第62話 身勝手な願いだとしても
/黎
夜になって。
わたしはそっと、その場を訪れていた。
隣の部屋。
この事務所を徐々に覆っていく、冷気の源。
その結界された空間は、すでに凍っていた。
中心に、氷漬けにされた妹の姿がある。
やはり、その身に剣を受けて。
その姿はこれまで幾度と無く見てきた。
何も変わってはいない。
しかし、変わったものもある。
それはわたしの心境――この子を見る、わたしの気持ちが、違う。
この憎悪の空間にいても、全くあてられない。
むなしさでいっぱいだから、だろうか。
「……どうして、どうしてわたしを殺さなかったの」
理由など分かっている。
それは、この子がユラだから。
それ以外の何ものでもない。
正直に、羨ましかった。
その変わらない純粋さに。
更に一歩、ユラに近づこうとしたところで。
「……ふうん?」
声が、した。
「――――?」
振り返る。
そこには見慣れない少女。
いや。
「お邪魔するわ」
そうとだけ言うと、少女は真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくる。
「――あなた」
わたしは知っている。
この少女のことを。
しかしその少女は何も応えることなく、ユラの目の前まで歩み、そして足を止めた。
「まったく……またこんな姿になって。手間が増えちゃったじゃない」
唇を尖らせて、そっと手を伸ばす。
ユラに突き刺さった、氷の剣に。
「な……」
わたしは目を疑った。
抜ける。
あっさりと、身体から。
「う、そ……?」
信じられなかった。
その剣を抜ける者など限られている。
わたしの知る限り、三人しかいないはずなのだ。
この少女のことは知っているが、しかしその三人の中には入っていない。
そんなわたしの心境などお構いなしに、少女は抜き放った剣をまじまじと見つめた。
その目前で、氷が砕け散り、一気に崩れていく……。
「
つぶやいて、剣を軽く振ってみせる。
「ねえ? そう思わない?」
言うなり、無造作に剣を投げつけた。
「――――!?」
完全に虚を突かれたわたしは、為す術なくそれを受けてしまう。
「か……あ……!?」
一撃を受けたわたしは、その衝撃で壁際まで吹っ飛んだ。
背をしたたかに打ち付け、喀血する。
「ほうら。あなただと、全然凍ったりしないものね?」
つまらなげにそう言うと、一歩進んでしゃがみ込み、倒れているユラへと手を伸ばした。
「起きなさい。こんなところで寝ていては、風邪をひいてしまうわ」
その言葉に。
「あ……え……?」
当たり前のように、ユラは目覚めた。
「なに……?」
「ぼんやりしないの。起きなさい、由羅」
「ん……あ。アルティージェ……?」
「そうよ」
微笑み頷いて、少女――アルティージェはそっと、ユラを助け起こす。
「まったくあなたときたら、優しすぎるわ。あんなのに情けをかけてしまうのだから」
「あんなのって…………な」
驚いた顔で、ユラがこちらを見た。
「ジュリィ……!? な、なんで」
剣を腹に受け、溢れる出血の中に倒れるわたしを見たユラは、慌てて駆け寄ろうとする。
――それを、
「駄目よ」
アルティージェは押しとどめた。
「どうして……!?」
「どうしてって。いい加減もう邪魔でしょう? わたしもあの女は嫌いだし、ちょうどいい機会だものね」
「で、でも……っ!!」
「由羅」
ふっと、アルティージェはユラの耳元で、何事かささやく。
「殺してしまいなさいな。どうせもう、放っておいても死ぬしね? だったらあなたの手でしてあげるのが、一番だと思うの」
妖艶に、そう告げる。
それは一見、ただの言葉。
けれど違う。
言霊だ。
一瞬にしてあてられたユラの顔から、表情が消える。
あっさりと、精神を支配されてしまう。
そして、ユラはこちらを見た。
「ほら」
促されるまま、歩を進める。
わたしを殺そうと、歩んでくる。
「…………」
別に、構わなかった。
死ぬことなど、別段怖くはない。
ただ一つ思い残すことがあるとすれば……。
苦笑する。
違う。
二つだった。
一つはエクセリア様のこと。
もう一つは、最後の最後までわたしに反対し続け、なのに協力してくれた、あのお人好しの真斗のこと。
彼は、わたしが死ぬことすら嫌がっていた。
ここで死ねば、どんな顔をするだろうか。
しかも、ユラに殺されるなんてことに。
その思わぬ未練に、おかしくなる。
自分は本当に、死を覚悟していたのだろうか、と。
ユラが、目前に迫る。
その手がわたしを掴み上げようと伸ばされたところで。
「――何をしている」
新たな声が、割り込んだ。
ユラが飛び退く――その空を、短剣が薙ぐ。
九曜さん……?
「あら」
現れた九曜さんに、アルティージェは小さく声を上げた。
そして笑う。
「誰かと思ったら……」
「お前は誰だ?」
わたしの前に立ち塞がり、警戒もあらわに九曜さんはアルティージェとユラを睨みつけた。
「誰? そう。記憶までは無いの。残念ね」
アルティージェはそうつぶやくと、左手を真横へと上げ、その瞬間光が溢れる。
「――――!?」
咒法の爆発――いや、違う。
これはユラと同じ力だ。
規模は極端に抑えてあるものの、もっと洗練された……。
その余波が収まると、部屋の壁に大きな穴が空いていた。
「あなたとはまたじっくりお話したいけれど、このままゆっくりしているとみんな集まってきそうだものね。せっかくエクセリアのいない時を見計らって来たのだし。だから今夜は由羅をもらうだけにしてあげる」
「なにを……?」
「じゃあね。おいで、由羅」
こくりと頷いて、ユラはアルティージェの後へと続く。
「この……!」
思わず追おうとした九曜さんだったが、踏みとどまった。
――わたしがいたからだ。
「黎――」
「いい、から」
この時わたしは、ほとんど意識を失いかけていた。
だから、冷静に判断できなかった。
「わたしは、いいから……。あの子を、追って。お願い……」
「――だけど」
「お願い……。あの子を、返して……」
その時のわたしは、どこまでも身勝手な願いをしてしまったのだ。
「――わかった」
九曜さんは頷いてくれて。
それを見て、わたしは意識を手放す。
その後のことはもう、分からなかった。
/真斗
夜になり、俺は自分のマンションを出た。
今夜。
茜の知り合いが、由羅をみてくれるというのだ。
わざわざ茜が教えてくれたのだし、俺が同席させてもらっても問題はないだろう。
そう思い、事務所の方へと向かう。
そこへ。
「真斗」
不意に、誰かが俺を呼び止めた。
「――お前か」
俺の視線の先には、小さな人影が生まれ出している。
空間から現れたそいつは、エクセリアに間違い無い。
この脈絡の無い現れ方にはいい加減驚かなくなったが、それにしたって夜にいきなりやられると、さすがに少しは怖い。
文句の一つでも言ってやろうと思ったが、口から出たのは別の言葉だった。
「お前、大丈夫なのか」
エクセリアは頷く。
「今は安定している」
「そりゃ良かったけど。でもあの時どーしてぶっ倒れたんだ?」
伏せ目がちになるエクセリア。そのまま、小さく口を動かした。
「我々は、精神が弱い……。一時の感情、混乱で、容易く思考が停止することもある。発狂しないための、一種のブレーカーのようなものだ」
発狂って。
「あの時お前、そんなに……?」
思い詰めていたのだろうか。
「大したことではなかったのかもしれない。しかし私の精神は小さく、幼い。ゆえに遮断値も低いのだろう。……そなたには迷惑をかけた」
「……謝ってもらっても困るけどさ」
俺は少々戸惑いながら、頭を掻いた。
「……それで? それだけを言いに?」
「いや」
ゆっくりと、エクセリアはかぶりを振る。
「そなたに、願いがある」
願い?
「ユラスティーグ……由羅のことだ」
「……あいつがどうしたっていうんだ?」
「あの者に刺さったアルレシアル――あの剣を、私に引き抜かせて欲しい」
「――な」
「そなた……九曜茜が、死神に協力を求めたことは知っている。あの者ならば、容易であろう。だが……できることならば、私にさせて欲しい」
「お前……?」
真っ白になりかけていた思考を、俺は何とか元に戻そうと努めた。
剣を引き抜く。
つまり由羅の封印を解くことのできる奴がいる。
その一人が、エクセリアだと。
「できるのか……!?」
「あれは、私の妹の為したもの。同等の存在である私ならば、引き抜くことも可能だ。何より私が一度抜いているからこそ、ああしてあの者は存在していた」
……言われてみれば、そうだ。
「けどどうしてお前が? だってお前は……」
エクセリアの目的は、自身から一度聞いている。
由羅はもちろん黎までも、その存在を認めたくないということを。
そのために、二人とも処分するつもりだったはず。
「今更のように気がついた、私の我侭だ。……私はもう、誰も失いたくない……」
そう告げるエクセリアの顔は、まるで昨日見せた時のような表情だった。
今にも泣き出しそうな……。
「感謝、すべきなんだろうかな」
正直に、嬉しく思った。
たぶん、今回のごたごたした中では――一番に。
「あの二人のことも、私から話してみようと思う。そなたの望みは、私の望みと同一であるから」
「なんか、昨日とは正反対のことを言ってるな」
「そうだな。すまぬ」
「謝ることでもないだろ。別に、嘘ついてたわけでもないんだしさ」
エクセリアが悩んでいたのは、昨日の姿を見れば分かる。
あの後、新しい答えが出たというだけのことだろう。
「けどさ。またわざわざどうして俺なんかに言いにきたんだよ?」
ふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「……恐らくこの後も、私は悩み続ける」
真っ直ぐにこちらを見て、エクセリアは言う。
「さまざまなことを。そうなった時に、助けになるものが欲しい」
「それが俺ってか。けどどうして俺なんだ? 黎や由羅とか、妹だっているんだろ?」
「いる。しかし答えはくれぬだろう。誰もが皆、私には優しすぎるから」
「なんだ。俺は優しくないってか?」
エクセリアはこくりと頷き、そして首を横に振った。
何なんだよ、それは。
「そなたやアルティージェのような存在がいると、私に疑問を覚えさせる。それは、家族では為せぬことなのだと思う」
「……なるほどな」
あまりに近しいものでは駄目ってことか。
まあそういうこともあるかもしれない。
「だからそなたには、存在としてあり続けて欲しい。それが、そなたが私に尋ねたことへの答えでいいだろうか」
尋ねたことへのって……。
言われて、思い出す。
黎に託しておいたやつだ。
この後俺を、どうする気なのかっていう。
「つまり……まだ生きていられるってことだな」
そうか。
肩の力が抜けるのを感じる。
俺は俺で、思っていた以上にこのことに対して緊張していたということか。
あまり考えないようにしていたけど、やはりずっと気になっていたのだ。
「……ほっとした」
「そなたには迷惑をかけた」
「まったくだ」
まだ色々と解決したわけではないが、少し先が明るくなってきたような気がする。
俺一人じゃ駄目かもしれないが、エクセリアの協力があれば、あの二人のこともあるいは――と思わせてくれる。
と、ふと思い出す。
「そういやさ。お前らって本当に家族なんだなって、朝見てて思ったよ」
「……朝?」
「ああ。お前、黎に子守唄を歌ってもらって、寝てただろ? あの様子がさ。お前はずいぶん無防備になってるし、黎は黎でえらく優しい顔になってたし。それに何ていうか、自然な感じがしたからさ」
「自然、か」
しみじみと、エクセリアはその言葉を噛み締める。
「確かに、心地の良いものだと思う。とても懐かしいものを感じた。私はきっと、得られるかもしれぬものを、得ようとしなかったのだろう……」
エクセリアがそうつぶやいた――その時だった。
ズンッ、と鈍い振動が響く。
「何だ……?」
その振動に、俺は反射的に周囲を見渡した。
近い。
この振動の源は。
「――――」
エクセリアが、振り返る。
その視線の先は――
「まさか!?」
和んだ空気が一気に払拭された。
嫌な予感が全身を伝う。
俺はわき目もふらず、ただ事務所へと向かって駆けた。
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