だから魔女は涙を流さない

彩瀬あいり

01 人見知りの魔女は森を離れる

 昼を過ぎたころから上空に広がった灰色の雲は、やがて嵐のような雨をもたらした。

 エイラが住むフォグの森深くでも、それは例外ではない。

 ごうっと窓に吹きつけた強風はちいさな家をも揺るがせて、室内の空気が震える。短くなったロウソクの火が揺れるのを眺めながら、エイラは溜息を落とした。

 ――どうしよう、予備のロウソクあったかな……。

 雑多なものを置いた倉庫は外にあり、行って戻ってくるまでに、全身濡れねずみになることだろう。

 火の入っていない暖炉に転がっているまきは、この湿気では使いものになりそうにないため、身体を濡らす気にもなれない。

 いいや、寝てしまおう。

 そう思ったとき、風とは異なる揺れ方をした扉の外から、男の声が聞こえたのだ。

「魔女どの、いらっしゃるのだろう」

 切迫したような声色よりは、叩きつけるようなノックのほうに恐怖して、エイラはおずおずと声をかける。

「……どちらさまですか」

「開けてくれ」

「ですが――」

「――御免」

「ふえ?」

 低く響いた短い声とともに、木製の扉は外側に開いた。無残にも弾け飛んだ蝶番が、カツンと音を立てて床に落ちる。

 そこには、殺気だったようすの長身の男が、エイラを見下ろすように立っていた。

 雨除けの外套が強風にはためき、雨の雫が跳ね上がる。男の背後では、雷の閃光が輝く。

「同行してもらおう」

 有無をいわさぬ威圧的な声にやや遅れるように、空が轟いた。



    ◇



 オルニスでは老齢の王が退き、代替わりを迎えてはや数年。

 現国王には、二十歳を迎えたアラン殿下のほかに、年の離れた若い王女殿下が二人。前国王を含めた一族が描かれた絵姿は、エイラが住む辺境地にも出回るほどであり、王家は民に愛されているといっていいだろう。

 国内も安定し、周辺国の要人を招いて、親睦と会談がおこなわれたという話は、噂で聞いていた。

 女帝によって治められる芸術大国のリンデールや、建国がもっとも古いとされるローゼンベルガなど。名のある国の貴人が多数訪れ、王宮では慌ただしい日々がつづいた。各人が帰途につくなか、ローゼンベルガの客人のひとりが体調不良により王宮に留まることになってしまう。

 魔女であるエイラが拉致同然に連れてこられた理由が、それだった。


 嵐の夜、エイラを訪ねてきたサイードは、王都へ向かう馬車の中で、声をひそめながら詳細をくちにした。

 前日まではなんの異変もなかった女性が、朝になっても目を覚まさず、それきり眠りについたままだという。宮廷医師の見立てではとくに異常はなく、ただ眠っているだけとしかいえない状態がつづいている。

 彼女は、こういった場に出るのは初めてだったこともあり、疲れが出たのではないかとされた。ゆっくり静養してから帰国をという話になったはいいが、待てども待てども、目覚めない。

 三日を過ぎたころには、さすがにおかしいのではないかと囁かれるようになり、王都でも有名な医師や薬師などが呼ばれたものの、未だ覚醒には至っていないという。


 魔女が呼ばれた理由はわかった。

 ひとの手では解決できない事象も、人外のちからを借りられる魔女ならば、なんとかなるのではないかと思うのも、無理はない。

 けれど――



「……魔女なんて、そもそも受け入れられるはずがないのに」

 ぽつりとつぶやいた声は、薄暗くせまい室内にひろがり、むきだしになった土壁に吸いこまれ、反響せずに消える。

 王宮に連れてこられたあと、エイラは別の男に引き合わされた。サイードが姿を消したとたんに態度が変わり、王宮の北側にある部屋に案内され、こうして放置されている。

 味気ない木製の机と椅子、布を張ったソファー。ちいさなチェストに、すかすかの本棚。

 一見すると書斎のような場所だが、ツンと鼻にささるのは嗅いだことのある匂い。おもに、鎮痛薬に使われるものであることから、薬師が使っていた調合部屋なのかもしれない。


 明日、医師と薬師に引き合わせよう。

 案内役の男は、それだけを告げて去っていった。

 この部屋がエイラに与えられた場所なのか不明だが、ほかに居場所はない。寝静まった王宮内を、勝手に歩きまわるわけにもいかないだろう。

 家から持ってきた少ない荷を床に下ろし、エイラはひとつ息をおとす。

 調度品を一瞥したのち、ソファーに近寄った。ランプの灯りに照らされたそこには、うっすらほこりがつもっているが、この程度たいしたことではないだろう。

 ――師匠の部屋のほうが、もっとひどかったものね。

 親代わりの師を思い浮かべながら、ソファーに身体を横たえる。寝心地がいいとはいえないが、寝られないこともない。土まみれの床に転がるよりは、マシだ。

 靴を脱いで、ソファーの上に足をあげる。十六歳にしては小柄な身体つきをしたエイラにとって、じゅうぶんすぎるほどの大きさだった。

 草色のマントを脱ぐと、それを毛布がわりにして、目を閉じる。

 眠れないかもしれないという心配は、杞憂だった。

 長く馬車に揺られた身体は疲弊していたらしく、エイラはごくわずかののちに、眠りの世界へと誘われていた。



 窓から入る陽射しが顔にかかり、エイラは覚醒する。

 どうやら太陽が昇ったらしい。

 寝床にするには、不向きな位置だ。これは場所を変えるべきかもしれない。

 ソファーで眠ってしまうのはよくあることで、たいした苦ではなかった。王宮の備品というだけあってか、とても質が良いのだ。エイラが普段使っている寝台よりも、ずっとやわらかいときている。

 明るくなった室内に目をやると、この部屋もわるくはない。全体的にほこりっぽくはあるけれど、そんなものは掃除すればすむことだ。

 おそらく、エイラに課せられているのは、病人を目覚めさせるための薬をつくることだろう。

 魔女の妙薬は、万能薬。

 古くから伝えられるそれらを、この城に住んでいるひとたちが信じているかどうかはわからない。

 けれど、サイードという青年はエイラを訪ねてきた。

 槍のような雨が地面に突き刺さるなか、馬を駆って辺境までやってきたのだ。ほんのわずかな可能性にすがるほど、事態は切迫しているにちがいない。

 靴を履き、伸びをして身体をほぐす。床においたままだった鞄から荷を出そうとしたとき、扉がノックされた。

 返事をするまえに扉は開き、昨日の案内人が顔を出す。古ぼけた鞄を手に立っているエイラを見ると、不愉快そうに顔をゆがめ、それでも務めを果たすべく声を発した。

「イスタークの魔女、来い」

「……あの、どちらへ――」

 問いかけの途中で背を向けて、歩き出した。

 エイラの言葉なぞ、聞くつもりはないということらしい。

 魔女の扱いなんて、そんなものだ。薬を欲するときだけはへりくだり、病が治れば追い返される。

 姿を見失わないように、エイラは男の背中を追うことにした。

 角を折れると、広い廊下に出る。天井近くまである背の高いガラス窓がずらりと並び、朝の光をたっぷり受け入れている明るい通路だ。一定の距離を保ちながら付いていくと、やがて大きな扉の前で足を止めた。

 ノックをして来訪を告げると、すぐに扉を開く。有無をいわさない態度は、なにも魔女に対してだけではなかったようだ。

「魔女を連れてきた」

 男がエイラに一瞥をくれたため、あわてて扉の前に立つ。

 室内には、四人の男女がいた。

 白衣を着た老人、明るい色のシャツを着た若い女性。不機嫌そうに立っている若い男性に、横柄そうな年配の男。それぞれが、姿を現した魔女を見据え、さまざまな表情を浮かべている。

 紹介は済んだとばかりに男は立ち去り、エイラは取り残された。中に入っていいのか、わからない。

 戸惑うエイラを見て、白衣の老人が声をかけた。

「いつまで立っているつもりだ。入りたまえ」

「……しつれいします」

 後ろ手に扉をしめると、横柄そうな男が、たっぷりとしたおなかを揺らしながら、口を開く。

「醜悪な魔女よ、おまえなぞに手柄を取られてなるものか」

「医学のなんたるかも知らない亜人が加わるなど、言語道断だ。まったく上はなにを考えているのか。我々医師たちを愚弄しているとしか思えないね。得体の知れない魔女のちからに頼るなど、まったくもって信じられない」

 そう言ったのは、若い男性。きっちりと撫でつけた髪を乱しながら、まくしたてる。

 エイラの知りたいことは、この男がほぼ説明してくれた。


 ローゼンベルガから訪れたのは、王太子夫妻。その妻が、眠りについたという人物だ。

 歴史も古い大国の客人が、他国を訪問中に病に倒れ、目覚めない。

 新体制として歩みはじめたオルニスにとっては、なんとしてでも解決したい問題だろう。

 宮廷医師だけでは対処できず、都で医療を営む者たちを老若男女問わずに集め、秘密裏に事を進めている最中であるらしい。

 男は若く、野心にも溢れている。ここで名をあげ、王家に恩を売っておけば、宮廷医師として任用される可能性だってあがる。それが無理でも、なにかしらの報酬は得られるはずだ。

 くちにはしないそれらの思いが透けてみえた。隣でしかめっ面をしている年配の医師だって、似たようなものだろう。

 唯一の女性は、エイラを見て眉を寄せ、鼻をつまんだ。

「……なんでもいいけど、それ以上近寄らないでね。臭そうだし。なに、そのきったないマント」

 あー、ヤダヤダ。

 距離を取るように離れると、壁際の戸棚からなにかを取り出しはじめた。数種類の小瓶を手に取ると、机に並べる。作業用とおぼしき机には、すり鉢がいくつか置かれている。

 では、彼女が薬師なのだろう。

 医術だけでは足りない部分を補うために、薬師も手配したと聞いている。エイラもまた、広義では薬師といえるが、どうかんがえても彼女と協力してなにかをなせるとは思えない。

「言っておくけど、これは私の薬。あんたに分けるほどの量はないから」


 ――つまり、材料はじぶんで用意しろって、そういうことなんだよね。

 立ち尽くすエイラをよそに、医師たちは個々に動きはじめる。

 それでもいちおう、エイラは声をかけた。

「あ、の。それで、患者さまは――」

「おまえのような得体の知れない下賤の民を、大国の重鎮に会わせられるわけがなかろう!」

 ならば、いったいなにを、どうやって処方するのだろう。

 これはむしろ、なにもするな、ということではないだろうか。

 ――森に帰りたい……。

 エイラはすごすごと部屋をあとにした。


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