえる筈の無い、かつ聞き慣れた音が大気の微かな震えと共に耳に伝わってきた。


 ディロジウム銃砲の銃声だ。


 どうやら今この森で本当に狩りをしている団員がいるらしい、それも銃砲を使う程の狩猟だ。何とも言えないタイミングだが、少なくとも森林浴が台無しになった事だけは間違いない。


 折角の森林浴の機会が潰された事に小さく溜め息を吐き、木々を見上げた。


 小さな鳥達が、次々に木々の合間から覗く空を駆けていく。この森も最早静かな森とは呼べなくなってしまった。全く、森林浴どころかこれでは、興奮した鳥類等に気を付けなくては此方が“狩られ”かねない。


 苦い気分で頭を掻く。最近、此方が気を休めようとする度に邪魔が入っている様な気がする。……いや違う、心から気の休まる様な暇が無いんだ。


 名残惜しいがそろそろ、引き返すべきだろう。余り深くまで入り込んで、万が一迷ったなんて事になったら目も当てられない。


 そんな思いと共に踵を返そうとした瞬間、ふと視界の端で何かを眼が捉えた。


 静かに眼を凝らしながら“それ”に焦点を合わせていく。


 黒い“それ”は、巨木の隆起した根に布切れの如く、力なくもたれ掛かっている大きなカラスだった。


 レイヴンの象徴たるシマワタリガラスかと思ったが、それにしても明らかに身体が大きい。2.5フィート近くある身体から見ても、恐らくはヨミガラスだろう。


 希少な種だ。シマワタリガラスの近種とも原種とも言われているヨミガラスは、カラスの中では最大と言われていたシマワタリガラスより更に一回り大きく、筋力も強く、知能も上回ると言われている。一説には人間に匹敵するとも。


 だが、ここ数世紀で個体数は大きく減少し、かなり希少な種になっている筈だ。まさか野生でお目にかかれる日が来るとは思わなかった。


 どうやら死んではいないらしく、カラスは根にもたれ掛かったまま、此方を見詰めている。傷を負ったのかどこか痛めたのか、何やら此方を見る目線も諦めた様に弱々しい。


 そして、此方を見たまま何かを懇願する様な声でか細く鳴いた。もしくは、精一杯威嚇しているのかも知れないが。察するに、銃声で興奮した鳥類にでも襲われたのだろう。


 「ツイてなかったな」


 そんな声が口を突いて出る。森で銃砲なんてぶっ放した狩人達を恨んで貰う様、祈るしかない。

自然学者なら血眼になって保護しに行くかもしれないが、生憎と自分にその義務も意思も無い。どのみち、目の前の一羽を助けた所で、何が変わる訳でも無い。


 大きな羽音にカラスが不意に顔を上げ、此方も釣られて顔を上げた。どうやら、このカラスは本当にツイてないらしい。


 人より高い頭、鋭い嘴と鉤爪は充分に人間に重傷を負わせる事から、狩猟対象、そして人間からしても充分に危険な鳥としても知られている中型鳥類、オオニワトリが羽ばたく音と共にカラスの傍に舞い降りた。その姿は残酷に思える程、落ち着いていた。


 静かに身構えたが、どうやらニワトリは俺の事は殆ど興味が無いらしく、少し離れた場所の俺には一瞥を投げただけで、直ぐ様カラスに向き直る。


 オオニワトリは、実際には刺激しなければ人には攻撃しない事が多い。人間に襲いかかった記録も、半分以上は不用意に人間が刺激したからに他ならない。勿論、向こうから一方的に襲ってくる狂暴な奴も居るが。


 威嚇する様にカラスが大声で鳴くが、最早相手は身動ぎもしない。完全に、勝敗は決していた。

被食者と、捕食者。狩る者と狩られる者。


 動きに全く躊躇いが無いのも仕方無い事と言える。相手にとってカラスは既に“敵”では無い、やたら鳴く“肉”に過ぎないのだ。


 それでもカラスが鳴く。もうじき断末魔になるであろう鳴き声に、自分でも想像以上に冷めた気分で踵を返した。


 不運と言ってしまえばそれまでだ。大体、自然では何ら不思議な事でも悲劇的でも無い。カラスが喰われる運命で、このニワトリが食う運命だった。それだけだ。





 「タスケテ!!!!」





 思わず腰に下げていた剣を抜きながら振り返った。


 何が起こった、今のは誰だ。誰が、いつから、何処に居たんだ。


 混乱する頭を置いて、身体が対応するべく素早く構えを取る。


 先程と光景に変わりは見えない。カラスが喰われそうになっている。ただそれだ。何処にも誰も居ない。


 いや、違う。カラスが、襲われる直前のカラスが、真っ直ぐに此方を見ている。ただそれだけの事が、恐ろしいまでの違和感と共に眼を引いた。

一つの、有り得ない考えが脳裏を駆け抜ける。どうかしている、そんな訳無い。


 「タスケテ!!!!タスケテ!!!!」


 微かに落ち着き始めた理性は、直ぐ様焼き払われてしまった。想定を飛び出して、“有り得ない事”が目の前でとうとう起こってしまった。


 このカラス、喋った。俺に、今、確かに、自分の口で。


 「タスケテ!!!!クワレル!!!!クワレルカラタスケテ!!!!」


 オオニワトリが、それでも先程と変わる事無く冷静に獲物を貪ろうとしていた。ニワトリに取っては、鳴き声も人語も大差無いのだろう。当然の話だが。


 喋るカラスが、すがる様な視線で此方を見つめていた。


 手にはレイヴンの剣と、グレムリンがあった。

今までそうしてきた様に、考えるより先に身体が勝手に動いた。今まで通り、俺が考えるより先に、俺が考えるであろう行動に。


 素早く手をかざし、グローブ内部のワイヤー操作でグレムリンのクロスボウ機構が作動し、金属製のボルトが機械仕掛けの弦に弾き出され、かざした腕から空を切る鋭い音と共にオオニワトリの翼に、ボルトが深々と突き刺さった。


 怒号とも悲鳴ともつかないオオニワトリの声を聞きながら、爆発的な加速と共に身体が駆ける。山刀を引き伸ばした様な肉厚の剣を握り直し、充分な勢いが付いた剣を振りかぶった。


 オオニワトリが鋭い鳴き声と共に、血走った眼で此方に向き直る。今度は悲鳴とは似ても似つかない、激昂らしき叫び声と共に鋭い鉤爪を素早く突き出してきた。


 人の皮や肉など平気で裂いてしまう鋭い鉤爪を、突進しながらもサイドステップで上着を掠める様にすり抜ける。


 充分に勢いの付いた剣の重い切っ先が、オオニワトリの胸の辺りを縦に切り裂いた。


 オオニワトリの傷から血が溢れだすも、予想に反し手応えは余りにも軽かった。


 浅い。そんな確信と感触が直ぐ様手から身体に伝わってくる。恐らく、オオニワトリが咄嗟に一歩後ろに引いたのだろう。


 息を鋭く吐きながら縦に振り抜いたばかりの剣を、線をなぞり直すかの如く縦に切り上げる。


 二撃目として放たれていたオオニワトリの太く素早い足と鉤爪を、レイヴンの剣が真正面から縦に割った。


 文字どおり真っ二つに裂けた足から吹き出す鮮血にいとわず、切っ先の重心を利用し更に勢いを付けた剣を、オオニワトリの首目掛けて水平に薙ぐ。


 激昂に再び悲鳴が混じり始めていた咆哮は、喉ごと太い首を撥ね飛ばされた事によって遂に途絶えた。


 地を跳ねる首、そしてその断面から噴水の様に吹き上がる鮮血。その場に倒れこんだ後も、奇妙な痙攣を続けるオオニワトリの身体。


 全てを無視して、グレムリンにボルトを装填しつつ件のカラスに振り返った。


 ヨミガラスの眼が真っ直ぐに此方を見る。小さく溜め息を吐き、語りかける様に言葉を投げた。









 「冗談でした、なんてのは無しだぞ」

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