第45話 夜が来る前にて
連れて来られたコーラル伯爵は、意識は戻ったようだが、顔面は蒼白だった。どうやら睾丸の一つを持っていかれたらしい。内またになって座っている。
「……ことの顛末は聞いています。災難でしたね」
「災難で済むか!何なんだあの女は!?」
領主さまとコーラル伯爵は、互いに机を挟み、向かい合って座っている。俺はどういうわけか、領主さまの後ろに座らされていた。そして、俺の向こう側にはすごい顔でこっちを睨むロウナンドがいる。彼も意識が戻っていたようだ。
「……レイラさんは、この町はおろか、国王様にすらあの態度を取るでしょうな」
「そんな奴、極刑にしてしまえ!」
「そんなことすれば、この国は滅びますよ」
先ほどのレイラさんの眼光を思い出したのか、伯爵は身震いする。
「……なんでそんなとんでもない奴が、こんなところにいるんだ」
「どういうわけか、ここで冒険者の親代わりになっていますよ。理由は分かりませんが」
「ぐぬぬ……」
伯爵はそう言って、手元にあったお茶を飲みほした。
「……なんだこれ、うまいな。どこの茶だ?」
「そのレイラさんからもらった茶葉ですよ」
「……お、おう」
「ところで、領民を愛人にしようとしたとか。それも、出産間近の妊婦だと聞きましたが?」
「ん?ああ。あの娘がまるで聖母のように美しかったのでな」
「妊婦なのですから、夫がいるとは考えなかったのですか?」
「別に、夫がいるなら別れさせればよいだけの事だろう」
俺は鳥肌が立った。この男、心の底からそう思って言ってやがる。人の心がないのか、と思っていたが、本当にないとは思ってもみなかった。
「やはり、孕んでいる女性は美しいな。あのまま絵画にしたいくらいだ」
「……伯爵の美の感覚もわからなくはありませんが、さすがに堂々としすぎでは?」
「何を言う!妊婦もそうだが、縄で縛ったり、女性の元々存在する肉体の形を変えるというのは、美的変化になるのだ。それは、女性に男性器が生えているのも同様だな。まあ、それはさすがにできないから、女装という形を取らざるを得ないわけだが……」
伯爵は調子が戻ってきたのか、変態トークに花が咲き始めた。
領主さまも、相槌を打ちながら引いているのが見て取れて、さっきから目配せしてくる。
(コバ、助けてくれ)
そうは言われても。俺だって、どうすればいいかわからないんですけど。こんなド変態。
とにもかくにも、早く終わってくれないかと祈るばかりだった。
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結局、領主さまと伯爵の面会は、8割方伯爵の猥談で終わってしまった。
「ほんと、何しに来たんだろ……」
俺は、領主さまの館の便所で、一人ぼやいていた。
というか、なんで俺まであんな話を聞かされたんだろうか。なんというか、女性を見たら変な意識しそうだから、しばらく一人になりたい。
そうして、用を足していると、便所に入ってくる者がいた。ロウナンドだ。
「お前は……」
「ど、どうも」
ロウナンドはいぶかしげにこちらを見るが、特に何もせずに、個室に入っていった。
俺は別にこれ以上便所にいる意味もないし、立ち去ろうとしたのだが。
「待て。……なんでお前がここにいる」
「……便所に来たら、やることは決まってるだろ?」
「違う。なんでお前なんかがドール子爵の横にいるんだ」
それを言うなら、何であんなのの横にお前はいるんだ。
「お前なんかより、俺に突っかかってきた町の男の方が、まだ強そうだったがな」
ラウルの事か。
「ああ、話は聞いてたけど、それ多分俺の幼馴染だわ」
「……そうか。まあ、俺の敵じゃなかったがな」
「いや、あいつ、道具屋よ?」
「わかっとるわそんなもん。……うちの領主さまが、すまないことをしたと伝えてくれないか」
「……いいのか?依頼主の事そんな風に言っちゃって」
「俺もあの時は肝を冷やした。まさか、あんな堂々と人妻を口説くなんて思ってもみなかったからな」
「ああ、まあ、アンネちゃんはなあ。町でも有名な美人だから。妊娠してるの一目でわかるのに、ってのはびっくりしたけど」
「あの人は、年々女の守備範囲が広がるんだ。それに見合う女を連れて行かないといけないこっちの身にもなってほしいよ」
「……やめたら?この仕事」
俺は率直に思ったことを、ロウナンドに伝えた。実力もあるんだから、普通にやっていけばいいと思うんだが。
「そうしたいのはやまやまだがな。コーラル領のギルドは伯爵に買収されている。今回の護衛の依頼も名指しで、あの人の機嫌を損ねれば俺の王都推薦が消える」
王都。その言葉に、俺は少し動揺した。俺も王都を目指す身だ。こいつもそうなのか。
「俺は今年で30になる。もう若くない。この機を逃せば、俺の王都行きは難しくなるだろう。だから、手段は選んでいられんのだ」
強い決意が、便所の個室の扉越しからも伝わってくる。
「……苦労してるんだな、あんたも」
「ああ。変な屋敷の護衛をさせられるわ、得体のしれない女に投げ飛ばされるわ、全く割に合わん仕事だよ」
得体のしれない女については、さすがに同情せざるを得ない。ただ、正直生で見たかったけどな。レイラさんの実力。
「……お前、いくつだ」
「……26だけど」
「そうか。……まだ時間もある。俺のようにはなるなよ」
ロウナンドはそう言うと、便所の個室から出て行った。
俺は、その背中が妙に煤けて見えた。
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「…………だってよ」
伯爵の会談が終わった夕方、俺はラウルの家にいた。彼はサイカ道具店には通いで働いている。同居はサイカさんが許してくれないのだ。たまの泊まりはいいらしい。
ラウルは腕を組んだまま、動かなかった。
「ま、別に恨むなとは言わんけどさ。たぶん向こうもそう言うだろうし」
「……完璧に負けた」
目を伏せたまま、ラウルはそう呟いた。
「……いや、そこ?」
「あの筋肉ダルマ、どんな鍛え方してんだ……」
俺は溜息をついた。そこかよ。
「お前、アンネちゃんの心配とかないのかよ?」
「お前が来る前に散々したわ。だから、あのヤローが出てくまで店にこもってもらうことになった」
「……まあ、そういうことになるよなあ」
「あいつ、今度会ったら絶対ぶん殴ってやる」
「キンタマ片方潰れたんだから、勘弁してやれよ……」
レイラさんの刺突は、伯爵を気絶させただけでなく、左の睾丸を粉々に砕いていたらしい。レイラさん曰く、「もう片方は慈悲で残してやった」らしい。怖え。
「次なんかあったら、今度こそギッタンギッタンにしてやる……!」
「……さすがに、何もねえだろ?あんな目に遭っといて。さっさと帰るって」
俺はそう言って、ラウルをたしなめた。
だが、妙な胸騒ぎがした。
そして、夜が来る。今夜は、バレアカンで一番長い夜になる。
俺はそれを、夜明けを迎えて初めて知ることになる。
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