第16話 惨敗

 筋肉猪は、それから3日間警戒を続けても、現れることはなかった。


 もっとも、現れていたら、今度こそバレアカンの町は壊滅してただろうが。


 生き残った80人のうちで、無傷だったものは一人もいない。全員、軽くて全身打撲、重くてあと数日の命、と言ったところだろう。


 俺はその中でも真ん中よりちょいマシの、あばら骨が数本折れたのと、身体をところどころ強く打ち付けたくらいのケガで、全治3ヵ月で済む程度の軽傷だった。


 俺が依然使っていたギルドの仮眠室は、すべて臨時病院と化していた。この町の療養所だけでは、ベッドが足りないのだ。


 死んでいった者のほとんどは、ウォリアーやタンクといった前衛職だ。奴の突進を彼らが命をとして受け止めてくれなかったら、きっと俺たちも、町の人も死んでいた。


「……今回、後衛職が多く生き残ったのも、彼らのおかげだな」


 ギルバートさんが、そう呟いていたことを思い出す。死んでいった者の中には、「空中庭園」の常連も多くいた。彼らの遺体はひどく損傷していたので、魂だけでも、と墓には埋められず、石碑として名を刻まれることとなった。


 俺は自宅で、しばらくまともに動けずに寝転がっていた。療養所のベッドも、ギルドのベッドも、俺より重症の人にすべてあてがわれて、空きなどなかったのだ。


「コバ、水持ってきたぜ」


「コバさん、お粥です」


 俺の家には、ラウルとエリンちゃんが交代で来てくれている。ありがたいことだ。

 エリンちゃんには、悪いことをしてしまった。今度の休みに、引っ越しの手伝いをする予定だったのに。


「仕方ありませんよ。クエストでの事故は、冒険者ならよくあることなんですよね?」


 彼女にそう諭されて、俺は頷くことしかできない。


 あの日以来、俺は言葉を話すことができない状態になっていた。 

 口を開いても、言葉がつっかえて出てこない。おかげで、ラウルやエリンちゃんには大変な苦労を掛けてしまっている。


 夜毎、夢に見るのは、あの怪物と、俺がへまをやらかして死んだ者たちの顔だ。そして、皆が口々に言う。


「お前なんか役立たずだ、お前が死ねばよかったんだ、なんで俺らがお前のために死ななけりゃならなかったんだ…………!」


 激しい罵倒ではない。だが、一言一言が重く、心に突き刺さる。


 俺がちょこっとソロクエストで調子が良かったところで、筋肉猪には全く通じなかった。


 それどころか、下手に突っ走り、不要な犠牲を生んだ。生者は俺に何も言わないが、死者は常に俺の耳元にいる。


 時折、過呼吸に陥ることがあった。息が苦しくなって、でも、どうしようもない。涙を流しながら、それでも必死に息をする。死にたくない。そんな風に思うも、収まればまた死にたくなる。そんなジレンマに囚われていた。


 そして俺が自分ののどを掻きむしって以来、エリンちゃんが張り付きで俺の部屋に住み着いている。


「……コバさん、お腹すいてないですか?」


 俺は、首を横に振った。


「実は、魔導学院の入試問題を持ってきてるのです。ここでやってもいいですか?」


 俺は、頷いた。


「ありがとうございます。年々難しくなってるらしいので、過去問を買ったんですよ。これが、また、高くて……」


 そう言ってエリンちゃんは静かになった。勉強に専念しているのか、と思ったが、その目には涙が溜まっている。


「……コバさん、喋ってくださいよお。この間みたいに、へらへらした感じで、テキトーに、私の言うことを受け流してくださいよ」


 涙が、参考書に落ちて、インクがにじんだ。


「コバさん。私……」


 エリンちゃんが何か言おうとしたところで、ドアをノックする音がした。エリンちゃんは慌てて涙をぬぐい、玄関に出た。


 そこにいたのは、レイラさんだった。


「やあ。エリンちゃん、コバはいるかい?」

「こ、コバさんですか?……えっ」


 エリンちゃんが何か言おうとしたようだが、レイラさんは気にせず部屋に入る。まあ、それは問題ない。

 

 彼女が驚いたのは、もう一人、大きな帽子をかぶった、とんでもなくおっぱいのデカい女の人が一緒に入ってきたからだ。

 俺も、彼女のどデカいものに驚くも、口を開けることしかできない。


「元気そう……じゃあないよな。そりゃあ」


 レイラさんと女性は俺の横に座った。女性のおっぱいが、正座した彼女の膝に乗りそうだ。


 ちなみに、彼女以外のこの部屋にいる女性は、全員まな板である。


「な、ななななな、何ですかその人は!?」


 エリンちゃんはパニックを隠し切れない。正直俺も隠しきれていないが、表情筋が固くて動いてくれない。


「ああ、この人ね。ほら、例の鑑定士さん」

「鑑定士って……コバさんに生えたっていうスキルのですか?」

「そ。ケガしちゃってさあ、って言ったら、じゃあ直接行きますって言うから。連れてきた」


 そして彼女は帽子を取った。そこには、2本の角が生えている。見た感じ、牛の角だ。


「どうもぉ、ハート・ホルスタインですぅ。鑑定士をやってますぅ」


 のったりした口調で、彼女はそう言った。


「見てわかると思うんですがぁ、私は牛獣人なんですぅ。育ての親がぁ、レイラさんと知り合いでぇ、いろいろお世話になったんですぅ」


 育ての親、というと、どうやら彼女は捨て子だったらしい。確か獣人でも、人間に近い容姿だと、生きることが難しく、死んでしまったり捨てられてしまうことがあるそうだ、とエリンちゃんと勉強したときに本で読んだような。


「それにぃ、依頼してくださったコバさんがぁ、おケガなされたと聞いてぇ。それならぁ、私がお役に立てるかなぁと思ってぇ、レイラさんに言ってぇ、連れてきてもらいましたぁ」


 話すのがゆっくりでのびのびなため、少し話すのにもえらい時間のかかる娘だ。


「まあ、そんなわけだ。コバ、いいかい?」


一体何がいいのかわからないが、俺は頷いた。


「それじゃあですねぇ。まずはぁ、おケガの方をぉ、何とかしましょうかぁ」


 何とか出来るの?と俺が思っていると、彼女が持っていたカバンから、一本の瓶を取り出した。中には、白い液体がなみなみと入っている。


「ここに来る前に搾ってきましたぁ。ぜひ飲んでくださぁい」

「安心しなよ、うちの店でも出してるから」


 レイラさんのお墨付き、となれば、とりあえず毒ではないのだろう。


 俺は、もらった液体を少しずつ口に流し込んだ。


 甘い。どうやら、牛乳のようだ。


「ハートはヒーラーの適正もあってねえ。それには、飲んだ人の治癒力を高める力もあるんだよ」


 確かに、飲んですぐに身体が温かくなってきた。だが、それと同時に急激に眠くなってくる。


「ただぁ、治癒に体力を使うのでぇ、体力回復のために少し眠っちゃうんですよねぇ。まあ、2時間くらい寝れば、だいぶ違うと思いますぅ」

「はあ、すごいですね……」


「ありがとうございますぅ。今日朝イチで出した甲斐がありますぅ」


「……え?」


「これ、私のミルクなんですぅ」


 エリンちゃんの顔が引きつった。ハートさんのどデカいおっぱいと、俺の飲んだ瓶と、彼女の顔を二度見する。


 一気に、エリンちゃんの小さな顔が真っ赤になった。


「な、なななななななな……なんてもの飲ませてるんですかああああ!?」


 エリンちゃんはけたたましく騒いで、レイラさんがそれを宥めてはいるが、当の俺はミルクの影響か、枕の上に意識を沈めていった。

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