第4話 七年

 次に僕とN氏が訪ねたのは彼女の所属していたモデル事務所。高校を卒業し、奇しくも僕と同様に上京した彼女は、都内のある劇団所属時代にモデルの仕事もしていたのだ。その中の立花俊哉氏は僕の大学の先輩。同じ芸術学部にいた。かぶっていたのは一年だったが、顔見知り程度には知っている仲だったらしい。僕がニューヨークにいる事を彼女に教えた戦犯だった。



「あの時は悪かったな。ひどい目にあったって聞いたよ。珍しい地名が彼女の口から出て、思わず大学時代の後輩に同じ地方の出の男がいるって言ったら名前を聞いてきたんだ。まさか知り合いなんて思いも寄らなくてさ。そしたら、その人ならよく知ってるって喜んでいたよ、彼女」


「今さら、いいですよ。同じ立場なら、自分だってそうしたかもしれません」

 僕は彼女が『その人ならよく知ってる』と言った事実、そして喜んでいる様子だったという思いもかけない事実に少し舞い上がっていた。

「ところで僕は当時、どんな大学生でしたか? 先輩から見て」


「どんなってソツなくこなすタイプ?……かな。入学当初は演劇科だったんだよ。でもあーゆうとこって高校の演劇部である程度仕上がってる奴らばかりだからね。それとか脚本をじゃんじゃん書ける奴とか。それで自分のいるべき場所じゃないと早々に判断して、二年目から美術科の方に転向したんだっけ。あの大学は途中で科を変えられるからね。

 絵はまあまあだったけど、絵を見る目にセンスがあったよ。だから画廊のオーナーとか、ホント合ってたよ」


「彼女はモデルとして、モノになったんですか?」とN氏が尋ねた。それは本来の仕事で、というより純粋に好奇心からいた質問と僕はみた。


「まぁ本当にモノになる女なら、今頃何かしら活躍はしてるでしょう。私生活で多少何かあったとしても。少なくとも業界が手放したりはしないはずだからね」と立花氏はやや冷淡に言った。


「そうですか。じゃ、モデルとして駄目だったんですね。そうですよね、綺麗なコは多いですしね」N氏の言葉には、当然そうだろうというニュアンスと多少がっかりしたニュアンスの両方が聞き取れた。



「全く駄目ってわじゃなかった。意外といい線いってるっちゃーいってた」

 そう言って立花氏はあるファイルを持って来た。

 

「これが彼女のした仕事ですよ。ここでの芸名は、Anneでした」


 そこには背が高く、痩せて脚の長い女性が笑顔を見せている様々なファッション誌のページの切り抜きがあった。ちょっと知的でスッキリした感じの、もの柔らかな笑顔の女性。くっきりとしたエクボがトレードマークだ。この美しい姿でも、モデルとしては芽が出なかったというのだろうか。



「これなんかが一番大きい仕事のオファーだったかもしれませんね」


 そのグラビア、いやポスターに僕の目は釘付けになった。僕の持っている、子ども時代の彼女の素朴な写真に背景等、とても近かったからだ。

 秋の紅葉した林の前で、空を見上げながらクルリと舞う一瞬の彼女。辺りにヒラヒラと黄色や朱色の葉が舞っている。

「米国ヒットチャートに上がるような人気女性歌手の日本での広告に使われる事が決まりかけたんですよ」


「へぇー」と僕とN氏は同時に声を上げた。


「話が二転三転した仕事でね。最初は子どものモデルの予定だった。でも色々な事情からもっと上の年代のモデルで、となった。

 僕としては彼女のこの一枚が一番完成度が高いと思ってたんだけどね。女優だけあって、絵になる瞬間が分かってる。ところが寸前で売出し中のモデルに負けたんだよ。あれ以来、彼女、一気にヤル気無くしてたな。それまではプロ意識が変に高くて、あれこれうるさかったんだけどね。と言っても所詮、モデル業は彼女の中で、女優業の一部だったに過ぎないね。いつでもホームは女優で、モデルはアウェー。そこが業界の人間の鼻についたってトコはある」



 僕はポスターの下のロゴを見て、何か思い出しそうになった。"Seven Years"――「七年」――その言葉を彼女の口から聞いた日があった気がする。


『七年も……なのね』


 何がだろう? そう言えば故郷で僕達が知り合っていた年月は七年間だった。


 

 モデルとしては急に大人しく気力の感じられなくなった彼女。その彼女が急にエネルギッシュになった事があると言う。


「それはね、君もご存知の通り」と立花氏は僕の方を見て言った。「お腹の中に赤ちゃんが出来たって時でさ。お腹の中に赤ちゃんいるんで、しばらくモデルは休みますって。いつになく顔が晴れ晴れとしていた。まるで『今度の舞台で主役の座を射止めました』って位」

 

 立花氏はまるで自分の作品ででもあるかのように、Anneの先程のポスターを目を細めて見ていた。

「相手の男はカメラマンの卵。彼女の妊娠を知ると仕事があると言ってニューヨークへ逃げちゃったけどね」


 どうやらその頃、僕がニューヨークで生活しているという情報とその住所をこの立花氏が彼女に漏らしたらしい。


 彼女はエネルギッシュになった反面、もう自分の基盤が無いと寂しそうにつぶやきもしたと言う。


「もう親には連絡出来ないわ」


 つまりコミュニティからの孤立。カトリック教徒なので婚前交渉なんて許されないらしい。



「休みますって事は、また復帰する可能性がゼロではないって事ですね。アラフォーのモデルの需要もありますよね」とN氏。「その時は、知らせてもらえるんですか。こちらは窃盗の被害者でもあるんですよ」


「こっちが教えちゃった事の責任あるからね、連絡はするよ。あのコがそんな悪質な事、するとは考えられないから借りた位の気でいたんじゃない? 復帰するかなぁ」立花氏はモデルとしてのAnneに未来を感じていたのだと思う。

「演劇やってる同窓生にも声かけてみるよ。そっちをやめられない可能性の方が高いだろ?」



 彼は、「ちなみに結城とは、どういう関係だったの?」と彼女に尋ねた事があるらしい。そうすると、「私が女優で、彼は観客」と意味深な言い方をしたらしい。

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