顕微鏡

 僕は顕微鏡が好きだ。

 様々なものの、細かい部分を観察することが好きだ。

いまだ知られていない秘密を、僕だけがのぞき見するような、そんな感覚になる。

倍率を調節し、プレパラートの上に乗った組織を覗く。

異常はないか。変化はないか。どんな特徴があるか。逐一メモを取りながら観察していく。

「せんぱーい。お昼行かないっすかー?」

 この研究所に入ったばかりの後輩だ。

 いつも一人で作業をしていたのだが、この春から新人として研究を手伝ってくれている。

「せんぱーい。聞いてますー?」

 ただ、毎日『飯を食べろ』だの『健康に気を遣え』だのやかましいことこの上ない。

「んー。あー」

「あー、じゃわかんないですよ。行くんですか行かないんですか?」

 今、面白いところなんだから邪魔するなよ! まったくもう!

 僕は顔を上げると後輩に視線をやり。

「あ、えーっと。い、行かない」

 と答えた。今日はしっかり答えられたぞ。

「えー。近くにおいしいカフェが出来たんですよー。先輩におごってもらおうと思ったのに」

「ぼ、僕は金づるか!」

 冗談じゃない。最新式の電子顕微鏡を買うために貯金してるんだぞ!

「……いつも私のおっぱい見てるバツってことで一つ」

「み、見てないし。見えないし!」

 白衣着てるじゃないか。おっぱいなんて見えないぞ!

「じゃあ、おしり見てるってことで一つ。ねーねー行きましょうよー!」

「ひ、一人で行ってくるといいよ。お、お金は置いておくから」

「むー。そうじゃないんですよ! 一緒にいきましょうって言ってるんですよ!」

「お、ぼ、僕に陽キャが集まる場所に行けっていうのか!? 死刑宣告だぞ!」

 絶対変な目で見られるし、出てけとか言われたらどうするんだ!

「……人目を気にするなら服くらい買いましょうよ。それいつの服ですか?」

「中学の、ジャージ」

「……結構おしゃれなジャージですね」

 改造してあるとは言わない。

「まぁともかく、行きますよ!」

 後輩が僕の袖を引っ張って研究室から引きずりだしていく。

 こんなやり取りも毎日となればなれたもので。

「わ、わかったから。白衣は脱いでいくから」

 そう言って立ち上がる。まったく、強引なんだから。

「あ、私も脱がなきゃ」

 後輩も白衣を脱いで上着を手に取る。机の上に置いたままにしておけば、誰かが来ても『外出中』とわかるから、意外と便利だ。

「……えっち」

「は?」

「あー。せめて反応くらいはしてほしかったなぁ」

「なんのこと?」

「何でもないです。あ、そうだ。ランチは1000円で収まりますけど、ケーキは別料金なんですよ。いいですか?」

「……お、おごらないってば」

「さっきお金を置いておくって言ったじゃないですか」

「それは君が一人で、い、行ってきたときの話だよ」

「じゃあ二人で行くときは?」

「……わかったよ。出すよ」

「やたっ」

 ここで後輩の機嫌を取っておくのも、まぁ悪くないとしよう。

 後輩が手伝ってくれるおかげで研究がはかどるというのも、まぁ、あるから。

「あ、先輩。お誕生日おめでとうございます」

「……そういえばそんな時期だっけか」

「クリスマス、誕生日なんですねぇ。地獄ですねえ」

 言うな。

「まぁ、今年はプレゼント多めにもらえるからいいじゃないですか」

「やめんか」

「フフっ。ジジくさ」

 まったく。僕をからかって何が楽しいんだか。

「あ、雪ですよ。先輩」

 研究室を出て空を見上げると、雪がちらついている。結晶、きれいなんだよなぁ。

 きれいな結晶を見るには結構準備が必要なんだよなぁ。

 面倒だったなぁ。

「よかったですね。ホワイトクリスマス」

「よ、良くはないから」

「でもプレゼントありますよ。誕生日のケーキ」

「……まさか僕が出すのか、それ」

「はい」

「まったく、何を考えているんだ、本当に」

「先輩に、祝ってもらえる幸せをあげようと思いまして」

「自腹でか」

「フフっ。さーみしー」

 後輩のくせに生意気だぞ……。

「さて、お店につく前に練習しませんと。はっぴばーすでーつーゆー」

「音程、ず、ずれてるぞ」

「えーそうですかー?」

「あと、往来ではやめてくれ」

 恥ずかしいから。

「そっかー。それじゃあ、来年からはおうちでしますかねー」

「ん? どういうことだ?」

「なんでも。さぁ、早くいかないとケーキなくなちゃいますよ!」

 小走りで駆けだした後輩を追いかけて、少しだけ早足になる。

 まぁ、こういうのも悪くはない。

 でも顕微鏡を覗いている時間は、やっぱり好きだ。

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