#03

 下校途中のことだった。

 すっかり稲が刈り取られた田んぼの真ん中を伸びる坂道を、いつものように一人で自転車で走っていた。


 ブゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーン


 バイクの音が背後で響く。加速して私を右側から抜いていくんだろうと思っていた。




一瞬、何が起こったのか分からなかった。




右胸を強く鷲掴みにされた。




自転車のハンドルを握る私の脇の下から腕が伸びて、バイクの男が胸を掴んだのだ。

思いも寄らない出来事。

バイクは私を追い越して、呆然とする私の方を振り返った。

フルフェイスのヘルメットを被っているから男の顔は見えない。


私は思わずブレーキをかけた。


――怖い!


 こういう時、咄嗟には声が出ないものなんだと思った。


――声、上げなきゃ……でも――


 頭の中が真っ白になったというわけではない。

 考える余裕は案外ある。


――ブスのくせに声なんか上げたら自意識過剰だと思われる!


 バイクの男と対峙する私は蛇に睨まれた蛙みたいに、自転車に跨ったまま身を硬くして立ち尽くすことしかできなかった。

 抵抗する様子のない私を見て男はバイクのエンジンをかけた。Uターンしてまた私のところに戻って来るつもりかもしれない。




――怖い!




「瀧本さん!」


 後ろから声が聞こえた。

 全速力で白い自転車を立ち漕ぎする宮原くんが私の横を通り過ぎていった。

 バイクの男は、Uターンすることなく、スピードを上げて前方へ走り去っていく。

 宮原くんはしばらく立ち漕ぎでバイクを追いかけて、追いつけないことが分かるとゆっくりとUターンして私のところに戻ってきた。


「瀧本さん、大丈夫?」


 私は物も言えず、宮原くんの顔を見つめて瞬きすることしかできなかった。


「バイクのナンバー、覚えたから、今から警察行く?」


 息を切らせて私に話しかける宮原くん声がした。こんな優しい声だったんだなと思った。

 泣いちゃいけないと思ったけれど、右目からぽろりと涙が零れるのを止めることはできなかった。




「あなたって本当にブスね」


幼い頃、母が言っていた。


「泣くのやめなさいよ。ブスがもっとブスになっちゃうわよ」




 ブスだから、宮原くんには泣き顔を見られたくなかった。

 私は彼が貸してくれたハンカチで顔を覆って声を殺して泣いた。

 宮原くんは黙って、そんな私の傍にいてくれた。

 どんな気持ちで彼が私に寄り添ってくれていたのかは分からない。

 その時の私は自分のことでイッパイイッパイで、一刻も早くこの場から消えてしまいたいと思ってたんだ。

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