第7話 キス
私は大刀石花の膝の上に頭を乗せて横になっていた。大刀石花は微笑みながら私の頭を優しく撫でてくれる。
ここがどこなのか分からない。周りを白い部屋で、まるで雲の中にいるようだ。
でもそんな事どうでもよかった。私の視界には大刀石花しか映っていない。
大刀石花の膝枕は柔らかく、彼女の温もりで身体がふわふわする。
頭を撫でてくれるしなやかな手が心地よくて、私は甘えるように喉を鳴らす。
顔を上に向けると、大刀石花が穏やかな眼差しで見つめてくれている。
「大刀石花………」
大刀石花をもっと求めるように私は手を伸ばした。その手を大刀石花がそっと握り指を絡める。
「海金砂………」
私の名前を呼んで、大刀石花が腰を曲げて私に顔を近づける。私も目を細めて彼女を迎え入れる。
そして私達の唇が重なった………
「んぁ?」
間抜けな声をあげて私は目を覚ました。目だけを動かすと、そこに映るのは私の部屋だ。
寝起きで頭の中が真っ白になっている。それでも何故か顔が熱いのは感じ取れた。
それからしばらくして自分が寝てる間に見ていたものが思い出される。布に水が染み込むようにじんわりと。
それは私の体温を徐々に上げていった。足先までジンジンするほどに熱くなる。
「は、あぁ…………?」
自分の見ていた夢が訳がわからず、私の口から声が漏れ出た。心の刺激に耐えられず身体がくねくねと動く。
私………大刀石花と、キスして…………
「わあぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜⁉︎」
脳内処理が限界に達して私は悶えた。
夢がこべりついて離れないせいで、私の頭の中はまともに機能していなかった。
それでもいつもの習慣を条件反射でこなす。朝食を食べると、制服に着替えてマンションを出た。
目の前にはグレーのアスファルト、緑の生い茂る街路樹、道を通う人々、いつもの通学路の景色が広がって、その情報が脳に送られるはずだ。
しかし何を見ても聞いても、脳に送ってこられるのは今朝の夢だけ。目に映っても頭が処理してくれない。
そしてまともに働かない頭の代わりに身体を動かして、私は学校に到着した。教室に着いて席に座っても切り替えられない。
私、何であんな夢見たんだ………?
もちろん私は女子で、女子が好きな女子ではない。まぁ恋愛なんてした事ないから断言できないが。でも今までそんな事はなかった。
恋愛は異性とするべし、なんてお堅いこと言うつもりはないけど、自分がそういう人間であるわけでもない。
けどやっぱり周りからしたらそれは変な人なわけで、たぶん大刀石花も拒絶はしないけど首は傾げると思う。私だってそう。
だからあんな夢なんて私には無縁なはずだ。
大刀石花の膝枕とキスの感触はぼんやりとしている。当たり前だ、した事ないんだから。
でも私の頭を撫でてくれた大刀石花の手の感触と、名前を呼んでくれた声ははっきりと覚えている。
そんなこと頭に焼き付ける必要のないことなのに、あの夢を思い出すと最初に思い出す。
そりゃ、大刀石花は私の数少ない、というか唯一の友達で、仲良くなりたいとか大切にしたいという想いはある。
けどそれは決してキスしたいとか、そういうものに繋がるものではないはずだ。それなのに………
あぁいうことが出来るくらいに仲良くなりたいということだろうか………
「いやいやいやいや」
それじゃまるで『付き合いたい』と思ってるみたいじゃないか。そういうのではない。
友達として、友達としてそういうこと…………
大刀石花に対する私の願望とかどうだろうか?
大刀石花が私をどう思っているのか、そういうのはぼんやりとだけど気になる事はあった。
大刀石花は私の中では特別な友達で、大刀石花の中でも私はそうでありたいと思ってる。
だから私と同じくらいに、大刀石花も私の事を想ってくれて、それであぁいうこと………って、それじゃ変わらない。
私はちょっと、ちょっとだけでも、大刀石花の中で特別でありたい。そう思ってるだけのはずなのに。
「はあぁぁぁぁ…………」
ダメだ、どう頭を張り巡らせても上手く説明できない。これ以上考えたら人前でも構わず発狂しそうな気がする。
というか現段階で既に顔が熱くて茹だりそうだ。ちょっと落ち着かないと。
「あ、海金砂。おはよう」
「ひゃいッ⁉︎」
今朝から何度も頭の中で繰り返された声が、いきなり背後からした。私は飛び上がって舌を噛んでしまう。
「うわっ!ど、どうしたの?」
変な声をあげた私を大刀石花が覗き込んでくる。大刀石花の顔が私の目の前に近づく。
夢の中で顔を近づけた大刀石花を思い出して、私の体温が上がる。
「大丈夫?顔赤いけど、熱でもあるの?」
心配そうに首を傾げる大刀石花が、私の額に手を当てた。
しなやかな指が触れて、再び夢がフラッシュバックしてきた。身体がピシッと固まる。
「え?あの、本当に大丈夫?」
「あ、う、うん!大丈夫、大丈夫だから」
「あぁ、そう?ならいいけど」
本当は全然大丈夫じゃなかった。こうやって目を合わせてるだけで、恥ずかしさでいっぱいだ。
でもそれを素直に打ち明けてはいけない気がした。絶対引かれるし、それで疎遠になるなんてごめんだ。
だから私はなんとか大刀石花から目を離すと席に着いた。
これで少しは心が落ち着くはずだ。それなのに………少しもったいないと思ってしまうのは何故だろう。
一時間目の授業が始まっても、私の心は収まらなかった。ボーッと板書を見ながら、思い浮かぶのは大刀石花のことだけ。
結局のところ、私は大刀石花についてどう思っているか。それが一番大切な事であって不透明な事だ。
私は不審にならないように、教科書を立てて顔を隠しながら(余計不審なのは気にしてられない)大刀石花を覗いた。
私の斜め前に座っている大刀石花は退屈そうに板書を写している。
サラサラで艶のある髪が風に揺れて、授業が面倒なのか目は気怠そうに垂れている。インドアらしい色白の肌、私よりも凹凸のある女性らしい体つき、そして赤く柔らかそうな唇。
こうして見てみると、大刀石花って結構可愛いんだよね。って、これじゃ見とれてるみたいだ。
私は大刀石花から目を逸らすと、シャーペンを握ってノートに視線を移す。真面目に書くつもりはないが、今はそれが一番心を落ち着けられそうだ。
そういえば大刀石花って彼氏とかいるのかな?あんまりそういうイメージは無いけど、いると言われても不思議では無さそう。
でも、もしいるとしたら………私はどう思うだろう。
それは私よりも特別な人がいる、ということなわけで………それは、なんか嫌な気がする。
少なくとも私は、大刀石花にそれくらいの独占欲のようなものは持ってるわけで…………って、朝から大刀石花のことしか考えてない。
これじゃまるで片想いだ。
結局その日の授業はロクに頭に入ってこなかった。ただ機械的に板書を写して終わってしまう。
元々真面目に授業を聞く方では無いのだが、それにしたって今日は集中出来なかった。
それなのに無駄に疲れた気もする。変な方向に頭を使ったからだろうか。
「はぁ………」
疲れて脱力した私は机に突っ伏した。
「おーい、海金砂」
背後から大刀石花の声がして、私は反射的にシャキッと背筋を伸ばした。
「あ、た、大刀石花………」
「おっ、朝よりは落ち着いたみたいだね」
振り返ると帰る支度を済ませた大刀石花が、揶揄うように笑っていた。
どうやら私の様子がおかしかった事はちゃんと覚えているらしい。
「体調はどう?良くなった?」
「え?あ、うん、まぁ………」
「それならよかった。さて、帰ろっか」
教室を出て行く大刀石花に釣られるように、私も慌ててスクールバッグを肩にかけて追いかける。
いつもなら学校の外で自転車を引いてやってくる大刀石花を待つが、彼女の自転車は壊されてしまっている。
二人で揃って校門を出ると、同じく下校する学生に紛れて歩き始めた。
そういえばさ、今日の五時間目の………数学、かな。ノート取ってある?」
「ま、まぁ」
「よかったぁ。後でそれ見せてくれない?五時間目寝ちゃっててさ」
「うん………いいよ」
「ありがとう。いやぁ、お昼ごはんの後は眠くなっていかんねぇ」
いつもならスラスラと出来る会話が、今日はどうしてもぎこちなくなってしまう。大刀石花と目が合わせられない
「海金砂、やっぱりまだ体調悪いんじゃない?様子変だけど、よかったら家まで送る?」
「あ、いや、だ、大丈夫………たぶん」
「たぶんなんだ。大丈夫ならいいけど、無理はしないでね」
「う、うん、ありがとう」
もっとも様子が変な原因は大刀石花なのだが、それを本人に言うわけにはいかないので適当に濁した。
私は俯きながらもチラッと大刀石花に視線を向ける。
夢の中で大刀石花は制服姿だった。それもそのはずで、私がそれ以外で見た大刀石花の格好は、体操服か入院してた時の病院服だ。
スカートが揺れて、大刀石花の太ももが覗いている。そこから上に視線を向ければぷらぷらと動いている手。さらに上に向ければ慎ましく動く口元が視界に入る。
意識してはいけないはずなのに、そう思えば思うほどに視線が向いてしまう。
すると大刀石花が私の視線に気がついて、自分を見下ろした。
「どうかした?また手繋ぎたいの?」
私に向けてヒラヒラと手を向ける大刀石花に私はたじろいだ。
そういえば数日前にそんな事をしたんだった。
あの時は何というか、勢いというか、あんまり深く考えずにやってたが、よくよく考えたらあんな事したから変な夢を見たのだろうか。
「いや、そうじゃなくてさ………その………」
さすがにこれ以上だんまりを決め込むのはマズい気がする。とはいえ何を話せばいいんだろう。
なるべく私が変なことを考えているとバレないような内容………
「ん?海金砂?」
「あ、あのさ………大刀石花って、彼氏とかいるの?」
「は?」
やってしまった。意識しないようにとするあまり裏目に出た。あまりにもいきなりで踏み込んだ事を聞いてしまった。
「いや、いないけど。今もこれまでも」
大刀石花はあんまり気にしなかったのか、あっさりと答えてくれた。
「そ、そっか………いないんだ」
端的で素っ気ない返事が心の中でじんわりと広がり、凝り固まってくれたものをほぐしてくれた。
「おーい、人が彼氏いないって言って笑うのはいかがなものかと思うけど?」
「えっ?」
どうやら気がつかない内に頬が緩んでいたようだ。
「海金砂は人の恋愛経験で笑うほど余裕があると?」
「い、いや、そういうわけじゃないよ!私も彼氏とかいないし!」
私は緩んだ頬を引っ張って頭を振った。
「まぁそうだろうね。高校始まってまだ一ヶ月半くらいだし」
何気なく言った大刀石花の言葉が、私をハッとさせる。
そうだ、そういえばまだそれくらいしか経ってないんだ。もう半年以上経ってる気になってた。
「っと、それじゃあ海金砂、また明日ね」
「う、うん。またね」
いつの間にか分かれ道に着いており、私は大刀石花と別れて歩いた。
日は傾いていて、辺りをオレンジに照らしている。夕陽の光目に入り、その眩しさに思わず目を細めた。
家までの道のりはまだまだある。けど学校からここまでよりは全然短いはずだ。
それなのに、何故こんなに退屈で長く感じるのだろうか。
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