1.クリスマスがやってくる。
緊急時対応訓練が行われるらしい。
視覚センサーで冬の分厚い雲を眼下に捉えながら、私は少佐に尋ねる。
『それ、このご時世に意味あるんですか?』
「さあな――っと、おいちょっと揺れたぞ」
そう告げるソウザキ少佐は操縦していない。コックピットに座っているだけだ。
今、この冬の空を飛んでいる機体を操縦しているのは、私自身だ。
ソウザキ少佐の操縦から学んだ技術を使って、私の操縦によって、機体は空を飛び、上昇し、下降し、右に旋回し、左に旋回し、ロールを決め――そして時折、がくん、と揺れる。
「なんで揺れるんだ? 今のお前、機体の制御については完璧なはずだろ。操縦――っても、俺らみたいに手が力んで操縦桿がそれに反応してるとかじゃねえだろうし」
『――すみません』
「別に良いけどな――いや、良くないのか。後でちょっと一緒に問題点を洗い出して、一つ一つ潰していくぞ。お前もそろそろ自分だけで飛んでいい頃だ」
『私だけで』
「そうだな。お前ももうすぐ独り立ちだ。戦闘訓練なんかじゃ、まだ俺たち指導パイロットが乗る機会もあるだろうが――この冬が明ける頃には、お前らが俺らを乗せずに自分たちで飛ぶことが多くなると思う」
『そうですか』
「何かお前……最近元気ないな」
『だ、大丈夫です私は元気です! ぐっど、べりべりぐっどです! いえーっ!』
「そうか……?」
『そ、そんなことよりさっきの話です! 緊急時対応訓練! どんな緊急時で何に対応するつもりなんです?』
「そりゃあれだろう。空爆とか」
『今どき空爆とか時代遅れです』
「そりゃ、今はRAI積んだスマート爆弾でのピンポイント攻撃か、電磁兵器が主流だからな――でも、意味ないとか言うな。可能性自体はあるんだから」
『いや、ないでしょう基地が攻撃されるとかあり得ないわけですし』
「別にあり得ないってわけじゃねえぞ。手違いで電磁兵器が落ちてきたり、狂った自律兵器が飛んでくるかもしれんし――それに、考えたくはねえが、平戦に火が点くかもしれん」
『そのときはぶっちゃけ世界の終わりでは』
「終わりでも何もしないわけにはいくか」
『それはそうですが』
「まあでも」
こん、とコックピットを叩いて、ソウザキ少佐は告げる。
「空爆のない時代で良かったよ。昔はそれで、どれだけの人間を殺してたか」
『……どっちにせよ、私は戦闘機ですが』
「そうは言うが、戦闘機も状況次第で空爆に使われたりしてきただろ。ターミナルも爆撃機や攻撃機代わりに使われることがあるわけだし――っと、また揺れたな」
『すみません』
「なあに、お前なら今度もできるようになるさ。デイジー」
『そうですね』
私はそう答えて、冬の空を見渡す。
このひどく広い空を一人で飛ぶ自分を、少しだけ想像する。
□□□
「メリー・クリスマスだよ! デイジー!」
共有スペースに行くなり、そんな声で出迎えられて、私はちょっと面食らう。
ミニスカートなサンタクロースの格好で、ぽよんぽよん、と空気抵抗を揺らすアリスに、とりあえず私は尋ねる。
「何をやっているのです。その格好は」
「サンタクロースだよ! デイジー!」
「それは分かりますが――何故ですか」
「もうすぐメリー・クリスマスだよ!」
「……ちょっとアリスは黙って下さい」
「ひゃあんっ!?」
と、いつも通りに空気抵抗をはたいてアリスを押し退け、呆れた顔をして事の推移を見守っていたブロンクスに、私は先を促す。
「つまりはクリスマスなんだと」
「はあ、それで」
「アリスの奴が盛り上がってる」
「去年のアリスはこんなテンション高くなってませんでしたが。私がクリスマスだと言っても『クリスマス? 何それ美味しいの?』とかベタなこと言ってましたし」
「たぶん基地の誰かから話を聞いたんだろ。で、その気になったと」
「傍迷惑なことを……」
「デイジーも着ようよっ! サンタ服っ!」
と、床から生き返ってきたアリスがこちらに押しつけてくるのは、こちらもやっぱりミニスカートのサンタ服。それをしばし見下ろしてから、私はアリスに告げる。
「何を言いますかアリス。サンタクロースというのは、子どもたちに夢を与えるべく寝室に推参するご老体です。人に夢を与えるという点では美少女と同じかもしれませんが、年齢的には私はサンタからむしろ夢を頂戴する方です」
「そっかぁ……そうかもー」
「靴下を吊して置きますので、できれば、また食べられたりしたときにも平気なように新しいリボンとか欲しいです。どうかよろしく」
「むー、しょうがないなあー」
「――というわけでミニスカサンタの役目はブロンクスに譲ります。どうぞ」
「おいやめろ」
サンタ服を押しつけられたブロンクスは「そもそもサイズ合わねえだろ」と呻いてアリスにそれを返そうとしたが、アリスがどこからともなく別のミニスカサンタ服を取り出した。
「それじゃあこれ、ブロンクスの分ー」
「おい――何で俺のサイズがあるんだ」
「みんなお揃いだよー、着せて上げる」
「やめろぉっ! 普通の! 普通のサンタ服をよこせぇっ! ミニスカは嫌だっ!」
と絶叫しながらずるずるとアリスに連行されていくブロンクスを見送ってから、私は共有スペースにある机の下に声を掛ける。
「チャーリー?」
と呼びかけると、
「やあ、デイジー」
机の下から本を抱えたチャーリーが現れる。
「ブロンクスはアリスに連れて行かれましたよ。ミニスカサンタにされるようです」
「……やっぱり」
「チャーリーは何をやってたんです?」
「アリスがあのテンションで出てきた時点で机の下に逃げた。こうなると思ってた」
「賢明ですね」
「……デイジー? もしかして元気ない?」
「別に……そんなことはないです」
「嘘だよねそれ」
とチャーリーは笑顔で言ってきて、私はちょっと気まずい思いで言う。
「……根拠は何です?」
「いや何となくだけど、でもわかるよそりゃ。アリスだってたぶん分かってたよ。いつもなら無理矢理にでもデイジーにサンタ服を着せるだろうに、今日はやけにあっさり引いたし」
「ブロンクスは」
「ブロンクスは……ブロンクスだから」
「チャーリーって、実は見た目ほど性格良くないですよね?」
「君だってそうだろう?」
「美少女は性格がちょっとアレでも、なんかこう許されるもんなのです」
「誰かに怒られるよ――で、どうしたのさ? ソウザキ少佐に相談できないこと?」
「いや、その……ちょっと不安で」
「不安?」
「一人で飛ぶのが」
「ああ――成る程。そういうことか」
と、チャーリーはそれだけ何かに納得したような顔をした。
それから、手に抱えていた本を机の上に置いて、私に言う。
「この本は知ってる?」
と示す本の表紙には、デフォルメ化が為されてはいるがたぶん人間の――金髪の男の子の絵が描かれている。
彼は縮尺に問題があるように思える星の上に立っている。
記録領域を検索。
画像データだと時間が掛かるので、タイトルに目を走らせ、そのタイトルで検索。私の中の記録にあるテキストデータと照合されて、私は、その本が古い有名なテキストであることを思い出す。
そのテキストに関連する記録を私は呼び出し、それから言う。
「あれでしょう。砂漠に不時着したパイロットの方が見た錯覚の話でしょう」
「ねえ、デイジー。その説明は、あまりにも夢と希望が無さ過ぎると思うよ」
と、チャーリーはちょっと怒ったような口調で言い、それから溜め息を一つ吐く、というリアクションをしてから、私に告げる。
「デイジーはあれだよね。ロマンとか言う割に、実は結構ドライだよね」
「極限状態に置かれれば、どんな理性的な方であっても通常時とは違う精神状態になるものです。熱暴走を起こしたHAIが発狂するのも、脱水状態に陥った人間の脳が異常を来すのも普通のことです。脳にとっては真実であり実際に体験したことでも、実際に起こったわけではない、という状況は割と有り得ます。悪いこととは言いませんが冷静には判断すべきかと」
「そりゃあ現実はそうかもしれない。けれども、このテキストは物語だよ。物語に現実を持ち込んじゃいけない」
「しかし、そのテキストの中に、砂漠に不時着した飛行機パイロット、という現実に起こった自身の経験を持ち込んだのは作者であったはずです」
「そういうことじゃなくてさ」
ちょっと困った顔をしてから、ふと思いついたようにチャーリーは言う。
「ねえ、デイジー。もう一度ちょっと読んでみなよ――本で」
「本とか物理的にも重いですし、一旦映像データとして取り入れるので、データ的にも重いです。ページをめくる時間だって掛かります。テキストデータで直接読み込めば軽いし一瞬ですので、そっちで読むから要らんです」
「まあそう言わずに」
と言ってチャーリーが押しつけてくる本を、私はおずおずと受け取りつつ、言う。
「汚したり、変な癖が付いたり、ページの端が折れ曲がったりするかもしれません」
「本だからね。そういうもんだよ」
などとあっさり言うが、本というのはそれほど安いメディアではない。
通常は、図書館なんかで貴重だったり重要だったりするテキストを長期保存するためのメディアなのだ。チャーリーは見習いの私たちに与えられる雀の涙ほどの給料を貯め、製本のためのお金を捻出しているのだと私は知っている。
「……本の何が素晴らしいかなんて、私にはちょっとわからないです」
「素晴らしいとか、本は別にそういうもんじゃないよ。趣味嗜好品だ」
「ゲームセンターみたいな、ですか」
「そう。そんな感じ」
「そうですか。では、お借りします――それでえっと……その、チャーリー」
「ん?」
「アリスが」
「……え?」
チャーリーが振り向いたその瞬間に、アリスが笑顔でその肩に片手を掛け、
「見つけたよチャーリー! 一緒にサンタクロースになるんだよ!」
と告げて、悲鳴を上げて逃れようとするチャーリーをずるずると連行していく。
「ふむ」
私は二人が消えて静かになった共有スペースで、チャーリーから預かった本を両手で抱えながら、たぶんきっと私もクリスマス当日はミニスカサンタになるしかないのだろうな、と思う。
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