第29話 異端裁定者


     /由羅


 深夜。

 私は久しぶりに外に出た。


 今日真斗と会って、それだけなのに楽しくて。

 ――ううん、安心できて。


 だいぶん気持ちがすっきりしたから、最近見ることができていなかった夜空でも眺めようと、外へと出ることにしたのだ。


 人気が無く、明かりも無い場所へと、民家の屋根を飛び越えながら私は風を切って進んでいく。

 ずいぶん寒くなった風だけど、今夜は心地良かった。


 今夜外に出たのは、別に今までやっていたようなことをするためなんかじゃない。真斗と会ってからそういう欲求はなぜか消えてしまったし、やらない方が彼と一緒にいるためにはいいって分かっているから、もう多分することはないだろう。


 散歩。

 今はそれだけのために、外にいる。


 いい場所を見つけて、私は立ち止まる。

 比較的高い建物の、屋上。

 人気も無く、静かで、夜空を見上げるには最適の場所だった。


 探せばもっといい場所があるのかもしれないけど、とりあえず今はここで満足。

 私はただぼうっと、夜空を見上げ続ける。


 どれくらいその場にいただろうか。

 私は気配を感じて、振り返った。


 いつのまにか私のずっと後ろ――屋上の隅にいたのは、一人の少女。

 知らない顔。


 長い鉄の塊のような物を片手に、こちらを見据えている。

 あまり、友好的とはいえない雰囲気のような気がした。


「……誰?」


 私は首を傾げて、そう聞いた。


     /茜


 事務所に向かう途中だった。

 偶然といえば偶然。


 ほとんどの者が寝静まった時間帯ということもあって、すでに静寂がかなりを支配している。

 けれど、だからこそ分かり易い。

 そんな動かない闇の中を、動くものというのは。


「…………」


 私は目を細める。

 何かが、ずっと遠くで動いた。


 私はそれを、人だと瞬時に判断する。

 軽々と、普通の人間には無い跳躍力でもって、屋根の上を跳んでいく何者か。


 明らかに不審な行動であり、ただの人ではありえない存在。

 私はそっと、その後を追うことにした。


 相手はとあるビルの屋上に留まったまま、ずっと空を見上げて動かなくなった。

 私は気配を殺してその屋上まで近づき、その後ろ姿を見続ける。


 相手は、女。

 長くて淡い髪が、闇の中ですら存在感を主張している。

 風に時折なびき、後姿ですら美しいと感じた。


 けれど、この相手は。

 私は知っている。

 私がずっと追ってきている異端種のことを。


 自分の目で見たことはない。

 だがその外見を見知っている者はいるのだ。


 私の追っている異端種は野に元々潜んでいた者ではなく、アトラ・ハシースによって第一級の封印を受けていた者だから。


 それが一年以上前に封印が解かれ、その中にいた者は逃走した……。

 その後を追った者は、今のところ誰一人として戻ってきてはいない。


 私は今夜のために持ってきていた武器を、知らず力強く握り締めてしまう。

 私の身長ほどもある、黒い鉄の塊。

 真斗が使っている拳銃とは比べ物にならない大きさと、威力を持つ銃身。


 私のそんな僅かな気配に気づいたのか、ようやくその少女はこちらを振り返る。


「……誰?」


 ほんの少し表情に警戒を滲ませて、怪訝そうにそれは口を開いた。


「私こそ聞きたい」


 自分でも声が硬いなと思いながらも、私はそれに答える。


「……何を?」

「お前のことだ。我々アトラ・ハシースが追っている異端――ユラスティーグ・レディストア。違うか?」


 その私の言葉に。

 間違い無く、少女の顔が変わった。


「ユラスティーグ……それが、私の名前なの……?」

「誤魔化すな。ここ最近この町で起こった殺人事件――そしてこの国に来る前にも、同様の事件を起こしているはずだ。お前からは、血の臭いがする」

「アトラ・ハシース……ここまで追ってきたの」


 低くなる、声。

 間違い無い。


 これが……私がずっと追ってきた相手。

 その容姿は、断片的にとはいえ私が報告を受けている通りであるし、何よりただの人間に――こんな、言いようの無いプレッシャーを感じたりはしない。


「そう。そういえば……あなたからも同じような印象を受ける。今まで私を追ってきた連中と、同じ」

「お前が殺したのか」

「だって、私のことをしつこく追いかけるんだもの。殺そうとするんだもの。私だってわけも分からず死にたくない。最初は逃げることしかできなかったけれど、私は強いって教えてくれた人がいたから」


 教えてくれた人……?

 つまり協力者がいるということだろうか。


「あなただって、殺すよ? なるべくそんなことをしたくないんだけど……でも、今の生活を邪魔されるのだけは、許さない。絶対に」


 じわり、と滲み出てくる殺気。

 ――強い。


 ただ向かい合っているだけで分かる、相手の強さ。

 本当にこいつは、ただの異端種なんかじゃない。


 でも退くわけにはいかない。

 私はアトラ・ハシースの異端裁定者いたんさいていしゃ

 この女の抹殺が、その使命なのだから。


「――お前を追跡中の異端であると、認めた。よって、裁定権限によって強制排除する」


 一方的にそう告げて。

 私は、手にしている黒銃――死裁の銃身ゼオラルーンを、その異端へと向けた。


     /真斗


「早いな」


 深夜になり、俺は二人との待ち合わせ場所である事務所へと来ていた。

 来てみると、最遠寺はもう来ていて俺を待っていたというわけだ。


「ここでの仕事は初めてだというのに、わたしが遅れるわけにはいかないわ」

「十分間に合ってるって」


 俺は時計を見て言う。

 時間は二時半。

 実際の待ち合わせの時刻は三時だ。


 茜はまだ来ていない。

 と、最遠寺が口を開いた。


「……一つ、聞いていいかしら」

「ん? なんだ?」

「どうして桐生くんは、あれと仲良くしていられるんだろう……そう、思っていたわ」

「……何なんだ? いきなり」


 あれ、というのは恐らく……由羅のことだろう。


「別に……。ただ、のに、これじゃあまるで意味がないと思って、ね」


 わけの分からないことを言うと、最遠寺はそっと腕を伸ばし――指を俺の胸へと突きつけてくる。


「痛まなかったかしら。ここ」


 指されているのは、心臓のある場所。


「一昨日のこと、思い出してみて。朝目が覚めて、何か変だとは思わなかった?」


 一昨日……?


 そういえば目覚めた瞬間、胸が妙な激痛に襲われた。

 その後もずっと、身体の調子がおかしくて……。


「確かに何か体調がおかしかったけど……次の日になったら治ったからな。あんまり気にしてなかったけど……」

「ではその前の日のことは?」

「前の日って」


 その前の日といえば、今回の仕事を所長から受けた日のことだ。

 今みたいに初めて夜の見回りに出て……。


「特に何もなかったと思うけど……いったい何なんだ?」


 少々おかしな最遠寺の様子に、さすがに俺も不信感をあらわにした。

 そんな俺に、最遠寺は、


「あなたはその日のことを忘れているわ。理由はわからないでもないけど、忘れることができたかからこそ、あんな女と仲良くしていられる。――早く、思い出して」


 ただそうとだけ、言った。

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