マルチタスクはもう嫌だ 1
私っ、佐藤愛28歳!
どこにでもいる普通の社会人だったんだけど、社長交代で無職になってたーいへん! でもファミレスで偶然再会した幼馴染にヘッドハントされて再就職!? 私これからどうなっちゃうの!?
えっ、28歳で少女漫画的な導入はきつい?
……うるさいな。ボリコレに突き出されたいのかな。
いっけなーい! 殺意殺意っ♪
とにかく再就職を果たした私は、彼の事務所に足を運んだのでした! もちろんコスプレ衣装で!
「本当にコスプレして来たんだね」
「流石に電車は私服だよ。さっきそこで着替えた!」
なら良かった。
ケンちゃんは無表情で言った。
「早速だけど契約書関連を片付けようか。適当に座って」
「魔法少女コスで契約とか天才か?」
ケンちゃんは苦笑して、机の引き出しを漁り始めた。
……苦笑、か。うんまあいつもの反応だね!
「他に従業員とかいないの?」
「あと二人いる。今はあちこち営業してくれてる」
「全部で三人か。ほんと始まったばっかなんだね」
「そうだね。本当に良いタイミングで君に会えた」
こちらを一瞥して微笑むケンちゃん。
ふと、先日の出来事を思い出す。
――君は最高のエンジニアだ!
――君が輝ける場所は、ボクが作る!
……わー!
わーわー!
なんなんだよもー!
恥ずかしいなー! もー!
「お待たせ。雇用契約書と、コンプラ関連。ハンコあるよね?」
じーっと見る。
記憶にあるのは泣き虫のチビ。
だけど、今の彼は――
「どうかした?」
「……生意気だ」
「ええっと?」
「なんでもない!」
ごまかして、書類を受け取る。
この感情はきっと吊り橋的なアレ。そうに違いない。
「変なこと書いてないだろうなー?」
「普通の書類だよ」
「どれどれ~?」
ーーーーーーーーーーーーー
婚姻届
夫になる人
氏名
住所
妻になる人
氏名
住所
ーーーーーーーーーーーーー
「えーっと?」
「どこか分からなかった? 普通の――」
流れ星。
私と『契約書』の間を閃光が駆け抜けた。
「張り付いてたみたいだね。こっちが本当の雇用契約書」
次は本物。
しかし直前の衝撃が大きくて、切り替えられない。
「……結婚するの?」
「いいや、悲しいことに全く出会いが無い。これは……役所の管理が杜撰で、重なっちゃったのかもね」
いやいや、そんなことないでしょ。
なーんて思いながらも、どこか安堵している自分がいる。
パチっと自分の頬を叩いた。
「びっくりした。どうしたの?」
「気にしないで、ただのルーティーンだから」
今日の私は、どこかおかしい。
だから切り替えるために頬を叩いた。幼馴染と二人だけれど、今は重要な契約をする時間なのだ。
自動化。プログラミング。私が生業としていたのは、どこにも正解が存在しないシステムを生み出す仕事。集中しなければ思わぬミスを生み、それは遅効性の毒となる。最悪、該当箇所をゼロから作り直すことになる。
だから私は、瞬時に集中する術を得た。
これは数多のデスマーチで身に付いた技能のひとつ。
各書類に目を通す。もちろん彼を疑っているわけではないけれど、社会人として、詳細まで一通りチェックする。
普通の契約書。
問題ないと客観的に判断した私は、必要事項を記入し押印した。
「ん、ありがとう」
彼は軽く内容をチェックして、書類を新品のクリアファイルに入れた。
「さて、本来なら契約内容や仕事について詳しい話をする予定だったんだけど……先に謝る。ごめん」
なんだろう。
疑問に思っていると、彼はバツが悪そうに言った。
「君が来る直前に連絡があって……実は、あと三十分くらいで記念すべき最初の顧客が来る」
「……はい?」
「本当に申し訳ない」
彼は頭を抱え深いため息を吐いた。
どうやら従業員に報告を怠った問題児が居るらしい。
「気にしない! 良いことだよ。逆に忙しい自慢しないと」
「……ありがとう。君は昔から前向きだね」
素直に感謝されて、少し照れる。
「私は何をすればいい?」
「一言で説明すると、ボクたちのビジネスはプログラマ塾だ」
「あー、最近はやりの」
「詳細は後で話すよ。愛ちゃん、いや佐藤さんは……」
彼の視線が私の服に向けられる。
私は意図を察して提案した。
「着替えようか?」
「それは契約違反だ。そのままでいいよ。基本的にボクが対応するから隣に……いや、少し離れた……隣で行こう」
めちゃくちゃ葛藤していた。
魔法少女コスで初めての顧客対応をするプログラマ塾など前代未聞だろう。常識的に考えて私は着替えるべきだと思う。しかし今は彼がボスである。私は判断に従うことにした。決して鎧を手放すのが嫌だったわけではない。断じて違う。
「基本的には何も言わなくて大丈夫だけど、もしかしたらボクには答えられない質問があるかもしれない。その場合だけ、君の力が借りたい」
「分かった」
彼は少し長く息を吐いて、
「重ね重ね本当に申し訳ない。緊張で胃がヤバい」
「了解。もしも先に来ちゃったら対応するね」
「それは……いや、お願いするよ」
彼は険しい表情で席を外した。
最初の顧客が現れたのは、それから五分ほど後のことだった。
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