雨の中でも、少年は運び続ける。そして、運ぶ者が増えた。



 その日、少年は夢を見た。


 夢の中で少年は、路地裏の中で目を見開き、尻餅をついていた。


 その奥には、化け物が顔を上げて少年を見ていた。


 全身が影のように黒く、女性のような体形に長く伸びた爪、髪は顔を覆い、上半身……細かく言えば、腰まで伸びている。その髪の隙間すきまから眼球の代わりに目の穴から青い触覚が生えているのが見えた。時々、それは引っ込み、瞬きが終わるとまた出てくる。


 少年は、口を開けた。


「……あ……あ……」


 出てくるのは、一文字の繰り返し。


 言葉どころか、叫び声にすらなっていなかった。






「――うあっ!?」


 少年は夢から覚めた。

 本の変異体の中の、図書館の床の上で。


「だ……だいじょうぶ……?」

 鏡の中の男の子が、声を上げて起き上がった少年を心配そうに見ていた。

「あ……ああ、ちょっと昔の夢を見ていただけだぜ」

 少年は着ていた毛布に手をかけようとして、膝の辺りに手を当てる。いや、毛布なんて着ていなかった。少年の隣に、ゴーグルとともに雑に畳まれている。

「……あんたの体の中、暖けえよな。毛布なんて必要なかったぜ」

 床をなでる少年の言葉に、男の子はハナをこすった。

「お外で寝るより……風邪ひかないでしょ?」

「ああ、昨日はここに泊まらせてもらって、ありがとな」




 毛布を片手に、少年は机の上の本を手に取った。

「この本を開いたら、また元の場所に戻るんだよな?」

「うん……パラパラとめくったらね」

 男の子に言われた通りに、少年は本のページをめくった。








Chapter3 変異体の巣






 昼になっても、雨は降り続いていた。




 橋から遠く離れた街のはずれに、廃虚となった工場。


 その門の入り口に、ヘルメットにポンチョを着た少年のバイクが入っていく。


「……結構でけえ工場だなあ」

 雨水の入ってこない入り口の屋根の下にバイクを止めた少年は、ヘルメットとポンチョを外すとゴーグルを装着し、リアバッグから本の変異体を取り出す。その本の変異体は新聞紙の上にさらにビニール袋に包まれていた。


 少年が扉に開けようとすると、扉はひとりでに開いた。


「うおっ! 自動ドア!?」

「……ソンナワケナイデスヨ。ココハ廃虚ナノデスカラ」

 扉の中には、びしょぬれの巨大な膝が見えていた。


 少年が足を踏み入れた先にあったのは、体育座りで4mほどの大きな人影。


 それよりも高い工場の天井にはまだ届かないものの、見上げる少年が口を開けるのには十分だ。


「アナタハ化ケ物運ビ屋デスネ。私ハココ、“変異体ノ巣”ノ万人デス」


 門番の肌は、濃い紫色。足元のかかとは耳のような形状をしており、上から降り注ぐ水滴が泳ぐ筋肉質な体に細い目、そして髪の毛の代わりに生えた無数のツノは、鬼ヶ島にいそうな鬼そのものだ。


「どうして俺のことを知っているんだ? あとおまえ、結構でっかいな!! 頭ぶつけたりとかしねえの?」

 その大きさにさえ、ゴーグルを付けている少年は臆することもなく話しかける。もっとも、ゴーグルがなければ夢と同じ結果になっていたのだろうが。

「ココノ変異体ノ巣ハ、他ノ化ケ物運ビ屋ガ依頼デ訪レマス。アナタモ、他ノ化ケ物運ビ屋カラ今回ノ依頼ヲ受ケタノデショウ?」

「確かに、同業者から代わりにやってくれないかってこの仕事を引き受けたんだけどよお……つまり、そいつから話を聞いているということだな?」

 少年の理解に、鬼の変異体は「ソノトオリ」とうなずき、次に一差し指を上に向けた。


 地面から7mほど――体育座りの鬼の変異体のツノからは3mほど――離れた天井には、穴が空いている。そこから雨水が入ってきているようだ。


「頭ハヨクブツケルンデスヨ」

「あ、その穴、おまえが開けたの?」

「ハイ。私ハ体ガ大キイセイデ、ココノ地下ニアル変異体ノ巣ニハ入レマセン。私ガデキルコトハ、狭イ入リ口ノ門番ダケデスヨ」

 笑みを浮かべて冗談を言っているように見えたが、その直後、鬼は深いため息をついた。

「……なんか、悩み事とかあんの?」

「――! イエ、ナンデモアリマセン……サア、地下ヘノ入リ口ハコチラニ……」

 ため息を打ち消すように鬼は奥の部屋に続く扉を指差した。


 少年は、本の変異体を片手に歩み始めた。


 そして、鬼の変異体の足の前で立ち止まった。


 肩に手を回すように、鬼の足に手を触れた。


「どうせだったら、教えてくれよ。どんな悩みかは知らねえと、俺ができるかどうかわからねえじゃねえか」

「……」

 鬼は照れたように空を向いた。

「……実ハ、門番ノ仕事ノ疲レカラナノカ、夢ヲ見テイルンデスヨ。カツテ済ンデイタ家ノコトヲ。コノ近クニアルノデスガ、一度デモマタ見テミタイ……ナンテイッタッテ、コンナ体デハ外ニデルコトスラ出来マセンケドネ」

 話を聞いた少年は少しだけ足元の水たまりを眺めていたが、すぐに手元の本の変異体に目を向ける。

「なあ、おまえならあいつを入れること、できるか?」

 本は、何も言わなかった。

「せっかく目的の場所に来たところで悪いけどよお、別に期限がある依頼でもねえし……あ、そっか。中に入らないとこいつの話、聞けないんだった」


 少年は床にハンカチを敷き、そこに本を載せるとビニール袋から取り出してページをめくり始めた。


 少年はすぐに消えた。


 鬼の変異体は、この光景に目を丸くするしかなかった。






Chapter4 森の中の一軒家






 雨上がりの昼頃、少年のバイクは山中を走っていた。


 うねる左右カーブ。少年は規定のスピードでそれを曲がっていく。


 その道中、少年は停車をしていた車を追い越した。


 それは、パトカーだった。


 パトカーから出てきたひとりの警官が、後輪のパンクに手を触れてつぶやく。


「あー、まいったな……変異体の目撃証言があった場所までもうすぐなのに、パンクなんて……」





 山中の一軒の家の前にバイクを止めて、ヘルメットを外した少年は目の前にたつ建物を見上げた。

「確か、この家だったはずだな……こっちもそこそこでっけえや」


 その家は2階建てで、豪邸とまでは言わないものの、外見だけを見ただけでもなかなかの広さがうかがえる。


「しかし……とりあえずここまで来たのはいいけどよお、どうやって鬼のオッサンに見せればいいんだ?」

 ゴーグルに付け替えて、バイクのリアバッグを開けた少年が本の変異体にたずねる。

 包んでいたビニールを外してあげると、本の変異体は昨晩と同じように足を生やして壁を乗りこえようとしていた。その意味を理解していた少年は本を手に取る。


 そして、これまた昨晩のように、本を開き、周りの景色が――


「うおっ!?」


 ――変わることはなく、代わりに白紙のページの上に巨大な鬼の変異体の顔が現れた。瞬きする暇もなく、一瞬で。


「急ニ驚カセテスミマセン」

 鬼の変異体の首は、やや仏頂面に近くも彼なりの申し訳ない顔をしていた。

「いや、確かに驚いたけどよお……やっぱり頭だけでも重いんだな、あんた」

 地面に落とされている本と鬼の首。その前で少年はT字のうつぶせをしていた。

「あともうちょっと、手を離すのが遅れていたら、つぶれていたところだったぜ……それにしても、体の部分だけを出すこともできるのか」

「今度カラハ合図ヲシテモラッテカラ現レルコトニシマスネ」


 鬼の首はくるりと向きを変えると、自分の家を眺めて息を吐く。


「アア……懐カシイ……チョット汚レテイルガ、アノトキノママダ」

「どうする? 中も見てみるか?」

「……ハイ」

 うなずくと同時に鬼の首は消え、本はひとりで閉じた。

 少年はそれを拾い上げると、玄関に向かって歩き始めた。






 ノブを開けた先には、広いリビングが直接つながっていた。

「中も思ったよりも広いな……」

 少年が本を片手にリビングに上がろうとした時……


 ごとっ


「……?」


 どこからか物音が聞こえた。

「……2階の方からか?」




 階段を上がった先には、長い廊下にいくつかの扉。


 そのうち、手前の扉がわずかに空いている。


 少年は、その扉に手をかける……




 開いた瞬間、目の前に小さいなにかが飛んできた。


 握ったガラスの破片を、少年の顔に向けて。




「うおっ!?」


 間一髪、少年はかわすことができた。

「イツッ……」

 小さいなにかが持っていたガラスの破片は廊下の壁に突き刺さり、破片の反対側が胸に深々と突き刺さる。


 身長30cmほどの小さいなにかは、キツネのような生き物。

 普通のキツネとは違うのは、深紅のように真っ赤な毛並みに、仮面のような無機質な白い顔があることだ。


 キツネは胸に突き刺さったガラスの破片を抜こうともがくが、なかなか抜けない。胸からあふれ出る、墨汁のように黒い液体が床に落ちていく。

「な、なあ、だいじょう――」

「ク、クルナ!! アタシハ、マダ殺サレタクナイ!!」

 少年が近づこうとすると、キツネは振り向いて必死に叫ぶ。

「ちょっと待ってくれよ、殺されたくない!? だれかに追われているのか!?」

「ダカラ来ナイデ――」


 ガチャッ


 下の階から、扉が開く音が聞こえてきた。


「……」「……」


 ふたりは階段の下を向いて固まった。




 誰かがふたり、上がってくる足音が聞こえてきた。

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