朧守 弐 <鬼哭ノ鏡 > 改訂版

夜白祭里

第一幕 夜桜舞う里

 黄昏が迫る時刻――。

 傾いた陽気が土手に並んだ桜に揺れ、近くの公園から子供達が遊ぶ声が聞こえてくる。浅瀬橋の上を数台の車が行き交う、長閑な春の夕暮れ時だった。

 微かな澄んだ気配が広がった。

 橋の上を行く車が、土手を散歩する初老の夫婦が、子供の声が――、消えた。正確には遮断された。

 外界から隔離された結界の中は邪気の気配すらなく穏やかな春の光が変わらず揺れる。変わらず流れ続ける川にかけられた橋の上に、長いコートを纏う人影が姿を現した。

「……やはり、ここで途絶えている……」

 静かに呟き、男は車がなくなった橋の上に歩を進めた。

 数日前に邪物と鎮守役の戦いが繰り広げられた橋の上は二車線の幅広い道路と歩道が伸びているばかり。

 砕け散った邪物の破片は残らず回収され、結界の中だけでなく現の橋の付近一帯までもを念入りに浄化され、そこにはあの夜の戦いを示すものは何一つ残っていない。

 目的もなく散策するように歩いていた男は一点で足を止め、掌を開いた。

“応えよ……、我が傀儡よ……”

 右掌に生じた光に呼応するように橋のあちこちで赤い光が瞬いた。

 砂粒よりも小さな赤い粒は一斉に浮かび上がり、掌の上の光に吸収されてゆく。

 どれだけ細かく砕け散ろうとも、男にとっては大して意味をなさなかった。

 全ての粒が回収されて光が赤く染まると、赤い瑪瑙の塊がコロンと手の平に転がった。それは鏡面と呼ばれた邪物に埋め込まれていた瑪瑙と同じ形をしていた。

 切れ長の瞳が瑪瑙を眺めた。

 その表情は笑うことを忘れてしまったように硬く、瞳はどこまでも昏く冷たい。

「……お前を討ったのは誰だ……?」

 薄い唇が問うた。

「本体を易々と破壊するほどの破邪……、鎮守役ごときが宿しているはずがない。霊山だろうと、これほどの破邪を宿す者はそうはいまい……。鞍馬の貴人殿が目覚められたか?あるいは、かの魔天狗殿が動いたか……。それとも……」

 声に僅かな期待が籠った。

「あの男が目覚めたか……?」

 ちりちりと瑪瑙の中で光が燃えた。

 瑪瑙の内に溜め込まれていた霊気が、この場に来た隠人の姿を伝える。

「そうか……。ついに目覚めたか……」

 無表情な顔に笑みが広がった。

 橋の上に笑い声が響く。

 狂ったように男は笑っていた。

「待ちわびたぞ……!」

 笑みを噛み殺し、男は夕闇が閉ざし行く静かな町を振り返った。

「ようやく会えるのだな、双牙……!」

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